『ヒックとドラゴン 聖地への冒険』のテーマは「自立と旅立ち」 ドラゴンの存在を信じさせる仕掛けとは

『ヒックとドラゴン』完結編が持つ一貫性

 ドリームワークス製作のアニメ『ヒックとドラゴン 聖地への冒険』が公開されました。正直、ここまでの完成度の高さとは思っていなかったので、観賞後はしばらく気持ちが昂ったままでした。鑑賞中、私はトゥースと共に大空を舞い、ヒックの気持ちに共感して涙し、最後は年甲斐もなく「ドラゴンはこの世界のどこかに存在しているんだ」と信じることができました。

 このホリデーシーズン公開中アニメーション映画の中で断然お勧めしたい『ヒックとドラゴン 聖地への冒険』の魅力を伝えていきたいと思います。

『ヒックとドラゴン』シリーズは、まるでミルフィーユ

 3作目で完結篇となる『聖地への冒険』を観終わった時の衝撃は忘れることができません。なんという統一感と一貫性。一作一作が独立して面白いけれど、3作まとめて見たら、ヒックとトゥースの成長と独立をダイナミックに楽しむことができる。例えるなら、一枚一枚の層を剥がして食べても美味しいけれど、まとめて食べたら濃厚なハーモニーが口の中で広がるミルフィーユのような作品。そこに雑味はありません。

 なぜそんなことができたのかと言うと、本シリーズの監督と脚本はディーン・デュボアが担当しているから。一作目こそ、クリス・サンダースとウィル・デイヴィスとの共同執筆ですが、『2』と『3』はデュボアがこだわりを持って仕上げています。

 そのため、シリーズものにありがちな、続編での方向性の変更はなく、テンポやリズムが保たれています。なんなら子ども向けアニメーションでは避けがちな会話に頼る長尺シーンまで3作通して登場しています。

子ども向けなら避けたいシーン

 通常、ファミリー向けアニメーション映画では、子どもの集中力を考慮して、会話だけのショットは極力避ける傾向があります。尺を短めにして、テンポよくショットを切り替えることで子どもが退屈してしまわないようにするのが一般的です。

 しかし、本シリーズでは、崖っぷちでヒックとアスティが会話するシーンは常に長尺で、ボディランゲージも少なめ、セリフに集中させる構成になっています。しかもその会話の内容も、ヒックが抱える悩みであったり、未就学児や小学校低学年が共感しやすいものではありません。2010年公開の『ヒックとドラゴン』で初めてそのシーンをみた時は、子ども向けアニメーションでありながら随分と挑戦的なシーンを入れるものだなと強く印象に残りました。しかし、このパターンはシリーズが進んでも使われていたため、作品を象徴するシーンのひとつなのだと解釈するようになりました。パターンを把握できると、製作者側の気持ちを理解できるようで、作品により親しみを感じられます。上で「雑味がない」と書きましたが、脚本の段階で、演出の段階で変更できる部分もあえて変えず、パターン化してしまうことによって小さな違和感すら生じさせないテクニックには感動すら覚えました。

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