キャリー・マリガンが表現する“強さ”と“ナイーブさ” フィルモグラフィから紐解くその魅力
考えてみれば、多くの映画ファンがキャリー・マリガンを知るきっかけとなった『17歳の肖像』(2009年)もまた、男性の身勝手な欲望に翻弄される少女をテーマにしたものだった。劇中、38歳の男性が16歳の少女に接近し、恋愛関係にいたるのだが、主人公ジェニー(キャリー・マリガン)は、大人の財力、少女にとっては未知の世界を見せてくれる男性の成熟した姿に魅了される。しかし、16歳の少女と38歳の男性との恋愛関係は「性的合意」と呼べるものだろうか。私は合意とは呼べないと思う。まだ精神的に未熟で経験の足りない子どもを欺いて、性的に搾取しているだけではないか。
そう考えながら『17歳の肖像』を見直してみると、「合意のない(合意とは呼べない)性的関係」という『プロミシング・ヤング・ウーマン』のテーマが、12年前からすでに始まっているようにも思える。劇中、学業優秀でオックスフォード大学を狙うような「未来有望の女性」(Promising Young Woman)であった高校生の主人公が、男性の身勝手な欲望によってそのキャリアを失いかけるという展開は、あらためて見てみると暗示的だ。主人公ジェニーは、男性の欲望や不誠実さに対抗する術を持たない不公平な状況に置かれて、ただ翻弄されるしかない存在であった。
『華麗なるギャツビー』(2013年)のヒロイン役デイジー・ブキャナンもまた、多くの人が印象に残る役柄だ。ここでキャリー・マリガンは、主人公ギャツビ-(レオナルド・ディカプリオ)に激しく愛される女性をデイジーを演じている。『華麗なるギャツビー』で描かれるギャツビーとデイジーの愛情関係、ギャツビーの執着心は不健全である。ギャツビーには、5年前にデイジーに恋をしながら、思うように成就できなかった後悔がある。ギャツビーは、金さえあればあらゆる問題が解決できると考える愚かな人物で、名誉も、人間関係も、愛情も、あるいは過ぎ去った時間さえも、金を出せば取り戻せると信じているのだ。
ギャツビーにとってのデイジーは、大金と引き換えに交換できる成功の証であり、暗い過去を成功と金で帳消しにしたいという欲望の象徴だった。デイジーをひとりの人間として愛しているというよりは、過去の美しかった記憶や、人生のやり直しに執着しているのであり、デイジーはその幻想につきあわされている面が大きい。「過去を取り戻したい」「失敗した過去も、金さえあれば払拭できる」というギャツビーの身勝手な欲望のための道具になっているような気がしてならないのだ。ギャツビーが愛しているのは記憶と幻想のなかのデイジーであり、いま現在を生きている生身の人間としてのデイジーではない。だからこそこの愛は悲劇的な結末を迎えるほかないのである。
また、刑務所に入っていた夫の出所を機に、トラブルに巻き込まれる『ドライヴ』(2011年)も同様だが、キャリー・マリガンの役柄には、男性との関係性から発生する苦悩がモチーフとなる傾向があり、それは最新作である『プロミシング・ヤング・ウーマン』まで続いているように感じる。『ドライヴ』におけるキャリー・マリガンもまた、本人には何の責任もないにもかかわらず、気がつけば男性側の事情に巻き込まれてしまっている。かくして、男性の幻想や身勝手な欲望によって翻弄される女性を長らく演じてきたキャリー・マリガンは、最新作『プロミシング・ヤング・ウーマン』においてついに反旗ののろしを挙げ、逆襲を始めたのではないかと思えてくる。
『プロミシング・ヤング・ウーマン』が観客へつきつけるのは、この社会においていかに男性が甘やかされ、問題行動や犯罪行為をおこなっても処罰されない環境にあるかという事実にほかならない。そうした社会で女性は絶望し、恐怖におびえながら暮らすほかない。だからこそ、キャシーはこの不公平な男性優位社会に対して徒手空拳で立ち向かい、どこまでも抵抗し、暴れ回らなくてはならないのだ。スマートフォンに残された映像を見たキャシーの怒りを、われわれは想像しなくてはならないし、これまで当たり前とされてきたものごとを変えるタイミングが本当に訪れたのだと感じている。こうした脚本にリアリティを感じさせてくれるのは、キャリー・マリガンという俳優の実力にほかならないだろう。
■公開情報
『プロミシング・ヤング・ウーマン』
公開中
脚本・監督:エメラルド・フェネル
編集:フレデリック・トラヴァル
出演:キャリー・マリガン、ボー・バーナム、アリソン・ブリーほか
配給:パルコ
2020年/アメリカ/英語/113分/シネスコ/ドルビーデジタル/原題:Promising Young Woman/日本語字幕:松浦美奈/PG-12/ユニバーサル映画
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