阿川佐和子と伊藤比呂美が語る、70代からの肩の力を抜く生き方「向上心より、今日のビール!」


エッセイスト・作家であり、テレビタレントとしても活躍する阿川佐和子と、女性の身体や家族を赤裸々かつ力強い言葉で描いてきた詩人・作家の伊藤比呂美。1950年代生まれ、2歳違いのふたりが、70代を迎えて思うことをユーモラスに語り合った対談集『サワコと比呂美 女じまい』(中央公論新社)が刊行された。
長年の友人同士にも見えるふたりだが、実はプライベートで頻繁に会う間柄ではないという。それでも、顔を合わせれば会話はたちまち弾み始める。ブラジャーからの卒業、親の介護、親友の死、実家じまい、どの墓に入るか問題――。ともすれば深刻になりがちな話題を、ふたりは赤裸々に、笑いとともに自在に行き来する。何が起こるかわからない日々も、笑って話せば少しだけ不安がやわらぐ。いくつもの大きな節目をくぐってきたふたりが見つけた、「今、この瞬間」の過ごし方とは。
対談は読者も巻き込んだ「三つ巴のプロレス」

――本作の「はじめに」と「おわりに」では、おふたりが初めて会ったときの印象が語られています。どのくらいのお付き合いになるのでしょうか。
阿川佐和子(以下、阿川):あれは何年前ですかね。『週刊文春』で対談したのが最初でしたよね。20年くらい前かしら。
伊藤比呂美(以下、伊藤):そんなにはならないんじゃない?
阿川:でも、私が50歳くらいのときだから、やっぱり20年近くになりますよ。(※初対面の対談は2013年)
伊藤:えー、そうなの!?
阿川:コロナ禍の3年間、時間が止まっているのよ。だから、最近は何でも3年足して考えないと駄目なの(笑)。
伊藤さんが『閉経記』を出されたときに、対談することになって。それまで、よく存じ上げなかったの。実際にお会いしたら、世の中のことも日本語のことも、いろいろな教養がすごく豊かで。年上だと思っていたら、年下だった。当時はまだアメリカに住んでいましたよね。もう、ぶっ飛んでいるという印象で。髪型もライオンみたいだったよね?
伊藤:うん、ライオンだったわ。私のほうは、もちろん阿川さんのことを存じ上げていましたから、「『週刊文春』の対談なら、もっと有名な人が出るんじゃないですか」って言ったんです。当日は緊張なのか、更年期のホットフラッシュなのか、日本の気候のせいなのか、もう分からない汗をかきながら文藝春秋の周りを歩き回ったのを覚えています。
阿川:あら、それは大変でございましたね。
伊藤:でも、実際に会ったら本当に話しやすくて。聞かれることが、かゆいところに手が届くような感じで、しかも全部こう「assure」されて。ああ、英語弁が出ちゃった(笑)。受けとめてくれる。言葉にしなくとも「あなたはOK」みたいな印象を与えてくれる、素晴らしいインタビューでとても楽しかった。

――その対談をきっかけに、プライベートでも親交が続いたのでしょうか。
伊藤:全然ないですね。むしろ、プライベートで付き合っていないからいいんじゃないですか。たまに会ったときに、パンパン!って話が弾む。
阿川:あ、ズンバのリズムが出ましたね。この人いまズンバにハマってるから(笑)。
伊藤:ズンバはいいわよ。みんなやったほうがいい。つんちゃかっちゃ、つんちゃかっちゃ、パーン、パンって!
阿川:そう、プライベートでお付き合いはないんだけど、ご縁は続いていて。その後、『婦人公論』でも2、3回対談したのかな。
伊藤:そこでも楽しかった。それで今回、『サワコと比呂美 女じまい』のお話が来たときも、「いいっすよ」みたいな感じで!
阿川:「同世代の女が、閉経期もこえて、親の介護も終わったところで、これからの人生や、いま現在について話してみよう」という本にしましょう、と。今は高齢者社会でしょう? 私、70代になってから、テレビや本の仕事が増えたんですよ。なぜだろうと思ったら、高齢者がテレビを見たり、本を読んだりしているからなのよね。
伊藤:じゃあ、今の若い人は何を見ているの?
