『地獄に堕ちるわよ』謎の脚本家「真中もなか」は誰なのか? “事実に基づいた虚構”の意味

4月27日にNetflixで配信された『地獄に堕ちるわよ』が、大きな反響を呼んでいる。本作は占い師として一世を風靡した細木数子(戸田恵梨香)の半生を描いた全9話の連続ドラマ。物語は、細木数子がテレビ番組で人気を博していた2005年から始まり、彼女の小説を書こうとしている作家・魚澄美乃里(伊藤沙莉)に数子が自身の半生を語り出すと、時代は過去へと遡っていく。
敗戦直後の昭和中期から平成初頭にかけて経済発展していく日本の様子と、細木数子がビジネスの成功とその時々で出会う男との恋愛を重ねて描いた本作は、Netflixが得意とするピカレスク・ロマンでありながら、NHK連続テレビ小説(以下、朝ドラ)のような、一人の女性の半生を通して、戦後日本の空気を描いたクロニクル(年代記)として観ることもできる。
その意味で本作は“闇の朝ドラ”とでも言うような広がりのある作品に仕上がっているが、だからこそ、これまでの作品以上に賛否が分かれている。
中でも批判の的となっているのが、細木数子の描き方。彼女が成り上がっていく姿を魅力的に描く一方で、犯罪行為を筆頭とする都合の悪い出来事が描かれていないという、史実との違いがSNSで多数指摘されている。
だが、話が進むにつれて、実はこの批判自体が物語の構造に組み込まれていることがわかってくる。
※以下、ネタバレあり。
本作のエンドクレジットには、参考文献として二冊の著書が挙げられている。一冊は、細木数子の『女の履歴書 愛・富・美への飛翔』(廣済堂出版、以下『女の履歴書』)。もう一冊は、溝口敦の『細木数子 魔女の履歴書』(講談社、以下『魔女の履歴書』)。
前者は1988年に細木数子が執筆した小説仕立ての自叙伝。後者は、2006年に刊行されたノンフィクションライターの溝口敦のルポルタージュで、同年に週刊現代(講談社)で4回にわたって連載された記事が元となっている。
ドラマに対する批判の多くは『魔女の履歴書』の記述を下敷きにしているのだが、そもそもこの本自体が『女の履歴書』に書かれていることを批判的に検証し、自叙伝に書かれていなかった真実を暴くという構成になっている。
一方、『女の履歴書』は「本書は、私の半生を一部フィクションにして綴った、いわば自叙伝というべきものです。」と綴った後、「一部をフィクションにした」理由について、本書に登場する人生で影響を受けた人たちの中には、まだまだ現役で社会の一線で活躍している方も大勢いるため、実名を出すと迷惑をかける可能性があるからだと書いている。
『女の履歴書』や過去のインタビューを検証し、虚と実を解き明かしていくことで、細木数子の本当の顔を暴こうとしたのが『魔女の履歴書』だが、『地獄に堕ちるわよ』では、この二冊の関係が物語の構造に反映されている。
数子のビジネスの成功と戦後日本の経済発展がシンクロする物語は、『女の履歴書』をなぞったものだが、歌手の島倉千代子(三浦透子)の借金返済のためにマネージャーをしていた時代の話になると、これまでドラマを観ている時にぼんやりと感じていたドラマチックすぎて嘘くさいという違和感が決定的なものとなる。
数子の話に違和感を抱いた魚澄は数子の関係者に話を聞いて回るようになり、借金返済が済んだ後も、島倉をタダ働きさせていたことが原因で二人が決裂したことがわかってくる。
ここから、『魔女の履歴書』の要素が増え、数子の裏の顔が明らかとなっていく。
その後、魚澄は、数子が陽明学者の安永正隆(石橋蓮司)との結婚をめぐって親族とトラブルを起こしたことや、墓石を高額で売る霊感商法に手を出していたことなどを知る。そして、裏の顔も含めて、魚澄は細木数子の真実の姿に迫る小説を書こうとする。
つまり、当初は自叙伝の『女の履歴書』をなぞるように進んでいたドラマは、途中からノンフィクションの『魔女の履歴書』を下敷きにしたストーリーへと変わっていくのだ。
こう書くと本作が『魔女の履歴書』の記述こそが真実だと描いているように聞こえるかもしれない。だが、映像から受ける印象は複雑だ。ドラマを観た後、参考文献の二冊を読んで感じたのは、ノンフィクション的な手法は客観的な事実の精度を高めることはできるが、その時、数子がどんな気持ちだったのかまでは描くことができないということだ。
逆に『女の履歴書』はあらかじめ一部をフィクションにした小説として書かれているため、客観的事実としては信用できない部分が多いのだが、数子自身の「こうでありたかった」という理想や「こうであってほしかった」という願望はダダ洩れとなっている。
その意味で、この二冊を元に構成された『地獄に堕ちるわよ』は、両者の足りない部分を補った完璧な物語だと言えそうだが、そうではない。
第1話冒頭に「この物語は事実に基づいた 虚構である」とテロップで表示されるのだが、あくまで本作は、2026年の現在の視聴者に向けた細木数子の物語となっており、男たちに搾取されてきた数子の男社会に対する復讐譚としての側面が強調されている。
語り手次第で物語は無限に変化し、真実は人の数だけ存在するのだと、本作を観ていると実感する。なお、本作の脚本には真中もなかという名前がクレジットされているが、いくら検索しても情報が全く出てこない謎の存在だと話題になっている。
監督の瀧本智行のペンネームや複数の脚本家による合同ペンネームなどと噂されているが、語り部によって細木数子の印象が変わっていく『地獄に堕ちるわよ』にふさわしい脚本家である。






















