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“戦争小説”の書き手としてのサリンジャー 『ライ麦畑の反逆児』が捉えた生涯の苦しみと矛盾

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 1919年1月生まれの米小説家J・D・サリンジャーは、生きていれば今年で100歳。彼の生誕100周年を祝して、というわけでもないだろうが、サリンジャーにまつわる映画が連続して公開されている。2018年10月に日本公開された『マイ・プレシャス・リスト』の主人公女性キャリーは、愛読書が『フラニーとゾーイー』であり、作品全体もサリンジャーへのオマージュが随所に散りばめられた愛らしいフィルムであった。また、同じく昨年10月の日本公開作『ライ麦畑で出会ったら』は、サリンジャーを心の拠りどころとする高校生ジェイミーが『ライ麦畑でつかまえて』を演劇として公演するため、本人の住むニューハンプシャーの家へ会いに出かけて、舞台化の許可を直接取りつけようとする過程を描いたロードムービーである。サリンジャーの代表作『ライ麦畑でつかまえて』(白水社)は1951年の作品だが、60年以上前に発表された小説が21世紀になってもインスピレーションの源でありつづける点からも、彼が米文化に与えた影響力の大きさは計り知れない。

 『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』は、ケネス・スラウェンスキーの評伝『サリンジャー 生涯91年の真実』(晶文社)の映画化である。同書は、米文学の研究者や熱心なファン以外はまず手に取らないであろう、かなり専門的な評伝であるため、映画の原作となるのは意外だった。その点について調べてみると、かねてからサリンジャーを愛読していた監督ダニー・ストロングがその内容に感激し、映画化権を取得したという経緯があった(劇場用パンフレット内記述)。本作におけるサリンジャー像や、取り上げられるエピソードの納得度が高いのは、しっかりとした原作が下敷きであることにくわえて、サリンジャーをよく理解する監督によって手がけられた点が挙げられるだろう。主人公の生涯を、欠点や愚かさも含めてフェアに描きつつ、愛を持って作品化した『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』は、海外文学ファンにとっても満足度の高いフィルムである。

 作品冒頭、サリンジャーは病院にいる。1945年、彼は第二次世界大戦で厳しい戦いを経験し、終戦後にアメリカへ戻ってきたのだ。彼は負傷こそしなかったものの、精神的な傷を癒すために入院している。ノルマンディ上陸作戦にひとりの兵士として参加したサリンジャーは、まさに映画『プライベート・ライアン』(’98)に登場する、あの無数の兵士たちのひとりとして(オマハビーチからは上陸していないが)、激しい戦闘をくぐり抜けたのである。病院にいるサリンジャーは視点も定まらず、PTSDに苦しむ様子がうかがえる。「無数の人間の苦しみと破滅に、彼は取り囲まれていた。自分は根本から、認識できないほど変わってしまったのだと考えずにはいられなかった」(デイヴィッド・シールズ/シェーン・サレルノ『サリンジャー』角川書店 p191)。病院でうつろな目をした主人公を最初に提示した意図は、サリンジャーの作品がPTSD文学であり、戦場のでてこない戦争小説であるという原作の主張に沿ったものだろう。

      

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