『愚か者の身分』原作者・西尾潤 × 監督・永田琴 対談 信頼が生んだ小説と映画の共振性

『マルチの子』等で知られる小説家・西尾潤のデビュー作『愚か者の身分』が、北村匠海・林裕太・綾野剛の共演により映画化された。戸籍売買ビジネスや運び屋など、貧困から闇ビジネスに手を染めるしかなかった3人が現状から抜け出そうとするさまを見つめたクライムサスペンス。本作を手掛けたのは、メイク・スタイリスト出身の西尾と旧知の仲である永田琴監督。西尾との対談では、初対面時のエピソードから小説→映画への変換作業についてなど、気心の知れた2人ならではの濃密な内容となった。

■『愚か者の身分』映画化までの経緯

――初対面はいつ頃だったのでしょう?
西尾:LISMO(KDDIが提供していたauの音楽配信サービス)で配信された『空にいちばん近い幸せ』(2010。矢田亜希子、安田顕、小林星蘭ほか出演)のお仕事でした。私はスタイリストとメイクの両方をお願いされていましたね。ほぼスタイリストとして動き、時々メイクに回るような形でした。少しずつ女性の監督やプロデューサーにお会いする機会が増えてきたけれど今よりは数が少なかったので、ご活躍の女性監督だなと思っていました。その後、琴さんとはご一緒する仕事はなかったのですが細く繋がっていて、吉本興業の本社でばったり会ったこともありました。
永田:このご時世、SNSがありますから何となく潤さんの近況は知っていましたが、いきなり小説デビューしましたと言われたときはびっくりしました。
西尾:デビュー作の短編が無料で読める時期があったんです。それをLINEでつながっている方全員にお知らせして。
永田:そうそう。それが『愚か者の身分』との出会いでした。その時は第1章のマモルの話だけだったから、続きがあるとは知らなくて。
西尾:先にその次に書いた『マルチの子』って映像化の予定はある? というようなお話をいただきましたよね。その際に『愚か者の身分』をウォン・カーウァイみたいな感じで誰か撮ってくれないかな……と話したらすぐ読んでくれて。
永田:そこで続きがあることを知り、読ませていただいて映像がスッと浮かんできたんです。ちょうど自分がトー横キッズだったり若者の貧困について調べていた時期でもあって、自分の興味とも合致すると思いすぐ動きました。2021年の冬から春くらいの出来事です。ただ、最初は木幡久美プロデューサーと企画開発していたのですがなかなかうまくいかず……そんななか、2022年の冬にTHE SEVENが出来て遊びに行き、森井輝プロデューサーとの雑談の中で若者の貧困についての話題になりました。そこで「ちょっと待って、いいネタがあるぞ」と(笑)。木幡プロデューサーと森井プロデューサーが『百万円と苦虫女』でご一緒していた縁もあって、今回の『愚か者の身分』の座組が出来上がりました。
――『空にいちばん近い幸せ』の頃は、西尾さんはまだ執筆活動をされていなかったのでしょうか。
西尾:そう思います。ちょうど興味が出て小説教室に通い始めたくらいでした。私にはすごい才能があるんじゃないか、あったらどうしようーーそんな気持ちで書いた原稿を先生に見せたら「あれ、プロット(※物語の簡単なあらすじや設定を記したもの)ですか?」と言われて「本文のつもりだったのに……」とショックを受けて。その後しばらくは何も書かずに通うだけ状態でした。その間は書く人の目線で小説を読む訓練に当てていましたが、ヘアメイクやスタイリストの仕事と両立するのは難しくて。撮影から帰ってきては、ばたんとベッドに倒れる毎日。小説教室で原稿を書いている人たちが眩しくて仕方がありませんでした。ゲスト講師で来て下さるプロの作家の方々もカッコよくて、何とか関わっていたいという想いだけで在席を続けていました。あくまで趣味のことだから、周囲には言わないようにしていましたね。仕事を真面目にしていないみたいに思われるのも嫌で。
永田:全然知らなかったので、連絡が来て本当に驚きました。
――原作小説には、登場人物の服装についてブランドを含めて細かく記載されていますよね。スタイリストである西尾さんならではだと感じますが、執筆時は頭の中に明確なビジュアルイメージが浮かんでいたのでしょうか。
西尾:そうですね。作家にも色々いますが、私はなんとなく映像が浮かんでいるタイプです。
