『ANORA アノーラ』は“ハッピーエンド”なのか? 光と影の“対等”な2人を読み解く

『ANORA アノーラ』は“ハッピーエンド”?

 映画『ANORA アノーラ』のどんな煌びやかな場面より、エンドロールの後ろで静かになっている車のワイパーの音が忘れられない。降りしきる雪を払い続けるその音は、“アニー”ことアノーラ(マイキー・マディソン)が「あんたらしい車」と言ったように、イゴール(ユーリー・ボリソフ)に似ていた。そしてそれは、前日の夜の、積雪の予報を聞きながら話す2人の会話を、さらには彼が「首元が冷えると風邪を引く」と言って少し前まで彼女の口を塞ぐ猿ぐつわ代わりにしていたスカーフを差し出すことで彼女に怒られる姿を、そして彼女に自分の上着を着せる彼の姿まで連想させて、あまりにも無骨な優しさとなって観客の心に降り注ぐのである。

 アカデミー賞作品賞含む最多5部門を受賞した映画『ANORA アノーラ』は、『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』のショーン・ベイカーが手掛けた8作目の長編映画である。ロシア系アメリカ人のストリップダンサー・アノーラを主人公に、「身分違いの恋」という古典的なシンデレラストーリーのその先を描くという触れ込みの本作は、実際職場のクラブで出会ったロシア人の御曹司イヴァン(マーク・エイデルシュテイン)に見初められ、延長に延長を重ねた末にラスベガスの教会で衝動的に結婚するまでは典型的なシンデレラストーリーだ。

 だが、シンデレラストーリーは瞬く間に終わりを迎える。突然の結婚騒ぎに怒り心頭のイヴァンの両親が乗り込んできて、結婚を無効にすることを迫るからだ。しかし、イヴァンとその仲間たちという、本来なら彼女の人生に決して交わることのなかった若者たちと肩を並べ海辺ではしゃぐ、絵に描いたような青春の光景より、イヴァンの両親が差し向けた手下の男たち3人とともにイヴァンを捜索する場面の方が奇妙なほど画になっているように、むしろ彼女の人生の物語は、そこから始まるのだった。

 ショーン・ベイカーがアノーラ役のマイキー・マディソンに対し役作りの参考として『女囚701号さそり』を勧めたというエピソードがあるが、まさに梶芽衣子演じる『女囚701号さそり』の主人公・松島ナミのように射抜くような眼差しで、アノーラは、彼女の周りに次々と現れる、彼女が手に入れるはずだった幸せを阻む人たちと対峙する。幸せを阻む人たちとは、イヴァンの両親と、両親が差し向けた屈強な男たちのことだ。彼女との結婚を「楽しいアメリカ旅行」の最後のイベントとしか思っていなかった男性・イヴァン(ひょっとすると親に決められた人生から抗いたいと思う彼の一時の感情の現れだったのかもしれないとも思わせるが)もまた含まれる。彼ら彼女らに対し、全身全霊で怒り、叫び、噛みつく彼女を前に、ほろ苦い現実は逃げてくれないが、彼女の心は決して屈することはない。

 そんな彼女の強さを、真正面から見つめている人がいる。『コンパートメントNo.6』のリョーハ役の好演も記憶に新しい、ユーリー・ボリソフ演じる、イヴァンの両親が差し向けた手下の1人・イゴールである。アノーラが飛行場でイヴァンの母親(ダリア・エカマソワ)と言葉を交わす場面において、カメラは2人と、目の前にいるアノーラを真っ直ぐに見つめているイゴールを映す。彼は、気づいたらいつも彼女の傍に佇んでいる。彼女の名前が持つ意味そのままに、自分の立っている闇さえ明るく照らす光のようなアノーラに対して、イゴールは、彼女の影そのものだ。

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