小野不由美『十二国記』シリーズ、35年にわたって人気が衰えない理由とは? 最新刊『幽冥の岸』刊行に寄せて

『白銀の墟 玄の月』(新潮文庫)から7年。小野不由美による本格ファンタジー「十二国記」シリーズの最新刊『幽冥の岸』(新潮文庫)が発売になって、改めてその人気ぶりに注目が集まっている。今でこそ一般化している異世界への転移・転生と、舞台が中華風の世界といった要素をいち早く打ち出し、35年にわたって紡がれてきたシリーズならではの魅力があるからだ。
小野不由美の「十二国記」が帰ってきた。もちろん山田章博のイラストと共に。講談社X文庫ホワイトハートで1992年に『月の影 影の海』が上下巻で刊行された時から、いや、後に「十二国記」シリーズの原点だと分かる『魔性の子』が1991年に新潮文庫から刊行された時から、小野が言葉で紡ぎ、山田が絵で描く世界と人々の物語は、互いを欠くべからざるものとして存在してきた。
2012年から新潮文庫で始まった完全版の刊行でも、山田の描き下ろしのイラストが添えられた。令和の初めに全4巻で『白銀の墟 玄の月』が、シリーズとしては実に18年ぶりに登場した時、もしかしたらこれでもう、2人による新しい物語と端麗なイラストには触れられないかもしれないといった不安もよぎった。杞憂だった。
8年が経って短編集ながら『幽冥の岸』が登場した。そこには、山田によってカバー絵とそしてそれぞれの短編の扉絵が描かれ、壮大にして深淵で、そして変転し続けている「十二国記」の世界へと誘ってくれる。この組み合わせがやはりシリーズの大きな魅力だ。
カバー絵と短編「異邦の客」の扉絵に描かれた少女は、後に戴国の官吏となり、『白銀の墟 玄の月』で飄々とした姿を見せる琅燦がまだ幼かった頃の姿だ。やはり『白銀の墟 玄の月』に登場した戴国の将軍、驍宗が琅燦と初めて出会う様子が、この「異邦の客」には描かれる。そして、世界の中心にある「黄海」という島のような場所での人々の暮らしぶりも知ることができる。
戴国や黄海といった地名には、設定があり、歴史があり、関わる人物の多彩さがある。そんな場所が、「十二国記」のシリーズにはさらに多く存在している。何しろタイトルが「十二国記」だ。黄海を取り巻くように4つの海があり、その周りを8つの国が囲んでいて、そして海を隔てて四方に4つの国がある。実にシステマチックな構成。それは「十二国記」の舞台が、現実の世界とは違い天が定めたことわりに縛られるように存在していることを表す。
それぞれの国に「麒麟」と呼ばれる超常的な存在に選ばれた王がいて、共に良い統治を行おうとする。ここで麒麟が選ぶべき王がいなかったり、王が道を踏み外したり、偽物の王が勝手に統治をしたりといった事態が起こることが、「十二国記」のシリーズをドラマチックなものにして読む人を翻弄する。あるいは現実の世界にもまして過酷で峻烈なものにして、読む人の心を嘆かせ憤らせる。
『魔性の子』がまだシリーズと分からなかった時に出た、シリーズの劈頭を飾った『月の影 影の海』では、現代の日本で女子高生として暮らしていた中嶋陽子が、「十二国記」の世界へと連れて来られて大変な目に遭う。自分を襲う者たちから逃げ、食事にも困る過酷な状況へと叩き込まれる。転生チートなど皆無の状況に置かれた陽子の有り様に、読者が自分をなぞらえようものならすぐに心を痛めるだろう。
「ネズミが出てくるまで耐えろ」というのが、『月の影 影の海』から読み始める人にシリーズのファンが贈る言葉だ。楽俊という名の人間と同じサイズで人語も解するネズミが陽子を助けるようになって、ようやく安心した気持ちになれるからだ。そこからも紆余曲折があるが、先を見通せる気持ちで陽子が慶国の王になるまでの物語をたどっていける。
現実の苦しさや厳しさを癒やしてくれるような優しい世界での大活躍を、いわゆる異世界転生・転移ものに求める人が多い今の時代には、あまり受けない設定かもしれない。だが、過酷で峻烈な世界だからこそ、救われて得られる喜びがあるのもまた事実。そこを分かって読み始め、山を乗り越えて感動を味わった人が、それなら他の国の物語はと巻を重ね、ページを繰るようになっていく。
そうした読者を生むほど、「十二国記」のシリーズは多彩な登場人物たちによる多様な物語が繰り出される。『魔性の子』に登場する高里要こと泰麒が、『白銀の墟 玄の月』を始め幾つものエピソードに登場して見せる活躍ぶりも、そのひとつだ。
蓬莱と呼ばれる現代の日本に流され育った要が泰麒と分かり、『風の海 迷宮の岸』で元の世界へと連れ戻されて驍宗を王に選ぶが、反乱が起こり日本へと戻る。その時のエピソードが『魔性の子』。身の回りで次々に人が死ぬホラーとして始まり、「十二国記」の世界をうかがわせた後、泰麒は『黄昏の岸 暁の天』を経て『白銀の墟 玄の月』で驍宗と共に成長していく姿を見せる。山田のイラストで赤い髪をした陽子の強烈なイメージが、彼女をシリーズの中心に置かせてしまうが、出番の多さと物語の壮大さでは、泰麒こそ主人公といった声もありそうだ。
『図南の翼』に豪商の娘として登場して、王が不在で乱れる恭国を立て直すのは自分しかいないと麒麟によって王に選ばれるために蓬山を目指す12歳の少女、珠晶の破天荒な活躍ぶりも捨てがたい。そうした多彩な登場人物のそれぞれに付随した物語を追いつつ、舞台となっている世界のことわりを知っていく楽しみが、ファンを「十二国記」のシリーズに長く誘い続けているのかもしれない。
もっとも、読んで楽しい話ばかりではないことは、陽子の楽俊と出会うまでの艱難辛苦ぶりからも分かるとおり。最新刊『幽冥の岸』に収録の短編「戦場南」でも、生きるために人倫を外れたこともしなければならない弱者の姿が描かれ、天意によって選ばれた王は何をしているのだと嘆きたくなる。もっとも、陽子のように、慶王となったものの官僚機構に阻まれ思うような治世を行えなかったり、逆に自分のほしいままに統治を行い国を傾ける王がいたりして、世の混乱は収まらない。
結局のところ、王であろうとなかろうと、誰もが”正しく”生きようとしなければ、世界に安寧は訪れない。その”正しさ”も人や立場によって変わるだけに、どう生きるのが良いのかをそれぞれが考えなければいけない。そのヒントが、壮大な世界を舞台に生きる大勢の人々、それこそ神に近い存在から市井の通行人も含めた生き様にあるのかもしれない。だからこそ「十二国記」は読まれるし、読む必要がある物語として世紀を超えて価値を持ち続けている。
激動する世界が行きづらさを増す中で、これからも「十二国記」の物語は求められるだろう。果たして書かれるのか。そこには山田によってどのようなイラストが描かれるのか。もっと陽子を見たいという人も、泰麒と驍宗のさらなる活躍を見たいという人も少なくないだろう。さらに別の世界を知りたいという声も多いはず。次はいつとは問わない。ただいつかと待ち続けるだけだ。

























