『全修。』は何を描き、何を“修正”したのか? アニメに“救われた”者を再び救う

MAPPAスタジオの手がけるオリジナルアニメ『全修。』が全12話をもって完結した。すごい作品であった。
山﨑みつえが監督を、うえのきみこが脚本を、両者とMAPPAが原作を務めた本作は「天才アニメーターが新作の構想に悩む最中、腐ったハマグリ弁当を食べて異世界に転生する」という、とんでもない展開から始まる。正直、放送前はアニメ会社に勤める主人公が「全修」を言い果たされ、無茶なスケジュールを乗り切ろうと頑張る……そういった“お仕事系アニメ”かと、予想していた。なにせ、完全オリジナル作品であるため内容は放送されるまで誰も知る余地がないのだ。しかし最終話まで描かれた本作は、想像よりもずっと希望的で、単なる“異世界モノ”に留まらない、現実や個人の記憶に繋がるような温かみ溢れる作品だった。
※本稿には『全修。』最終話までのネタバレが含まれます。
オリジナルの中に詰め込まれた“アニメ史”
気がつけば異世界、いや子供の頃から自分が夢中になっていたアニメ映画『滅びゆく物語』の中に迷い込んでいた主人公の広瀬ナツ子(CV.永瀬アンナ)。映画通りの物語が展開されていく中、作中で死んでしまうキャラクターを助けたり、世界を終わりとする「超空洞ヴォイド」を誕生させないように画策したりと、『滅びゆく物語』を改変していく。ポケットの中に入っていた不思議な力を持つタップに指示されながら、彼女は“描く”ことで文字通りその世界を、そこに住む人々を救っていく。
この敵「ヴォイド」と戦うシーンが、シリーズを通して一つの魅力になっている。毎回、同じ“変身シーン”が繰り返し挿入される仕様に『セーラームーン』や『プリキュア』など、これまでのアニメ史に残るヒロインの変身シーンへのオマージュ、そしてこだわりを感じる。なんといっても、第1話で描かれたナツ子の出世作『スケバン魔法少女 暗黒学園』はまさに『セーラームーン』のパロディであり、主人公の声優も三石琴乃が演じていることも細かい。そしてナツ子が毎回違う形態で襲ってくるヴォイドに対応するために、アニメーターとして最適解な“武器”を描くのだが、このレパートリーも面白い。
第1話では地平線から無限にやってくる敵に『風の谷のナウシカ』を思わせる「巨神兵」を描く。第2話では空を飛ぶヴォイドに対して『超時空要塞マクロス』などで使われた、通称“板野サーカス”と呼ばれる戦闘演出が使われる。この生みの親であるアニメーター・板野一郎本人がこのパートを担当したことがクレジットでも明らかになっており、やはり『全修。』がナツ子というキャラクターを通してこれまでのアニメ史における重要な遺産へのリスペクトを描いているのがわかるのだ。
その後にも『タイガーマスク』や『天元突破グレンラガン』、『ドカベン』や漫画『アオイホノオ』、『機動戦士ガンダム』などの作品へのオマージュが散見される。面白いのが、それらのパロディ作の“伏線”がポスター画像として第1話の中にちゃんと映されているのもすごい。例えば社長がナツ子に差し入れを持っていき進捗確認するシーンの背景には、第5話に登場した侍の元ネタ『サムライ飯』のポスターが。そして場面転換の際に一瞬映し出される壁には『滅びゆく物語』を挟んで『サーバルキャットマスク』と『移動戦士イクダス』(原作・監督:鶴山亀太郎)のポスターがあり、お弁当を用意しているシーンでは新作『初恋 ファーストラブ』と『スケバン魔法少女 暗黒学園』に並んで『巨人物語』のポスターが貼ってある。
しかし、それらのオマージュの中で一番心に残ったのは第4話で登場した『うたう☆メンズアイドル』略して『うた☆メン』のメインキャラ「超実在イグジスト」だ。これは『うたの☆プリンスさまっ♪』略して『うた☆プリ』のパロディで、同作に登場する「一ノ瀬トキヤ」を演じる宮野真守が「イグジスト」の声も担当している。この回で、自分だけが長生きし、仲間が死んでいく世界で生き続けることに希望を見出せないニヒリストのエルフ・メメルンは“永遠に生きる推し”と出会う。ナツ子の描いた「イグジスト」は間も無くして消えてしまうが、ナツ子の“描いた”イグジストというキャラクターは一生、この世に存在し続けている。この「二次元に生きる希望を与えられた」ことを実直に描くことが、『全修。』において非常に重要なテーマなのだ。
何かに救われた、全てのひとへ
本作はアニメを愛し、アニメに救われてきた者の物語だ。今ほどアニメが一般化していなかった時代、“オタク”とラベリングされて「子供っぽい趣味」など揶揄われてきた者たちがいた。私もそのひとりなのだが、本作の第11話を観て中学生の時にアニメのキャラクターが好きで、アニメイトになけなしのお小遣いを握りしめてグッズを買いに行った時のことを思い出した。たかが、アニメかもしれないし、たかが二次元のキャラクターかもしれない。しかし少なからず、自分がそうであったようにそれに命を救われてきたことだってあるのだ。二次元と言われても、それは三次元に介入しているのだ。「イグジスト」がメメルンの“推し”として、生きる希望や支えになったように。第11話のワンシーンでも、学生時代の彼女が神社の風景画の中に、ナインソルジャーがお参りしている様子を書いていたが、これも彼女にとっての「二次元の三次元介入」を映している。それくらい『全修。』は作品全体を通してアニメーションが持つ力や影響力の強さを、パーソナルな語り口で主張する。
アニメじゃなくたって良い。ナツ子にとっての『滅びゆく物語』や勇者ルーク・ブレイブハートは、言わば何にでも置き換えられる。本作は、興行的に大コケし、世間的にも駄作扱いされた作品だって誰かにとって指針や希望になることだってある、という話でもあるのだ。