阿川:こういうリアルサウンドさんみたいな、ウェブサイトを見ているらしい。
伊藤:そうなの? そんなところに、こんな婆ァたちがお邪魔しているのね。
――(笑)。プライベートで頻繁に会っているわけではないのに、これほど自然に話せるのはなぜなのでしょうか。
阿川:年に何回も会わない人でも、会った途端にポポポポポンと分かり合える人もいれば、しょっちゅう会っているけれど、何となくギクシャクする人もいるじゃない? それは感覚的なものだと思うんです。「この人には地を出しても大丈夫だし、きちんと迎え撃ってくれる」。伊藤さんとは、そういうプロレス的な阿吽の呼吸があるんでしょうね。
全部を知っているわけではないんです。全部を知っているからわかり合える、というわけでもない。この人と話すと楽だな、楽しいな、隠しても無駄だな。そう思える人なんです。
伊藤:そう。おっしゃる通りです!
阿川:ただ、本になるということは、商品になるということですからね。私たちが気が合っていることと、それが読者に面白く伝わるかどうかは別問題。心配だったのは、ふたりの間では「それなら分かる」「分かる、分かる」と通じていても、読者を置いてきぼりにしてしまう危険性があること。つまり、読者対伊藤さん対私のプロレスになるわけですよ。
伊藤:うまいうまい! 本当にその通りです。
阿川:これが、ものすごいアイドル同士だったら、ふたりがいちゃいちゃしているだけで、ファンは「わあ、プライベートな言葉を聞いちゃった」と喜んでくれるのかもしれない。でも、私たちにドキドキする人なんていないでしょ。ちゃんと読者を視野に入れて話さないと、とは思いました。
――おふたりとも文章を書かれているからこそ、成立するプロレスなのでしょうか。
阿川:どうなんでしょう。
伊藤:それはすごく大きいと思いますよ。でも、「プロレス」というのはとてもいいね。しっくりきた。
阿川:もう、血だらけよ!
伊藤:そうして血を流しながら、どうすればお客さんに一番いい形で技を見せられるかを考える。お互いに持ち技があるから、それをどこで出すか。そして、最後はどうやってズンバで締めるか!
阿川:もう『ズンバの国から』っていう本を書いたら?
伊藤:いいかもしれない。次の本のタイトルは『ズンバの国から』!
阿川:ああ、駄目だ。編集さんが苦笑いしている(笑)。
後悔する“余白”があるくらいでいい
――本の中で交わされているような会話は、普段からご友人ともされるのでしょうか。
阿川:そりゃ、してますよね。
伊藤:でも、死んじゃった。こういう話ができる友人は、枝元しかいなかったな。
阿川:料理研究家の枝元なほみさんね。この本の対談をしている時期に亡くなって、伊藤さん、少し元気をなくしていたよね。
伊藤:うん。亡くなる前は病床にいたから、これからのことを話すのは、なかなか難しくて……。
――伊藤さんは「おわりに」で、「親友が死んだとき、あたしは自分が死んでいくのを見たような気がした」と書かれていましたね。老いや死は、少し口にするのをためらう話題でもありますが、おふたりの対談では、人生に起こることとして自然に入ってきました。
伊藤:待って。いま「ためらう」とおっしゃいましたけど、もうこの年代は誰も何にもためらいませんよ。
阿川:え、私はためらっているわ。
伊藤:わ、この裏切り者(笑)!
