松村北斗 × 今田美桜が演じる“禁断のバディ”とは? 東野圭吾『白鳥とコウモリ』の面白さ

『白鳥とコウモリ』が描く禁断のバディ

 東野圭吾の同名小説(2021年)を原作とした映画『白鳥とコウモリ』(岸善幸監督、松村北斗、今田美桜主演)が9月4日に公開される。その物語については、容疑者の息子と被害者の娘が、禁断のバディを組むと紹介されている。

 2017年、東京の竹芝桟橋近くで弁護士の白石健介の刺殺遺体が発見された。捜査によって、倉木達郎が容疑者として浮かぶ。彼は、弁護士殺害だけでなく、1984年に愛知で発生した金融業者殺害事件についても犯行を自供する。事件は解決し、あとは裁判を待つばかりと思われたが、疑問を抱く者が現れる。それが、容疑者の息子・倉木和真、被害者の娘・白石美令というわけだ。これが、東野の小説の基本設定である。

 普通に考えれば2人は、敵対する立場にある。自身の罪ではないにせよ、息子は周囲や世間に対して父の犯行を謝罪しなければいけない状況に追いこまれるし、被害者遺族は、息子を犯罪者の父と同一視まではしないにしても、その身内には良い感情を抱きにくい。東野の原作のなかでは、主人公男女2人の立場の差を、種族が違い見た目も白と黒で異なる『白鳥とコウモリ』に喩えていた。小説は単行本で500ページ以上、文庫本で300数十ページずつの上下巻という長編であり、彼らが協力関係になるまでをかなりのページ数を使って描いている。たまたま出会ったからといって、すぐに意気投合したりなどしない。当たり前だろう。殺した側と殺された側なのだから。

 交わらないはずの2人が、なぜ協力する関係になるのか。彼らの心が揺れ、そうなっていく過程が興味深い。倉木達郎は、すでに犯行を自供している。彼を担当する国選弁護人も供述を受け入れ、事実関係を争うつもりはない。情状酌量による減刑を狙う方針であり、息子の和真にそのための材料を求める。また、和真がマスコミにうかつな発言をしないように注意する。裁判で被告が不利になる要素が出ないようにというだけでなく、和真がバッシングを受けないためでもあった。

 一方、殺された白石健介の妻子である綾子と美令は、被害者参加制度で裁判にかかわることになる。その担当弁護士からは、事実関係を争う裁判ではなく、検察官は計画性を争点と考えていると説明される。犯行の悪質さを指摘できれば、量刑は重くなるのだ。

 対立する弁護側と検察側、それぞれが裁判にどうとり組むか方針を立て、家族に理解と協力を求める。つまりチーム同士の戦いだ。したがって、犯人と彼の家族は別だといっても、家族同士が敵対する図式になる。

 しかし、容疑者・倉木達郎が語ったという被害者・白井健介の言動について、娘の美令はどうしても父のものだとは思えない。和真は、父の達郎が殺人を犯しただなんて想像できないだけでなく、伝え聞く彼の動機などが釈然としない。美令、和真は、浮かんだ疑問点についてあれこれ考え、自分なりに調べもして疑念を深め、それぞれ担当弁護士に相談する。だが、なかなかとりあってもらえないのだ。

 容疑者は、とにかくもう自分の犯行だと認めている。裁判で事実関係を争う予定はない。供述内容に多少の齟齬があることなどよくあるし、美令、和真がいう疑問点など、裁判においては些細なことにすぎず、拘泥するべきではない。被害者参加制度で美令たち遺族を担当する検察側の弁護士も、容疑者の倉木達郎を担当し息子の和真とやりとりをする弁護士も、裁判をいかに有利に進めるかを第一に考え、敵対しているのに似た反応を示すのだ。既定路線からはずれたことにこだわる家族に対し、「面倒臭いことをしないでくれ」という態度をあからさまにとる。

 また、和真の母は亡くなっているが、美令には母の綾子がいる。真実を知りたいという娘に対し、綾子は弁護士の妻としての経験も踏まえ、真相なんて簡単にわかるものではないと、娘を諭そうとする。自分たちが気にするべきなのは罪にふさわしい刑罰が下されるかであり、「私は死刑を望んでる」といい、母子の意見は食い違う。なにはともあれ厳しい罰を望む母に対し、娘は、なぜ父が殺されるに至ったのか、本当の最期を知りたいと思うのだ。

 美令、和真は、被害者と容疑者という事件当事者の子どもだが、真実を追い求めようとして弁護士から煙たがられる。2人は遭遇しても、すぐに連絡先を交換したのではない。互いに相手方との接触は避けるようにと、弁護士からいわれてもいた。それでもやがて情報交換し、協力するようになるのは、裁判に向けた流れのなかでどちらも疎まれるような状況があったからだ。頼るのに適した人が、ほかに見つからなかったのである。真実を追求することと刑罰を下そうとすることの分裂、乖離が、皮肉にも2人を近づけてしまう。

『白鳥とコウモリ』という小説では、美令、和真、そして五代努という刑事の3人が視点人物として交互に登場し、事件のその後が語られていく。五代は、弁護士殺害事件を担当した捜査一課の刑事であり、やはり倉木達郎の自供によって捜査は一段落したと思っていた。だが、検察から警察に追加捜査の要望があったと知ったこと、美令や和真から疑問を聞いたこと、自身も不審な思いを抱いたことから、再び事件にかかわり出す。倉木達郎が供述した弁護士殺害と1984年の金融業者殺害事の2事件をあたり直そうとする。後者の事件は、被疑者自殺で終わったとされていた。現在についても過去についても、もう結論を出したはずの事件を蒸し返すのは、無謬性や一貫性をよしとする警察が望まないことだ。

 裁判で検察側の論理、弁護側の論理があり、双方ともそこからはずれるものは、排除しようとした。それと同じく、警察には警察の論理がある。だが、容疑者の息子と被害者の娘が協力するという、検察側、弁護側、警察、いずれの発想にもない禁じ手を使うことによって、一連の制約が突き崩され、隠されていた真実が浮かびあがる。そこに『白鳥とコウモリ』の面白さはある。罪と罰をめぐる物語の結末は切ないものの、希望は残される。

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