『豊臣兄弟!』で注目、石川数正の葛藤とは? 「二重スパイ説」を細密な心理描写で描く『徳川か、豊臣か。』

『豊臣兄弟!』で注目、石川数正の葛藤とは

 いよいよ、秀吉と家康が雌雄を決するときがきた! いわゆる「徳川四天王」――酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、井伊直政を筆頭に、武威と結束の固さで知られている徳川家臣団。その中にあってひとり、「小牧・長久手の戦い」からほどなくして、家康のもとから出奔し、秀吉側についた武将がいる。家康がまだ「竹千代」と呼ばれていた少年時代、今川家の人質となっていた頃から、近侍として家康を仕え続けてきた側近中の側近、石川数正だ。現在放送中の大河ドラマ『豊臣兄弟!』では迫田孝也が演じ、2023年の大河ドラマ『どうする家康』では松重豊が演じていたことも、記憶に新しい石川数正。30年以上もの長きにわたって家康と苦楽を共にしてきた彼は、なぜこのタイミングで、家康のもとを去ったのだろうか。それは依然として歴史上、大きな「謎」のひとつとなっている。

 吉川永青の小説『徳川か、豊臣か。』(中央公論新社)は、表題の通り、家康と秀吉のあいだで思い悩む石川数正の姿を、大胆な発想と解釈によって描き出した小説だ。物語は、織田信長が明智光秀に討たれた「本能寺の変」の直後、堺に投宿していた数正を含む家康一行が、命からがら領国・三河へと帰還する「伊賀越え」から幕を開ける。謀反人・光秀の討伐から「清須会議」を経て、さらには「賤ケ岳の戦い」で柴田勝家が敗死するなど、織田家臣団の覇権争いは、秀吉優位で進んでいるようだ。家康の「使者」として、戦勝の祝賀から和議の交渉まで、秀吉のもとをたびたび訪れる数正は、大坂の町のめくるめく発展と、訪れるたびに領地を増やしてゆく秀吉の権勢に、驚くばかりだった。秀吉が次に狙うのは徳川か。しかし、徳川側にその準備が整っているとは言い難い。今、戦ったら、恐らく負けるだろう。とりあえずは、時間を稼ぎながら、力を蓄えるべきときだろう。

 そんな数正の態度を「弱腰」と決めつけ、反発する本多忠勝、井伊直政ら主戦派たち。数正は大坂で、秀吉に調略されたのではないか(実際、その誘いはあったようだ)。古参にもかかわらず、家臣団の中で徐々に浮いた存在となってゆく数正の身を案じた主君・家康は、起死回生の策を思いつく。数正を「二重スパイ」として、秀吉のもとに送り込もうというのだ。「秀吉の側近くにあって、徳川を守ってはくれまいか。秀吉に諸々を進言しつつ、実のところは煙に巻いて、徳川の益となるように踊らせてくれ」――それが家康の考えであった。かくして家康の密命を受けた数正は、生まれ育った三河の地には二度と戻れないことを半ば覚悟しながら、秀吉の調略を受けたという体で、大坂の地へと旅立ってゆくのだった。

 本作が面白いのは、これまであまり描かれることのなかった「秀吉の家臣」としての数正を、細密な心理描写と共に描いているところだ。徳川の軍制を熟知する数正が臣下となったことに大喜びの秀吉は、ことあるごとに数正の意見を乞う。無論それは、秀吉ならではの「猿芝居」である可能性も否めない。その受け答えの中で、わずかでも不信を買うようなことがあったなら、数正の命など、瞬く間に失われてしまうだろう。それにしても気になるのは、秀吉の横で終始冷やかな目で数正を見ている男のほうだ。そう、秀吉の軍師・黒田官兵衛だ。彼は最初から数正のことを信用していないのだ。官兵衛の信頼を勝ち取るためには、どのような「自分」を演じるべきなのか。

 知れば知るほど、恐るべき「頭脳」を持った官兵衛と、武威よりも交渉や駆け引きの巧みさで家康の信頼を勝ち取ってきた数正が繰り広げる、手に汗握るような心理戦(官兵衛が仕掛ける心理戦と言えば、米澤穂信の小説及びそれを映画化した『黒牢城』の記憶も新しい)。しかしながら、数正は徐々に知ることになるのだった。その「頭脳」こそが、秀吉の最も恐れるものであることを。そんな官兵衛はもとより、優秀かつ怜悧な官吏である石田三成、秀吉をなだめすかしながら、実は家臣団を取りまとめている秀吉の実弟・秀長、秀吉の後継者として育てられながらも凡庸な秀次、さらにはようやく生まれた秀吉待望の実子・鶴丸……。秀吉をめぐる複雑な人間関係の中に「豊臣家崩壊」の萌芽を見出した数正は、主君・家康の未来のため、ある「決断」をくだすのだった。

 それにしても、秀吉軍と家康軍が実際に刃を交えた最初にして最後の戦い「小牧・長久手の戦い」のあと、数正が出奔して以降、世の中の動きは相当目まぐるしいものがある。秀吉の四国平定、関白任官、天正地震、九州平定、小田原征伐、奥州仕置、さらには文禄・慶長の役(朝鮮出兵)に至るまで。その最中に数正は、秀吉よりひと足早く、その生涯を終えることになるのだった。家康の嫡男・信康が自刃して以降、長らく三河・岡崎城の城代を務めたあと出奔、秀吉に臣従して河内八万石を封じられ、小田原征伐後、徳川家が関東に移封されてからは、その監視・牽制のため信濃・松本城に入り、嫡男・康長ともども松本城の天守造営と城下町を整備したことでも知られている石川数正。奇しくも大河ドラマ『豊臣兄弟!』で「小牧・長久手の戦い」が始まろうとしている今、このあとドラマで描き出されるであろう出奔の「理由」の解釈と比較しながら、石川数正という人物の生涯に、ひとしきり思いを馳せてみるのも一興だろう。

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