――(笑)。本の中に出てくる「後悔するくらいの介護のほうがよい」という言葉も、とても印象に残りました。悔いがなくなるほど全力で向き合うのではなく、自分のための余力を残す。後悔は残るかもしれないけれど、自分自身を守ることができる。この考え方は、介護だけでなく、仕事や育児などにも通じるように思いました。
伊藤:もう、自分を中心に生きるべきなんですよ。親は、子どもに育ってほしい、幸せになってほしいと思って、大きくしてくれたわけでしょう。だったら、「幸せになりましょう」と。実際に親の介護が必要になったら、やることはやる。「でも、私の人生も大切よ」と。そうしたら親だって、「まあ、しょうがないよな」と思ってくれるんじゃないかと思うんです。
阿川:伊藤さんは、お父様に溺愛されて育ったから、そう言い切れる自信があるのよ。でも、私はそうでもなかった気がする。ただ、私も滅私奉公しようという気持ちはなかったですね。それは親との愛情の深さとは関係なく。父は頭はしっかりしていましたけど、足元が弱くなって、転んだり、肺炎を起こしたりして、救急車で運ばれることが増えた。母は母で認知症になった。
きょうだいの中で娘は私ひとりでしたし、その頃はまだ独身だったので、「私が世話をするのが順当だろう」と覚悟を決めて、家に戻ろうとしました。仕事を半分にして、テレビの仕事は全部捨てて、インタビューもやめる。書く仕事だけを細々と続けながら、親のケアをしようと想像したんです。
でも、一瞬で「無理だ」と思った。それをやったら、自分が壊れることが目に見えたから。突然、善人ぶったところで、続かないものには意味がないと思ったんです。それで、あらゆる手立てを使いました。兄弟を巻き込み、いろいろな人の力を借りて、シフトを組む。そのおかげで、何とか回りました。
やっぱり最終的には、自分を全部殺すことなんて、誰も望んでいないだろうと思うんです。では、何ができるのか。それを一つずつ考える。私は長期計画を立てるのが得意ではないので、「明日は誰が病院に付き添うか」「この事務処理はあなたにお願い」と、その日その日を生きていましたね。
伊藤:「粛々」という言葉が、すごく頭に浮かびますよね。粛々と。
阿川:でもずっと我慢っていう感じでもなかったの。うちの母は明るい性格だったから。認知症が進むと、娘としては、自分の名前を忘れられるのが怖いでしょう。それで自分の鼻を指さして、「これ、誰?」と聞いてみたんです。そうしたら、「お鼻」って言うの。「お鼻じゃないの。人の名前は?」と聞いたら、今度は「鼻子」って(笑)。しばらくして、また忘れているんじゃないかと思って「これ、誰?」と聞くと、「お姉さん」。「あら、私は母のお姉さんになったんだ」と思っていたら、またしばらくすると「私のお母さん」と言う。その次は「あたしのおばあちゃん」。「私、おばあちゃんなの?」と聞いたら、「うん。だって、しわしわだから」って言うんですよ(笑)。よく、そんな頓知が利くなと思って。記憶は消えていっているけれど、「この人、頭はよくないか?」って。そういうやりとりを、毎日楽しんでいましたね。
向上心を持つと、いまが不満になる
――介護はとても切迫した問題ですが、その日その日を楽しもうという向き合い方には、さまざまな困難に通じる部分があるように思います。
伊藤:そうかもしれないわね。以前、摂食障害の子たちと関わっていたことがあるんです。その子たちを見ながら思ったのは、先の未来を見るからつらくなるんだ、ということ。「3日後くらいまでしか考えなくていいよ」と、よく言っていました。遠くを見たってしょうがないのよ。まずは、明日何を食べるか。それくらいでいいんです。
阿川:「明日は明日の風が吹く」という感じよね。
伊藤:そうそうそう。「明日は明日の風が吹く」は、私の座右の銘ですから。それと、「あとは野となれ山となれ」。この二つね! 本当に何が起こるかなんて、分からないもの。
阿川:でも今の時代、不安になるのも仕方がないと思うんです。私たちが若い頃は、世の中が右肩上がりでした。「明日はもっと豊かになる」ということが、現実として感じられた。でも今は、よくなっていく道筋がなかなか見えない。若い人たちが「自分たちの将来はどうなるんだろう」「もっと貧しくなっていくのではないか」と考えてしまうのも当然だと思います。
だから、私たちのアドバイスなんて役に立たないかもしれない、ということを前提に聞いてほしいんですけど。私は、ある時から向上心を持つのをやめたんです。もちろん、向上心がなければ、上達したり、昇級したりしないこともあるでしょう。それはそれで正しいとも思うけど、下手に向上心を持つことは「いまの自分に満足していない」ということでもあるから。
「私はもっと上にいるはずなのに、なぜここで停滞しているんだろう」と、日々不満を抱えながら過ごす。それは、もったいないじゃない。「今日は楽しかった。おやすみなさい」と言って、ビールを飲んで寝る。だって明日、目覚めないかもしれないんだから。
伊藤:……向上心って何ですか?
