『いだてん』がドラマ史に残る画期的な作品となった理由 “オリンピック”で重なった昔と今

『いだてん』がドラマ史に残る画期的な作品となった理由 “オリンピック”で重なった昔と今

 NHK大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~』が、12月15日、いよいよ最終回を迎えようとしている。それにしてもこのドラマは、本当に驚きの連続だった。個人的には、その内容はもちろん、それがオンエアされるタイミングともども、「ドラマの概念を超えた」と言ってもいいぐらい衝撃的な作品だった。

 そもそも、本作の制作が発表された当初、誰がこのようなドラマになると想像しただろうか。かつて、NHKの連続テレビ小説『あまちゃん』で一大センセーションを巻き起こしたとはいえ、大河ドラマは初執筆となる脚本家・宮藤官九郎が、“オリンピック”を題材に描き出すオリジナル作品という触れ込みだった本作。その物語は、大きく二部に分かれており、第一部は、まだ「スポーツ」の言葉もない時代、1912年に日本人としてオリンピックに初参加した金栗四三という人物が、そして第二部は、1964年の東京オリンピックの開催に向けて尽力した田畑政治という人物が、それぞれ主人公になるという。というか、彼らは一体、どんな人物なのだろう? ここまで知名度のない人物が大河ドラマの主役となることは、まさしく異例中の異例と言える出来事だった。

 本作の制作が発表されたとき、宮藤官九郎は、こんなメッセージを発表していた。

「日本人が初めてオリンピックに出場した明治の終わりから、東京にオリンピックがやってきた1964年まで、およそ50年。戦争と政治と景気に振り回された人々の群像劇。歴史に“動かされた”人と町の変遷を一年かけてじっくり描く予定です」

 いや、実際蓋を開けてみれば、確かにその通りではあったのだが、それらの人物たちをじっくり描き出すことが、来年に二度目の東京オリンピックを控えた今――さらに言うならば、その開催に向けて、どうにも足並みがそろっているとは言い難い今、視聴者にこれほどまで悲喜こもごもの深い感慨をもたらせるとは、正直夢にも思わなかった。そもそも、オリンピックとはどんなものであり、そこに国として参加することは、選手として参加することは、果てはそれをホスト国として開催することは、それぞれの時代において、どんな意味を持っていたのか。それは、現在のオリンピックと何が同じで、何が違うのだろうか。

 そんな問い掛けが、大上段に振りかざした問題提起ではなく、あくまでもその時代を生きてきた人々を描くことによって浮かび上がってくる点が、何よりも衝撃的だったのだ。第一部、第二部ともに、一応主役らしき人物はいるものの、その人の生涯にスポットを当てるのではなく、まさしく“時代”そのものを主人公として、そこに生きる人々の群像劇を描き出すこと。

 その際に、最もチャレンジングだったのは、やはり本作に登場する人物の多くが、実在の人物であった点だろう。金栗四三(1891年‐1983年)、田畑政治(1898年‐1984年)、そして古今亭志ん生(1890年‐1973年)といった明治生まれの人物たちをはじめ、膨大な数に上る登場人物たちのほとんどが実在の人物であり、実際の名前でドラマに登場するのだ。一応最後に、「このドラマは、史実を基にしたフィクションです」という但し書きは入るものの、近年の朝ドラのように、実在の人物をモデルにした“フィクション”であることを強調しながら、その名前も設定も大胆に変えて描き出すやり方とは異なり、実在の人物を徹底的に調べ上げながら、その知られざる関係や繋がりを、“想像”を交えながら描き出してみせること。戦国時代の人々ならばいざ知らず、その本人はともかく、その家族や親族は存命である人物を、ドラマのなかで自由に描き出すことは、相当難易度が高いと同時に、その許可取りといった面でも、膨大な手間暇が掛かったことだろう。けれども、「事実は小説よりも奇なり」とは言うもので、一見するとフィクションのように思える出来事が、実は資料的な裏付けのある実際の出来事だったりすることも、本作の面白さのひとつだった。

 無論、その背景には、気が遠くなるほどの労力を掛けた、徹底した事前調査があったという。一般に流通している書籍や資料はもちろん、本人の日記や手紙などの一次資料、さらには現地に赴いて感じた町や建物、そして人々の雰囲気や関係者の声に至るまで。宮藤官九郎が、そこから物語を立ち上げるための資料の数と、それらをもとに綿密に組み上げていった街並みや背景などVFXの数は、大河ドラマ始まって以来の膨大な規模になったという。

 それはどこか、2016年に公開され、間もなく新作『この世界の(さらいにいくつもの)片隅に』が公開されようとしている片渕須直監督のアニメ映画『この世界の片隅に』を彷彿とさせる。一次資料を丹念に読み込むことはもちろん、自らの足で現地に赴き、その風景はもちろん、そこに暮らす人々や関係者の声に耳を傾けながら、当時の人々はもちろん、当時の物の形やその位置に至るまで、丹念に調べ上げながら、創作に反映していったという『この世界の片隅に』。さらには、いわゆる歴史上の人物のような著名人ではなく、これまで語られることのなかった、その時代を生きた市井の人々(この世界の片隅)を描き出すこと。そのふたつが、この二作品には共通しているように思うのだ。

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