『路傍のフジイ』は理想の「弱者男性」を描いていたのか? 異色のヒット漫画が問いかけたもの

週刊ビッグコミックスピリッツで連載されていた漫画『路傍のフジイ~偉大なる凡人からの便り~』(小学館、以下『路傍のフジイ』)が最終回を迎えた。
2023年から鍋倉夫が連載していた本作は、非正規雇用で働く40代独身の中年男性・藤井守と出会ったことによって、変わっていく人々の姿を描いた物語だ。
※以下、ネタバレあり。
人当たりの良い好青年に見えるが、実は深い鬱屈を抱えている田中は、同僚の藤井のことが気になっていた。 藤井は40代の派遣社員で独身。真面目な性格だが周囲とズレていて、他の社員からナメられている。 自分も10年後に藤井のようになってしまうのではないかと不安を抱いていた田中だったが、街で偶然見かけた藤井を尾行し、彼が休日を楽しく過ごしている姿を見て「自分とは違う」と痛感する。そして、藤井のことをつまらない人間だと思っていたのは、自分自身がつまらない人間だったからだと気付くのだ。
物語は基本的に一話完結で、第1話では田中の視点から藤井が描かれ、第2話と第3話では、同じ会社の女性社員・石川の視点で藤井が語られる。 その後も、藤井と出会った人や彼を遠くから見ている人々が、藤井を鏡にして今の自分と向き合う姿が描かれていく。それにもかかわらず、藤井自体は特別なことを何もしていないのが、本作の大きな面白さだ。
藤井は無表情で内面描写も少ない。そのため彼が何を考えているのか読者にはわかりにくい。 だが、話が進むにつれて藤井の過去が描かれるようになり、大学時代に付き合った恋人や、中学生時代の友人、あるいは趣味のサークルで一瞬だけすれ違った人の姿が描かれることで、じわじわと藤井の輪郭が浮かび上がってくる。 この「主人公を他の人物の視点を通して描く」という構成だけを見ても、本作はとてもユニークだ。
藤井は、派遣社員で独身という社会的には恵まれた境遇とは言えないものの、多趣味でマイペースに生きている。 声高に主張して相手を説教したりしない。異性に対しても淡泊で、好意を向けられても性欲をむき出しにしてこないため、女性も安心して関わることができる。 客観的に見ると藤井は、ネットスラングで言うところの「弱者男性」だ。 しかし、男らしさや自己実現に囚われていない達観した存在として描かれている。 その意味で理想的な中年男性と言え、だからこそ読者は藤井を好きになったのだろう。
だが、藤井より少し年上で社会的立場が近い、フリーランスで未婚の中年男性である筆者は、彼を理想的な存在として描くことで、現実の弱者男性が抱えている欲望や鬱屈した思いが「存在しないもの」として劇中で扱われているように感じ、複雑な気持ちで読んでいた。
しかし、第43話で新しく経理として入社した鈴木が登場したことで、作品に対する印象は大きく変わった。 鈴木は元体操部の中年男性で藤井と同世代。無愛想な藤井と比べると愛想がよく、会社に馴染むために積極的に社員と話すのだが、会話の節々に外国人を差別する発言や女性を性的に見るような発言を悪気なく混ぜるため、社員から煙たがられている。 また、石川のような若い女性に対する偏見が酷く、趣味のプラモ作りも「オタク趣味だから女は馬鹿にする」と勝手に決めつけている。 自分のことを自虐的に語ることが周囲に対する無自覚な攻撃性の発露となっている鈴木は、典型的な弱者男性の姿だと言える。
基本的には真面目な人間で、木から降りられなくなった猫を助けるような優しい一面もあるのだが、彼は「男らしさ」に強く縛られている。 藤井が「理想化された弱者男性」なら、鈴木は「リアルな弱者男性の姿」であり、その解像度は極めて高い。 そのため、マンガの世界に現実が突然入り込んできたような生々しさがあるのだ。
鈴木が初登場するエピソード「鈴木とフジイ」は第43話から第46話まで4回にわたって掲載されており、その後も彼がメインとなる回が何度か登場する。 鈴木は、ともすれば藤井を中心に作られてきた作品世界の心地よさを全否定しかねないキャラクターだ。そのため、彼がどう描かれるのかとても気になっていた。 他の漫画なら彼の鬱屈がやがて爆発して大きな事件に発展しそうだが、『路傍のフジイ』では、藤井と田中が鈴木の家に遊びに行く姿を淡々と描くことで、鈴木の鬱屈した気持ちを軟着陸させることに成功している。 鈴木をめぐるエピソードは、このマンガの一つのクライマックスだったと言えるだろう。
一方、藤井自身の物語は、父の死をきっかけに彼が神奈川の実家に戻り、現在の会社を辞めて新しい職場へ再就職することでクライマックスを迎える。 父の他にも、昔の同級生や、藤井が観ていた児童向けテレビ番組に出演していたタレントなど、劇中では藤井が「死」を受け止める場面が繰り返し登場する。 40代を超えると、肉親も含めた身近な人間の死に立ち会う機会が増えてくる。だからこそ、自分自身にもいつか死が訪れるという実感が、若い頃よりも切実な現実として迫ってくるのだ。
第1話で田中から「なりたいものとかなかったんですか?」と聞かれた藤井は「不老不死」と答え、田中を戸惑わせる。しかしその後、藤井は「でも……いつか必ず終わりが来る。」「だから価値があるんですよね。」と続ける。 後から振り返ると、これは父親のことを思っての発言だったのかもしれない。
多趣味で社会的成功を求めず、人間関係に対しても達観していた藤井はあらゆることから自由であり、それが周囲の人間には魅力的に映っていた。 だが、どれだけ自由に生きていても死から逃れることはできない。 一人残された母親を心配する気持ちもあっただろうが、藤井が実家に戻り地元で生きていくことを決めたのは、自分自身の「死」と向き合う覚覚悟が生まれたからではないかと感じた。
最終話も、このマンガらしく藤井たちの日常が淡々と描かれており、彼らの人生が今後も続いていくことを予感させる。 50代になった藤井がどういう風に過ごしているのか、いつか読んでみたい。 そう思わせる素晴らしい終わり方だった。























