『悪い夏』は『あんぱん』前に観るべき一作 北村匠海ら“主役級”の演技者たちによる狂宴

『悪い夏』は『あんぱん』前に観るべき一作

 目が合ったとき、なんだか不安な気持ちになる。うまく言葉にできないけれど、その目とこの目が合ったとき、心に不穏なものが広がっていく。そういう“目”というものがある。この社会に、他者との人間関係に、そして自分自身に、疲れ切って絶望している目だ。映画『悪い夏』に登場する者たちは、その多くがこのような目をしている。「これは映画なのだから」と安心していると、たちまち観客は地獄へと引きずり込まれることになるだろう。彼ら彼女らが息づく地獄とは、実際に私たちのすぐそばにあるものなのだから。

『悪い夏』©2025 映画「悪い夏」製作委員会

 本作は、作家・染井為人による同名小説を、話題作や問題作を立て続けに世に放つ城定秀夫監督が映画化したもの。脚本を手がけているのは、『愚行録』(2017年)や『ある男』(2022年)といった、小説を原作とした映画を名作へと押し上げてきた向井康介だ。この三者によって生み出された映画『悪い夏』は、2025年の「話題作」にして「問題作」であり、そして「名作」になるものだろう。本作が描いているのは、気弱で生真面目な公務員の青年が“闇堕ち”していくさまと、彼を取り巻く者たちの群像劇である。

 主演を務めているのは、間もなく朝ドラ『あんぱん』(NHK総合)の放送がはじまる北村匠海。これから日本の“朝の顔”になろうとしている人物が、この『悪い夏』では無害な若者が“闇堕ち”していく過程を体現している。各キャラクターは完全に対極にあるものだといえるだろう。この2作の北村に同時期に触れることで、俳優としての彼のポテンシャルの高さをより味わえることだろう(視聴者/観客によっては人間不信になるかもしれない……)。

『あんぱん』写真提供=NHK

 とある役所の生活福祉課で働く主人公・佐々木守(北村匠海)は、同僚の宮田有子(伊藤万理華)からある相談を受ける。その内容とは、同じ職場の先輩が生活保護受給者であるシングルマザーに肉体関係を迫っているかもしれないため、事の真相を明らかにすべく、受給対象者である林野愛美(河合優実)のもとに一緒についてきてほしいというものだ。

 うだるような暑さが続く夏。だが、全身から吹き出しては滴り落ちる汗は、やがて冷たいものへと変わっていくことになる。そう、佐々木は地獄への扉を開けてしまうのだーー。

『悪い夏』©2025 映画「悪い夏」製作委員会

 日本の四季の中で、夏がもっとも好きだという人はとても多い。スイカ、かき氷、ビアガーデンにバーベキュー、昼は水着姿でビーチではしゃぎ、夜には浴衣を着て打ち上げ花火を見上げるーー。そんな光景を思い浮かべてみると、いくら2024年の夏の酷暑を憎んでいた私でさえ、ちょっとは夏が待ち遠しくなるというもの。ワガママな自分にあきれてしまう。

 しかし、『悪い夏』の世界で佐々木が過ごすのは、そういった健康的な夏とはまったく無縁なものだ。立っているのもやっとな夏であり、むせ返るような熱気がスクリーン越しに伝わってくる。佐々木たちはつねに汗みずくで、ときおり表情は歪み、いまにも倒れてしまいそう。本作にはそんな夏の暑さが収められている。それは原作小説の活字情報から私たちが感じ取ることのできる夏の暑さの、おそらくその何倍も残酷なものだろう。気がおかしくなってもしかたない。そんな「夏」を本作は描出してみせているのだ。

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