『君の名は。』との共通点と相違点から、新海誠監督最新作『天気の子』の本質を探る

『君の名は。』と探る『天気の子』の本質

 2016年に社会現象といえる、思いがけない特大ヒットを記録した劇場アニメーションが公開された。新海誠監督の劇場長編作品『君の名は。』である。かつて一部のファンによって支持されてきた新海作品だが、この作品については広い観客に向け大規模公開され、とくに多くの若者の心をつかむ興行的成功を収めて大メジャー作品となったのだ。

 熱狂は果たしてこの先も続いていくのか……? 続く新海監督の次作『天気の子』には、否応なしに熱視線が浴びせられることになった。さて、そんな期待高まる状況のなか、ついに公開された『天気の子』の内容はどうだったのだろうか。ここでは、前作『君の名は。』のヒットの理由もあわせて考察しながら、同時に作品の本質を探るべく考察を進めていきたい。

 まず、思った以上に前作の『君の名は。』に雰囲気が近しいというのが、第一印象だ。少なくとも表面的には姉妹作品と言っても良いくらいに、物語の語り方のみならず、作中に散りばめられた要素や雰囲気にも重なるところが多く感じられる。それは、例えばキャラクターデザインを引き続き田中将賀が務めていることや、音楽をまたしてもRADWIMPSが担当していることなど、前作をまたいで参加している主要なスタッフもいるので、当たり前といえば当たり前だといえるかもしれない。しかし、それを選択したのも、監督でありプロデューサーであることも確かである。おそらく本作は、大筋では“『君の名は。』のような作品”をもう一度作ることを要請されていたのだろう。そしてその要望は本作で最低限、成し遂げられていると思える。

 前作を大筋で踏襲することによって、本作のインパクトは比較的小さなものになっているのはたしかだ。とはいえ、前作のような臆面もないように感じられたコテコテなオープニング・アニメーションの演出は廃止されるなど、映画作品としてはスマートに、より洗練されたことで、本作は“普通の映画”に近づいてしまったように思えるのだ。それは美点になり得るところだが、同時に圧倒的だった個性を薄めてしまったとも判断できる。

 『君の名は。』に、おそろしいまでの勢いがあったのは、例えば主人公たちの気持ちをそのままの歌詞にした楽曲が、劇中で何曲も使用されているという異様な“まっすぐさ”にもあった。そして声を合わせて自分の恋心を叫ぶような、思わず赤面してしまうような演出というのは、分かりやすいモチーフであった『転校生』(1982年)などの80年代青春映画を通り過ぎ、『青い山脈』(1949年)の岸壁で、海に向かって「好きだ」と叫ぶような地点にまで先祖返りをする。

 ここから分かるのは、多くの若者は、じつは洗練された恋愛映画を求めているわけではなく、むしろ『青い山脈』のような、素朴かつ実直な描写をこそ希求していたのではないかということだ。それはひとまず、このような“ベタさ”へと回帰したがる、若い世代における保守化の一端を表しているといえるのかもしれない。その意味で本作は、『君の名は。』のファンからは物足りないと感じられるかもしれない。

 それはさらに、宗教的モチーフをベースにざっくりとした裏付けを得た、時空を超えたファンタジーという世界観への無警戒さとも無関係ではないはずだ。そしてそれは、日本神話や『とりかへばや物語』などの古典によって結び付けられる、“前世からの許嫁(いいなづけ)”という、スピリチュアルかつ前時代的な関係性を支持してしまうような、日本の当世風の若者の、内向きの感覚をすくい上げているといえよう。本作『天気の子』もまた、このような神道系スピリチュアルを、『月刊ムー』というオカルト雑誌をクッションに、龍神・稲荷神社にまつわる天候を題材にしたファンタジーのなかに織り込んでいく。

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