――ウォン・カーウァイの影響もあったのでしょうか。
西尾:ウォン・カーウァイは好きな映画監督のひとりで、セリフが少なく夜の街を画で見せるような部分は『愚か者の身分』にもあるように思います。元々、本作は大藪春彦新人賞に応募するために書き始めたため、ハードボイルド小説で行こうとは考えていました。私が思うハードボイルド小説とは、内面をつらつらと綴るのではなく物事や自体がどんどん動いていく様子を書いていくもの。セリフは必要最小限にとどめている印象がありました。私の場合はデビュー作ということもあってセリフがまだまだ下手くそだったため、極力減らしたというのもありますが(笑)。また、舞台は西新宿で考えていました。新宿でハードボイルドといえばやはり大沢在昌先生のテリトリーですから。しかし気づいたら歌舞伎町に来ちゃって、すみません……という気持ちです(笑)。
――対して映画には、冒頭からちょっとした笑いが入っています。
永田:マモルがシャツをはたいたら、水しぶきが警官にかかるシーンなどですね。あれは脚本には書いておらず、現場で生まれたものです。原作のハードボイルドさやクライムサスペンスについては脚本に起こせているため、ちゃんとなぞっていけば自然と宿っていくだろうと考えていました。その反面、人間味の部分に関しては丁寧にやっていかないと撮れないため、意識して盛り込んでいます。
――小説ではタクヤの章はありませんが、映画ではマモル・タクヤ・梶谷の目線で進んでいきます。こうした部分はふたりで話し合ったのでしょうか。
永田:いえ、最初に「映画は映画だから自由にしてほしい」と言ってもらえたので、ある程度まとまった段階で定期報告するような形でした。都度共有してもかえって不安にさせてしまいますから。映画って不安定なもので、いつポシャるかわからないんです。クランクインの1週間前に飛ぶこともざらですから。北村匠海くんの出演が決まる直前くらいに「ちゃんと映画化できそうだからもうちょっと待っててね」と伝えたくらいかな。
西尾:脚本を向井康介さん(『ある男』『悪い夏』ほか)が引き受けてくださったことは知っていましたし、楽しみに待っていました。
永田:映画って動かないときは何年も止まって気づいたらポシャってたりするんだけど、動くときは一気に動くんですよね。今回は超多忙な匠海くんが夏の1カ月間スケジュールを空けてくれて、剛さんも別の作品の撮影を調整して下さって、そこに合わせて3~4ヶ月で急ピッチで準備して撮影、という形でした。そのぶん、勢いのあるスタートは切れたかなと思います。色々な波乱はありましたが、それらを全部跳ねのけてここまで来られましたから。
西尾:確かに、公開に向けて拍車がかかっている感じはありますよね。THE SEVENが参加してくれたこともそうだし、釜山国際映画祭で3人そろって最優秀俳優賞を獲るなんて思っても見なかったし。全員がすごいエンジンを持ってるんだなと思います。
■映画ならではの表現
――西尾さんは当初から、語り手が章ごとに変わっていく形を想定されていたのでしょうか。
西尾:何となく意識していました。実を言うと、大藪春彦新人賞に応募するのは2度目なんです。1度目は「女性が読めるハードボイルド」を書きたいと思い、女性同士がバトルする物語を考え、そこで生まれたのが希沙良ちゃんでした。後に第2章になるエピソードですね。それで応募したら、一次は通ったものの最終までは行けませんでした。その後、2度目の応募には最初は全く別のものを書こうとしていたのですが、メイクやスタイリストの仕事で忙殺されていてまるで準備ができずに〆切が迫ってきて。「あかん、思いつかん……。同じ世界観で続きを書こう」と思い立ちました。希沙良の章に「タクヤがマモルの様子を見に行く」という部分があったため、そこを膨らませてマモルの章が出来上がりました。
それが受賞できたことで、『パルプ・フィクション』のような群像劇にしようと思い、その時他の人物は何をしていたのかという形で考えていきました。マモル、希沙良に続いて江川、仲道の章を作ったのですが、最後の梶谷の章が相当苦労しました。物語的には仲道の第4章で割としっかり終わってしまい、第5章はどうしようかと迷い、最終的には4回ほど書き直しました。
