Netflix映画『啓示』が描く現実社会の問題と人間の心理 ヨン・サンホ監督の集大成的作品に

映画『新感染』シリーズや『ソウル・ステーション/パンデミック』(2016年)などのアニメ作品、ウェブトゥーン作品、また、Netflixでの『地獄が呼んでいる』、『寄生獣 ザ・グレイ』などドラマシリーズを手がけるなど、縦横無尽の活躍を続けているヨン・サンホ監督。娯楽性を担保しながら、人間のさまざまな心理を描き、現代社会に横たわる倫理的な問題を浮かび上がらせるという作風が、多くの観客、視聴者に支持されている。
そんなサンホ監督の、社会と心の問題をめぐるテーマがシンプルに凝縮された、一つの集大成といえる映画『啓示』が、Netflixからリリースされた。監督はメディアに、「これまで表現してきたファンタジー要素を排した、現実的で身近な題材を扱った」、そして「ついに自分の作家的な本質を捉えたような気がする。私の作品を観たことがない人には、今回の映画を薦めたい」と、『啓示』の出来への自信を語っている。(※)
ここでは、そんな本作『啓示』のテーマを明らかにしながら、さまざまな描写が照らし出す要素と、現実の社会との関連を照らし出していきたい。
※本記事では、映画『啓示』の重要な展開に言及しています。ご注意ください。
物語の中心となるのは、牧師ソン・ミンチャン(リュ・ジュンヨル)だ。ミンチャンは信仰心に篤く、長年のあいだ教会に尽くしてきたが、組織のなかで軽く扱われ、なかなか出世できないでいた。ある日、ミンチャンは自分の娘が行方不明になったと聞き、性犯罪歴のある信徒クォン(シン・ミンジェ)が娘を誘拐したのだと考え、彼のあとをつけることにする。
山中で二人は揉み合いになり、ミンチャンはクォンを崖下に落としてしまう。罪の意識を感じるなか、ミンチャンが顔を上げると、遠くの岩肌に神のような、または主・イエスの顔のような陰影が浮かび上がる。彼はそれを「啓示」であると考え、自分の行動は神の意志が介在する、必然的な運命であると考え始める。そして、自分の罪を覆い隠そうと、犯罪に手を染める度に、ミンチャンの前には「啓示」が表れるようになるのである。
もう一人の主人公は、刑事のイ・ヨニ(シン・ヒョンビン)である。クォンの犯罪の犠牲者となり命を失った女性の姉でもあるヨニは、憎きクォンが新たにかかわっている可能性のある、少女の失踪事件を捜査することになる。彼女は、クォンへの復讐心を抱きながら、ミンチャンに対しても疑惑の目を向けるのだった。
本作の特徴的なギミックは、このミンチャンからヨニへと、途中で主人公が交代するところにある。「サスペンスの帝王」アルフレッド・ヒッチコック監督は、サスペンス映画の代表的な傑作『サイコ』(1960年)にて、同様の交代の試みを、観客の度肝を抜くかたちでおこなったように、そこでは視点の移り変わりだけでなく、作品のトーンを大きく変える効果を生み出している。本作と『サイコ』との共通点はそれだけではない。自分自身でない存在に、自分の行動や心理を委ねる人物が描かれるというところも、類似しているといえよう。
物語が進むなかで分かってくるのは、前述した3人のキャラクターに意外な共通点があるということだ。ミンチャンはさまざまな場所に神からの「啓示」を見出す。ヨニは亡くなった妹の幻影から逃れられない。そして加害者であるクォンもまた、子どもの頃から性暴力を含めた、惨たらしい虐待を経験し、自分以外の誰かに操られている感覚が描写されるのである。
とくに象徴的なのは、妹の仇であるクォンを目の前にしたヨニの前に、妹の幻影が現れ、「殺して」とうったえかける場面だ。サンホ監督が「ファンタジー要素を排した」と言っているように、ここでのヨニの妹は幽霊というわけではなく、あくまでヨニ自身の精神が生み出したイメージに過ぎない。ヨニは妹を救えなかったことで、深い罪悪感に囚われていたのである。
この後の描写で分かるのは、ヨニが妹の幻影が頻繁に現れることに悩まされ続けていたということだ。それはつまり、彼女自身が大きな罪悪感に押しつぶされそうになりながら、毎日を生きていたことを示している。ヨニは妹の幻影を満足させるためにクォンを殺害する衝動に突き動かされるが、それは実際には、ヨニが自身の罪悪感から逃れる手っ取り早い方法だったともいえる。そういう意味では、彼女は自分の心理的な負担軽減のために妹の幻影を利用しようとした部分もあるといえるのではないか。
ミンチャンの見る「啓示」は、さらに露骨である。彼もまた、自分が反社会的行動に出る際に、都合よく神からメッセージが送られていると思い込む。劇中ではこれを、無意味なものから意味を感じ取ってしまう、「アポフェニア」といわれる精神的症状と説明している。本作にとって重要なのは、彼がそこに自分の欲求を投影し、“神”に責任転嫁しようとする点である。