『アリー/ スター誕生』は“本格派”の映画に 古い物語を現代にフィットさせた新たな解釈

『アリー/ スター誕生』は“本格派”の映画に 古い物語を現代にフィットさせた新たな解釈

 だが、その町でジャックは、アルコールやドラッグ以外に、心の支えとなる存在と出会うことになる。それがレディー・ガガ演じる、「アリー」という若く貧しい女性だった。彼女の歌唱力とソング・ライティングの才能に気づいたジャックは、自分のライブに彼女を出演させ、プロデビューの道を拓くきっかけを作る。

 描写を追っていくと、そこには情実がからんでいることも確かで、とくにハリウッドでは最近、映画プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインによる事件があったように、性的な行為と引き換えに仕事を与えるような印象を持たれかねない、きわどい部分がある。

 そこで本作の脚本は、アリーがたどり着く「社会的成功」を、ジャックとアリーの関係性からできる限り排除するように努めている。かつて、ジャネット・ゲイナー主演版や、ジュディ・ガーランド主演版の『スタア誕生』では、L.A.ダウンタウンの夜景を、ヒルズの豪邸から睥睨する場面が作品の象徴となっていた。本作にも同様に、いまやポップシンガーとしてスターの座につくアリーの顔が表示された、巨大な看板が立つ風景を眺める場面がある。しかし、そこでジャックはアリーに対して賞賛するどころか苦言を呈するのだ。

 アリーが指摘するように、ポップシンガーとしてグラミー賞すら射程に入れる彼女を、ジャックは「嫉妬」して妨害しているように見える。自分が手のひらで育てたシンガーが自分よりも売れることで、自尊心が破壊されたのだろう、というように。しかし本作については、彼女の飛躍を止めようとしてしていたのは、本質的には嫉妬心からではないことが示されている。

 大きなヒントになっているのは、売れなかった頃のアリーの自室の壁に飾られていた、キャロル・キングのセカンドアルバム『つづれおり』(1971年)のジャケットである。キャロル・キングは、もちろん歌手としてのパフォーマンスも行ったが、その才能の凄さは、やはりソング・ライティングにあったはずである。

 ジャックとアリーが出会った日、深夜のスーパーマーケットの駐車場で、ジャックは「君は歌が書ける」ということを強調していた。つまり、彼は自身がそうであるように、彼女の才能の本質部分は歌唱力などのパフォーマンスよりも、むしろソング・ライティングの方にあることを見抜いていた。そして、同じ才能を持った者だけが理解し合える関係のなかで、ジャックはアリーに惹かれ、アリーは誰よりも自分を理解してくれるジャックを受け入れた。

 その結びつきに比較すれば、アリーにスターになるチャンスを与える敏腕音楽プロデューサーは、彼女の本質的なところを汲み取れていないといえる。あの靴下を履かないように見せているプロデューサーは、自分のやれるベストを尽くしていたのかもしれないが、それはジャックがアリーに行った、深い理解をともなうプロデュースの次元には到底及びもついていない。それは、ポップソングやロックなどジャンルの話ではなく、もっと根本的で本質的な問題だ。

 そういう仕事を続けていったとしても、彼女の本来の才能は発揮されなくなるだろう。瞬間的に消費される似非の「スター」として、やがて見向きもされなくなるはずである。そのようなケースを経験上よく見てきているジャックだからこそ、彼女にそのようなアドバイスができるのである。しかし、とんとん拍子に人気を得ていくアリーは、それを危惧するジャックの違和感や機嫌の悪さを、「嫉妬」だと指摘してしまう。この不幸な誤解によって、ジャックはアリーに正面から真っ当な批判をすることが難しくなってしまうのだ。

 聴力の問題によって、ジャックのミュージシャンとしての将来は暗い。だから、アリーが才能を発揮することこそが彼の希望にもなっていた。その姿は、ジャックの兄でマネージャーでもあったボビーの立場に近い。ボビーは、ジャックの歌をどこかの若者が歌っているのを耳にして、「俺たちのやってきたことは無駄じゃなかったと思えた」と語る。

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