松江哲明の“いま語りたい”一本 第23回
怪獣映画と人間ドラマを掛け合わせた秀逸な一作 松江哲明の『シンクロナイズドモンスター』評
ポスタービジュアルや怪獣が登場するという情報から、B級映画の匂いも放っていた本作ですが、観終わったときの印象はまるで違ったものでした。分かりやすいハッピーエンドを描くわけではなく、主人公が“大人”への一歩を踏み出す模様を巧みに描いています。僕にとっては『ゴジラ』を期待したら、マーク・ウェブ監督作『(500)日のサマー』やジェイソン・ライトマン監督作『ヤングアダルト』のような「異性によって自分自身の幼さに気づかされる」映画に似た感触がありました。
2作品とも、ラブコメのジャンルに分類される作品だと思いますが、どちらも恋愛が成就してハッピーエンドとなるわけではなく、その先の、誰もが経験する“痛み”を描いています。そして、主人公が自分を見つめ、成長するきっかけのひとつとして恋愛を扱っていた。その点は本作にも通じるものがあるのですが、さらにそこに“怪獣”という異色のジャンルを掛け合せ、それが効果的に作用しています。人間ドラマに、怪獣映画のカタルシスも兼ね備えていて、その完成度とバランスに驚かされました。できるだけ事前情報なしの方が楽しめる作品になっているので、未見で映画を観るつもりの方は、読むのを中断して劇場に向かって下さい。
アン・ハサウェイ演じる主人公・グロリアは、ライターの仕事をしながらニューヨークで働くものの、会社からリストラされて酒浸りの日々。恋人からも追い出されて、故郷の田舎町に帰り、小学校の同級生・オスカーと出会う……というのが本作の導入部分です。ベタベタなラブコメ映画であれば、この同級生といい関係になり、彼女が新しい人生を歩み出す、という形になると思いますし、中盤まではその展開を匂わせます。
でも、本作は「こうなるんじゃないかな」と思う観客の予想をうまい具合に裏切っていきます。そこで登場するのが怪獣です。アメリカの田舎町で日々を送るグロリアが、韓国ソウルに現れた巨大怪獣とシンクロする、その設定は非常に馬鹿馬鹿しい。でも、登場するキャラクターには、誰もが自分を重ねてしまうような生々しさがあります。
主人公のグロリアだけでなく、出て来るキャラクター全員が、自分の価値観を疑っていない人たちです。ジェイソン・サダイキス演じるオスカーは、故郷に帰ってきたグロリアに、家具をあげたり仕事を紹介したりと、一見善人に見える。でも、オスカーのグロリアに対する優しさは、自分の力を誇示したいだけのものだと次第にわかってきます。田舎町に縛られてそこで生きるしかなったオスカーの切なさと弱さ、ニューヨークで仕事を謳歌していたグロリアへの嫉妬が見え隠れするのです。とても狭い世界で生きるしかなく、果たしてこれでいいのかと思っても、自分の生活を変えることができない。
グロリアの元カレであるティム(ダン・スティーヴンス)も、都会の成功者である自分に見合う彼女でいろと、グロリアが田舎のバーで働くことさえ許せない。グロリアが一晩の関係を持つジョエル(オースティン・ストウェル)も、先輩であるオスカーに頭が上がらず、彼女がピンチになっても助けることができないのです。そして、グロリアも自分の価値観を他者に伝えることができないから、お酒に逃げてしまう。でも、彼らを“駄目な人”として突き放すのではなく、“弱い人”として描いているところに、この映画の魅力があります。僕はそれぞれの登場人物に共感せずにいられませんでした。
※次ページより物語の結末に触れます