千街晶之のミステリ新旧対比書評 第19回:東野圭吾『白夜行』×一雫ライオン『流氷の果て』

東野は生涯、極めて実験的な小説の書き手であり続けた

日本のミステリ界に、あまりにも巨大な空白が生じてしまった——2026年7月、東野圭吾の訃報が全世界を駆けめぐった際、そう感じたミステリファンは多かったに違いない。
1985年に第31回江戸川乱歩賞を受賞したデビュー作『放課後』(講談社文庫)から、歿後の2026年8月に刊行された遺作『永遠の記憶』(文藝春秋)まで、その著作は100冊を越える。日本推理作家協会賞・直木賞・本格ミステリ大賞・吉川英治文学賞など多くの賞を獲得、ベストセラーとなった作品は数知れず。映像化などのメディアミックスの試みも国内外で繰り返されている。ミステリ作家の枠にとどまらず、日本一有名なエンタテインメント作家だったと言えるだろう。
そんな東野の作品群の中でも、『白夜行』が後世まで残る代表作であることは疑い得ない。1997年から1999年まで《小説すばる》に連載され(掲載時は連作短篇扱いだった)、同年に集英社から単行本として刊行された。2002年刊の集英社文庫版は現在も版を重ね続けている(本稿の執筆前に確認したところ、2026年6月時点で95刷という凄まじい数字だった)。姉妹篇として『幻夜』(集英社文庫)が存在する。あまりにも有名な作品なので、あらすじは今更紹介するまでもないだろう。
作中には、桐原亮司と西本(唐沢)雪穂という男女が登場する。本作は映像化・舞台化などのメディアミックスの例が多いが、例えば2006年に放映されたTBS系の連続ドラマでは山田孝之と綾瀬はるかが亮司と雪穂を演じており、ともに物語の前面に出る主人公という扱いで、原作ではラストまで別行動だった2人が直接対面するなどの改変があった。しかし、原作では亮司と雪穂が視点人物になる場面は一切なく、それどころか、両者の心理を具体的に窺える箇所はない。もちろん2人が直接登場する場面は多いけれども、主人公というよりは、何か得体の知れない影法師のような印象だ。両者の行為とその目的は、亮司の同級生の園村友彦、雪穂の恋人となる高宮誠、薬剤師の栗原類子、私立探偵の今枝直巳ら、周囲の人物の視点からの描写で推察されるのみである。1973年の質屋殺し事件の捜査で2人と初めて対面して以降、19年の長きに亘って両者を追い続けた笹垣潤三刑事は最も彼らの正体に迫った人物ながら、2人が生きてきた薄暗い白夜の全容は読者が想像するしかない。
多くの読者の心を掴む大衆的エンタテインメント作家であると同時に、東野は生涯、極めて実験的な小説の書き手であり続けた。主要登場人物2人の心理も動機も一切描かぬまま、長い歳月をかけて進行していた犯罪の全容を浮かび上がらせた『白夜行』も、尖った実験的スタイルに対する著者のただならぬ執着を滲ませた小説なのだ。
間違いなく東野圭吾の『白夜行』を意識している作品

ところで、この連載「千街晶之のミステリ新旧対比書評」では、タイトル通り新旧の作品を対比してその共通点や差異を指摘してきたけれども、中には、新しいほうの作品の書き手が旧いほうの作品を意識して執筆したかどうか不明な場合もある。実際、連載で採り上げた新作の書き手から、私が引き合いに出した旧作は未読だと言われたこともある。
しかし、今回に限っては、新しいほうの作品の書き手は間違いなく東野圭吾の『白夜行』を意識している筈だと自信を持って言い切れる。その作品とは、一雫ライオンの『流氷の果て』。《小説現代》2024年3月号に一挙掲載され、翌2025年に講談社から刊行された長篇小説である。著者は俳優から脚本家に転身、2010年代後半からは小説の執筆も手掛けており、『スノーマン』(集英社文庫)、ヒット作となった『二人の嘘』(幻冬舎文庫)などの著書がある。
『流氷の果て』の主人公・真宮篤史は、警視庁新宿署刑事課強行犯捜査四係の刑事で、定年まであと2年を残して早期退職を決意している。1999年12月24日、真宮は新宿駅南口を出たところの歩道橋で男性の首吊り死体が発見されたという報せを受け、現場に向かった。真宮は現場に集まった群衆のうち、若い男と若い女の姿に目をとめる。2人は、別々の地点に立って遺体を見ながら、何かを確認しあっているように見えたのだ。
遺体は身元を特定する物を持っていなかったが、ポケットからは石の破片のようなものが見つかった。そこから真宮は、7年前に雑誌記者が殺害された未解決事件を思い出す。その事件の凶器は石のようなものだったのだ。また、運輸省特別顧問が銃殺されるという新たな事件が発生する。それらの事件の背後から浮上してきたのは、ディスクジョッキーの能勢由里子と、介護福祉事業を手掛けている楠木保。保のもとの名は釜利修一といい、彼と由里子は、1985年に北海道で起きたバス転落事故の生存者だった。
一連の事件に能勢由里子と釜利修一が関係していること、そして彼らがある罪を共有しているらしいことは、物語の早い段階で仄めかされる。悲惨な過去を共有し、そこから這い上がってきた彼らの関係はどう読んでも『白夜行』の雪穂と亮司を連想させるし、真宮刑事は笹垣刑事に似た役回りを務めている。正直なところ、読んでいるあいだ「こんなに『白夜行』に似ていて大丈夫なのだろうか」と不安になったくらいである。
しかし、そう思い込ませることこそが本作の最大のミスリードなのだ。読者が『白夜行』の人間関係を意識すればするほど、ミステリとしての真の狙いには辿りつけないようになっているのである。連想させるのが『白夜行』くらいに有名な作品でなければ成功が難しい仕掛けである、と言ってもいい。
1973年から1992年までを描いた『白夜行』の至るところに、各時代の世相や出来事が描き込まれているように、『流氷の果て』もバブル期から20世紀末に至る時期の風俗や実際の事件などを点描することで時代の空気を再現しており、それも両作品に共通する美点と言える。






















