『冬時間のパリ』オリヴィエ・アサイヤスが危惧する映画界の未来 「形態そのものが揺らいでいる」
オリヴィエ・アサイヤス監督作『冬時間のパリ』が現在公開中だ。エリック・ロメール監督の『木と市長と文化会館/または七つの偶然』に着想を得たという本作は、紙からデジタルへ、テクノロジーの進化と共に変化を迫られるパリの出版業界を舞台に、編集者と女優、作家と政治家秘書という、2組の夫婦の愛の行方を描いたコメディ・ラブストーリーだ。
第32回東京国際映画祭では最新監督作『WASP ネットワーク』、第20回東京フィルメックスでは、ホウ・シャオシェンを追ったドキュメンタリー『HHH:侯孝賢』が上映され、アンスティチュ・フランセ東京では特集上映が組まれるなど(2020年1月3日からはBunkamura ル・シネマでも開催)、過去作から新作まで日本でも観られる機会が多くなっているアサイヤス作品。リアルサウンド映画では、『冬時間のパリ』を中心と過去作との繋がりから、デジタル化を巡る映画界の未来まで、来日を果たしたアサイヤス監督に話を聞いた。
「映画論を語るのに最もふさわしいのはコメディ」
ーー『冬時間のパリ』は、同じ出版業界を舞台にした1998年の監督作『8月の終わり、9月の初め』と通じる部分があるように感じました。あの作品は、当時『イルマ・ヴェップ』など挑戦的な作品が続いていた中で、映画とは何かに立ち返るという意味で作られたそうですが、今回の『冬時間のパリ』にもそのような側面はあるのでしょうか?
オリヴィエ・アサイヤス(アサイヤス):『8月の終わり、9月の初め』の頃は、役者と共犯関係を築くような仕事の仕方ができたので、非常に自由を得られていました。今回の『冬時間のパリ』も、シナリオをがっちりと固めるわけではなく、とても自由なかたちで書き進めることができたので、制作過程における自由さという意味では、たしかに『8月の終わり、9月の初め』と通じるものがありました。さらに今回は、フランス語に立ち返りたいという思いがありました。この作品以前は、英語の作品や時代ものが続いたので、今回は言葉や対話が中心になっていくストーリーを、自分の母国語であるフランス語で、フランスの役者と一緒にやりたかったんです。
ーー『夏時間の庭』『アクトレス〜女たちの舞台〜』に続くコラボレーションとなったジュリエット・ビノシュは、どのような経緯で出演することになったのでしょうか?
アサイヤス:ジュリエットとの仕事は楽しいんです。彼女のユーモアセンスにインスパイアされる部分もありますね。今回、一番最初に書き上げたのは、まさに映画の最初のシーンだったのですが、ここではジュリエットは出てきません。次のシーンのシナリオを書こうと思った時に、ジュリエットのことを思い浮かべたら、すごくインスピレーションが湧いてきました。彼女が登場することによって、活気が生まれる気がしたのです。ギョーム・カネが演じたアランは、真面目で責任感が強くて、よく物事を考える人物。そんな文学の世界に生きるアランの伴侶であるセレナが、ジュリエットのような、少し無責任で常軌を逸したところもある一方で、すごく生命力のある女性だと、すごく面白くなると思いました。それとは別に、彼女とは仕事以外のところでも友情を育んできているので、共犯関係を共有している友人としての喜びもあるわけなんです。
ーーアランとセレナのやりとりも含め、この作品はコメディと言えると思います。監督自身はコメディという意識を持っていたのでしょうか?
アサイヤス:コメディである可能性はシナリオの後半で気づきました。確信もないまま書き進めていたので、書き終わった時にようやく「これはコメディ的なトーンになっているな」と思ったぐらいです。題材的に、書いている途中はもっとシリアスなトーンになると思っていましたから。
ーー確かにデジタル化というシリアスな題材を非常に軽やかに描いているのが印象的でした。
アサイヤス:少しテイストは違うのですが、映画論について描いた『イルマ・ヴェップ』に近いかもしれません。あの時も、映画論を語るのに最もふさわしいのはコメディだと思っていました。