江戸時代の盲目の天才、塙保己一が抱いた「葛藤」とは? 蝉谷めぐ実『見えるか保己一』の現代性

蝉谷めぐ実『見えるか保己一』レビュー

「正しく見えるものなんてこの世に何一つとありゃしねえんだよ!」――ある登場人物は言う。若かりし頃の自殺未遂は、お涙頂戴にも成長譚にもなる。不義密通は、美しくも穢らわしくもなる。家族は、歪な塊にも特別な絆にもなる。「正しい見方」など、何ひとつないのだ。それは、この世界に対する彼の悲痛な叫びだったのか。あるいは老境に差し掛かった彼の積年の思い、または諦念だったのか。しかし、保己一にとってその言葉は、自身の「呪縛」を解き放つ、「救い」の言葉のように響くのだった。

 蝉谷めぐ実の新刊『見えるか保己一』(角川書店)は、江戸時代に活躍した盲目の国文学者、塙保己一(1746‐1821年)の半生を描いた小説だ。7つのときに視力を失いながら、その並外れた記憶力を武器に学問の道を志し、やがて古代から江戸時代初期にかけての史書や文学作品を蒐集・編纂した600巻を超える一大叢書『群書類従』を板行することになる、江戸時代の「知の巨人」だ。世代的には、昨年のNHK大河ドラマ『べらぼう』の主人公・蔦屋重三郎よりも4つ上、終生交流のあった大田南畝よりも3つ上――同じ「当道座(男性盲人の自治的職能互助組織)」に所属していた鳥山玉一(検校)の2つ下だから、彼らと同時代を生きた人物と言っていいだろう。

 本作は、70過ぎまで生きた保己一の人生を、6つの時期に分けて描き出す。病気を患いやがて失明するに至る幼少期、江戸で雨富検校の一門に加わることになった少年期、学問の分野で認められ妻をめとった青年期など。しかし本作は、単なる「偉人伝」ではない。ある種の「天才」として、当時はもちろん後世にも名を残している(あのヘレン・ケラーが、終生憧れ続けた人物でもあるという)保己一の心の奥底にある「業」や「闇」。それこそが、本作の肝なのだ。

「むし子」「えんていの水」「すでに触れて」など、各章のタイトルの背後に「虫/霧視」「淵底/園庭」「素手/既」など、同音の異字が浮かび上がる仕様になっていることは、ある意味とても示唆的である。その言葉の「響き」に何を思うかは、結局のところ、その人次第なのだ。そのように、ものの「見え方」――それは物事の「捉え方」にも通じる――は、人それぞれ違うのだ。いわんや、健常者と盲人の「見え方」をや。そもそも、盲人の「見え方」とは? そう、この小説が描き出すのは、目明きと目暗のあいだに広がる暗くて深い河を、どうにかして渡ろうとしたがゆえに、そのどちらでもない「マージナル」な存在となっていった保己一の、終わりなき「葛藤」と「懊悩」の記録なのだ。

 幼少期より並外れた記憶力を持っていた保己一は、その才を買われて江戸にやってくるも、按摩や鍼、三味線など、盲人たちの「職能訓練所」的な一面も持った雨富一門においては、落ちこぼれだった。按摩にしても鍼にしても、どうも勘どころが悪いのだ。とりわけ検校一門の重要な任務である借金の取り立て業においては、先輩たちの足を引っ張るばかりだ。ことあるごとに、兄弟子たちから叱責される保己一の修業時代。しかしながら、そんな兄弟子たちのことを保己一は、心の奥底で蔑んでいるのだった。「盲は己の弱さで金子を稼いでいる。己の弱さを武器にしている」と。そしてあるとき彼は、兄弟子に向かって言ってしまう。「貴方がたとは違うのです」と。そう、自分は特別な存在なのだ。その傲慢。

「私は勉学がしとうございます」――ついに師匠に懇願した保己一は、以降たくさんの人々の協力のもと(保己一が膨大な量の書物を「読む」ためには、それを読み聞かせてくれる人が必要なのだ)、その並外れた記憶力によって人々の関心を買うようになる。しかし、彼はほどなくして思うのだった。自分は「目の代わりに耳で書物を喰む珍獣」として、面白がられているだけではないのか。そう、見世物小屋の芸人たちと同じように。しかし彼は、それでも「言葉」に執着し続ける。なぜなら、「言葉」を介してのみ、晴眼者と同じ土俵に立てると彼は信じているから。暗くて深い河を渡るためには、「言葉」にすがるしかないのだ。しかし、不測の事態は起こり続ける。

 思い悩む保己一に、彼の信奉者であり支援者のひとりでもある大田南畝は言う。「目明きと目暗ではどうしてもわかり合えぬところはあるものです。それをどうにか繋ごうといちいち追いかけていてはきりがない」。しかしまた、ある者は言う。「私は盲も目明きも分け隔ていたしません。それこそが盲であるあなたへ示すことのできる誠実さだろうと思うのです」。そうなのだろうか。けれども、火事で焼けてしまった家の前で、門弟たちを励まそうと言葉を掛けた保己一は、こうも言われてしまう。「あなたは目が見えていないからそんなことが言えるのです」「この惨状を目にしていないからそんなことが言えるのです!」と。保己一の悩みは尽きることがない。

 本作『見えるか保己一』がスリリングなのは、懊悩しているのは保己一だけではないところだろう。彼の周囲にいる人びともまた、見えない保己一との「向き合い方」に悩み続けている。保己一には、何が見えているのか。自分たちには見えない何かが、保己一には見えているのか。しかし、そんな保己一を欺くことは容易い。何せ彼は「見えない」のだから。些細な嘘やすれ違いが、次第に彼/彼女たちを追い詰めてゆく。保己一の最初の妻・お丁と、保己一の身の回りの世話をしている門弟・葉次郎。父の「目」になることを決意した愛娘・とせ子と、やがて彼女の夫となる保己一の門弟・金十郎。そして、保己一の幼馴染であり、村でただひとり色眼鏡を掛けずに彼のことを見てくれた「輝ちゃん」こと輝明。保己一の「天才」が知られるようになるまでは、「神童」の名を欲しいままにしていた秀才・輝明は、江戸に舞台を移してからも、ことあるごとに保己一の前に現れ、そのたびに彼は、保己一を自らの原点へと立ち返らせてくれるのだった。しかし、そんな輝明の本心は、保己一が思いもよらないところにあるのだった……。

 私たちは常日頃、物事を「正しく」見ようと努力する。それは、間違ったことではないのだろう。けれども、そんな「正しさ」に固執する者同士は、決して互いに分かり合うことはない。なぜなら、その「正しさ」は、人によって違うから。それが、この世界の「現実」だ。彼/彼女が見ている私と、私が思う私自身が必ずしも一致しないように、私が見ている彼/彼女だって、彼/彼女自身が思うそれとは違うのだろう。けれども、その「誤解」や「ずれ」には、まったく意味がないのだろうか。それがもたらせるものだって、きっとあるのではないか。「現実」と異なるからといって「理想」が無意味ではないように。これは極めて、現代的な問題であるように思う。最初は江戸時代の「知の巨人」に対する興味だった。けれども、本作を読み終えた今となっては、思いがけないところに連れてこられてしまったというのが正直な感想だ。『見えるか保己一』――その意味で本作は、すぐれて「現代的な」小説であるように思う。

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