横浜流星演じる蔦重が仕事人の鏡過ぎる 『べらぼう』の物語自体も“神様からの導き”のよう

火事と喧嘩は江戸の華。NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』も、始まりは明和の大火だった。その火事のおかげで臨時的に吉原が活況となったこともあった。それゆえに、また火事を望む悲しい遊女の姿も。人口が密集し、燃えやすい木造家屋だった江戸の町は、火事とは切っても切れない暮らしをしていた。
そして、振り返ってみれば蔦重(横浜流星)は毎度殴られてばかりだ。ちょっと気に食わないことがあれば、忘八たちから容赦なくげんこつが飛んでくる。「べらぼうめ」と怒鳴られる。思い切りのいい性格だからこそ、江戸っ子たちは喧嘩っ早かった。

現代よりもずっと不自由で理不尽な暮らし。自分の力ではどうしようもできない不甲斐なさや憤りが、日常のちょっとしたいざこざに託つけて爆発してしまうのも、仕方なかったのかもしれない。もしかしたら、この時代は喧嘩が人々の鬱憤を晴らすためには必要悪だったのではないかとすら思えてくる。そして、そんな時代だからこそ生まれた「粋」もあったのだろう。
第12回「俄なる『明月余情』」は、吉原で俄(にわか)祭りの様子が生き生きと描かれた。笑ってしまったのは、忘八のなかでもひときわ血の気の多い大文字屋市兵衛(伊藤淳史)と、若木屋与八(本宮泰風)の雀踊り対決だ。

いつも怒鳴り殴り散らかす横暴な大文字屋と、自分がこうだと思ったら譲らない若木屋。そんな2人が俄祭りの覇権を争う羽目になった。蔦重はどうしたものかと頭を抱えたが、吉原の馴染み客・平沢常富(尾美としのり)から「山王や神田も張り合うからこそ、どんどん祭りの山車が派手になった」として、割れているのも悪くないと諭される。
自分が仕切れなければ祭りそのものをなくしてしまえと躍起になる大文字屋に、「何も潰すことはねぇでしょ! 実力で奪い取りましょう」となだめる蔦重。そんな姿に少し前の無鉄砲な蔦重ではないことに気づかされる。物事を長い目で見ること。直進では難しくとも回り道で目的にたどり着けることもある。そんなふうに考えられる器が育ってきていることを感じずにはいられなかった。
およそ1カ月間も続く俄祭り。祭りが開催された後も、大文字屋と若木屋の争いに決着はつかない。そして譲ることを知らない両者は、雀踊りで対峙することに。現代でもダンスやラップなどバトルものが観客を熱狂させるように、この構図に祭りはさらに盛り上がることになった。悪態をつくのもちゃんと踊りながら、という妙な真面目さも面白い。そして、引き連れていた踊り子たちが立ち去っても踊り喧嘩を繰り広げる2人には笑ってしまう。


そんな活気あふれる祭りの様子を「今から描きますか」と勝川春章(前野朋哉)を焚きつける蔦重。「春章の手にかかるとどうなるか俺も見てぇし」「先生が見たのを描いてくだせぇよ!」とクリエイターをその気にさせる言葉を並べるのもうまい。
さらに、鱗形屋(片岡愛之助)との付き合いの手前、青本を出すことは難しいという平沢こと朋誠堂喜三二に、「序ぐらいなら、書いていただくことできませんか? お願いします!」と依頼。事情を汲んだ上で、それでも一緒に仕事がしたいという姿勢を見せてくれるところもまた書き手のモチベーションを高める言動だ。