阿川:そう来たか(笑)! そうね、伊藤さんなら「もっと詩がうまくなりたい」とか、「現代詩人として国民栄誉賞を取りたい」とか? 知らないけど。
伊藤:それはないわね。それよりも、目の前の締め切りが終わればそれでいい。
阿川:そうでしょう。そこが共通しているのよね、私たち。目の前にある危機を、一つずつ乗り越えていく。それしかないよね。
伊藤:そうそう。まずは締め切りを終わらせる。そのために栄養ドリンクを飲み、エナジードリンクを飲む。これではキンキンしすぎると思ったら、ワインを飲みながら仕事をするわけですよ(笑)。
阿川:小さい幸せがピッピッとね。ずっと不安に思っているより、ささやかな「あ、うれしい」「あ、うれしい」を繰り返したほうが楽しいじゃない。
伊藤:向上心の意味が分かってきた。「もっと大きな自分になりたい」ということね。でも、大きな自分になるより、「次はどんなものを作りたいか」、そのイメージのほうが大事。職人芸と言ったらいいのかな。次の仕事でこれを作りたい。そう思ったらコツコツコツコツ……まっすぐ進んでいく。今日はここまで行った。次はここまで。これが終わるまでは頑張る、そういう毎日ですよ。
阿川:それはあるわよね。引き受けたからには、面白いものを作りたいし。以前、週刊誌で連載エッセイを始めるとき、先に連載を経験していた檀ふみに、「週刊誌の連載って大変?」と聞いたことがあるんです。そうしたら、「そりゃ大変よ。週に一回、必ず徹夜の日が来る。つらいし、書くこともない。でも、週に一回、必ず幸せが訪れる」と言ったの。原稿を渡して「できた」と思えたとき、幸せが来る。本当にその通りだと思いました。書いている間はつらい。でも、書けたとき、担当者に「よく書けましたね」と認められたとき、「やった」と思う。で、ビールよね。
伊藤:そう、ビールだわね。
阿川:私たちは、その繰り返しで生きているんですよね。
親の昔話を聞くと、その営みが今の自分につながっている
――おふたりは、この本をどんな人に読んでほしいと考えていますか。
伊藤:同世代の人や、老いが射程距離に入ってきている人にはもちろん読んでほしいですけど、この記事を読んでいる若い人にも「この先、こういうことが起こるのね」という感じで読んでもらえたらいいですね。「70代」と聞くと、「お母さんと同じくらい」とか「お母さんより上だ」ってことですごく年上に感じるかもしれない。でも、お母さんも一人の女なんですよ。違う世代として線の向こう側に置くのではなく、若い時代を過ごしてきた経験者として、自分たち側に持ってきてみる。そうやって読むと、面白いんじゃないですか。
阿川:私も、ある時期に「母も一人の女だったんだ」と気づいたことがあります。その転換は、面白かったですね。
私の父は、本当に暴君のような人でした。子どもの頃は、「どうしてこんな男と結婚したんだろう」と思っていて。母は、この結婚によって不幸な人生を送ったのだと、私は勝手に考えていたんです。
でも、10代の後半か20代くらいのとき、何かのきっかけで気づいた。私が見ている父親像と、母が見ている夫の姿は違うんだ、と。
母にも父と出会ったときがあり、若い頃があった。楽しいことも経験したし、ひどい目にも遭った。子どもも産んだ。
娘が見た父親と、妻が見た夫は違う。そう思ったとき、初めて母を「一人の女」として見た気がします。
――私も以前、母に、父とどうやって出会ったのか、最初のデートはどうだったのかを聞いたことがあります。当時は携帯電話がなかったので、勤め先の会社の電話を使って、デートの約束をしたそうです。
阿川:そうそう! さらに、親が小学生だった頃まで遡って、話を聞いてみるのも面白いですよ。
うちの母は昭和2年生まれで、認知症になってから、昔の話をよくするようになったんです。
母が小学校2年か3年のとき、東京に雪が降った日があった。いつものように学校へ行こうとしたら、通学路に憲兵が2人立っていて、「ここから先へ行くな」と止められたんですって。
その声があまりに怖くて、泣きながら家に帰った。それが二・二六事件だったんです。
伊藤:うちの父もその日の朝、雪の中を王子から赤坂かどこかまで歩いたっていうから。
阿川:二・二六事件というと、教科書の中の出来事という感じがするでしょう。でも、その場所に、小学生だった私の母がいた。そう思うと、歴史がつながるじゃないですか。
親に、小学生の頃に何があったかを聞いてみる。そうすると、歴史の見方が変わるし、親と世の中との関係も見えてくる。私たちにとっては、50年前なんて最近のことですよ。もう大学生だったんだから。第二次オイルショックなんて、つい最近のことのように感じるけど、若い人たちは知らないものね。そうやって聞いていくと、世の中の歴史と、親の人生、そして自分の人生がつながっていくんだと思います。
■書誌情報
『サワコと比呂美 女じまい』
著者:阿川佐和子、伊藤比呂美
価格:1,815円
発売日:2026年6月8日
出版社:中央公論新社



