最初、希沙良は妹を事故に遭わせてしまったため、その贖罪のために危ない仕事をしているという設定を考えていました。でも、編集担当さんに「不幸な人が集まりすぎている」という指摘をされてその設定をなくしたり、昔は殺し屋だったおばあさんを出したら「ちょっとリアリティがない」という話になって没になり……。ロードノベルのような形がいいかもと思いタクヤ目線で書き始めましたが、盲目になった人の目線で物語を展開させるのが難しくて何ページか書いたところで担当さんに「書けないと思います」とご相談しました。そんな中、運び屋の梶谷がいた! と思い、梶谷視点で書くことにしました。その後、梶谷が虐待にあっている小さな女の子を助けて、追ってきた毒親といざこざになって死ぬ――というようなストーリーを書き、これぞハードボイルドやろ!と思って出したら、今度は「ボリュームが多すぎる」という話になりました。梶谷の章だけで120ページくらいあって、長くなりすぎてしまったんです(笑)。
永田:ちょっと『無年金者ちとせの告白』の空気感が入っちゃったんだ。
西尾:そうそう入りました(笑)。指摘の通りなのでそれも没になり、ようやくいまの形に落ち着きました。最後は黙々と白米を食べるシーンで終わろうと決めていたので、そこに向かって書いてゆきました。
――そんな秘話があったのですね。となると、映画版でタクヤ・マモル・梶谷が前面に出た姿を観たときは驚かれたのではないでしょうか。
西尾:すごく新鮮でした。マモル・タクヤ・梶谷の3人で1つの人生を表現するといったような考え方や、「命をつなぐ」という意識はとても素敵だなと。
永田:実は当初、「映画で表現するには登場人物が多くないですか」と向井さんにやんわりと断られかけたんです。そのときに「ちょっと待ってください。3人に絞りたいと思っているんです。マモル・タクヤ・梶谷の3人が1人に見えるような感じで考えています」と提案したら「それはいいかもしれませんね。それならできるかも」と言っていただけました。「絶対にあなたのことを離さない」という覚悟で出したアイデアだったので、受け入れてもらえてよかったです。
■映画の特性と発想の原点
――永田監督はどのようにしてその発想に辿り着いたのでしょう。
永田:自分でも時系列を整えてみたり、試行錯誤していくなかで映画の特性を考えると仲道の章はカットせざるを得ないと考えました。涙を呑んで江川の漫画喫茶の話を縮小させたのも、同様の理由です。ただ、探偵である仲道がいなくなると追いかける人がいなくなり、客観的に見てただ罪を犯す人だけを映した映像になってしまうんじゃないかとは悩みました。そして江川がただ戸籍を売り買いされただけのコマになってしまうのも避けたい。そのバランスを試行錯誤しつつ、じゃあ代わりに何を描くかといったときにタクヤとのつながり・関係性がより見えるようにしたいと思い、今の形に収斂させていきました。希沙良と真貴のバトルアクションは個人的にもやりたくて、なんとか入れたいと思って色々なパターンを考えたのですが、どうやっても2時間には収まらず泣く泣くさよならしました。
西尾:でも結果的に3人にフォーカスして本当に良かったと思います。無理して2時間以上に伸ばして散漫になってしまったら印象に残らなかったでしょうし。
永田:みんなを描き過ぎて何の話なのかわからなくなるのは避けたかったので、選択と集中が必要だったと思います。原作を映画的にどう料理しようか毎日考えていくなかで、あるときに「一人の犯罪者の過程になっているな」と感じました。だから兄弟のような関係が生まれたり、相手を守りたいという発想が生まれてくるんじゃないか、と。私は役者たちにどういう風に伝えていけばうまく物語が成立するかの演出面も同時に考えるのですが、このアイデアであれば各々の後悔している過去や夢見たい未来もくっきり見えてくるように感じました。
■釜山国際映画祭でのエピソード
――釜山国際映画祭での3人同時受賞は、そうした想いを審査員の皆さんが感じ取ったのでしょうね。
永田:本当にそう思います。私は発表されるまで、3人兄弟の母親みたいな気持ちで「末っ子に“他のお兄ちゃんには内緒やで”と言ってご褒美をあげようか、でもやっぱり3人ともにあげたいな」みたいに考えていたので、本当に嬉しかったです。
西尾:北村匠海さんが度々インタビューで仰っているように『愚か者の身分』はマモルの物語ではあるんです。マモルの章で受賞していますし、マモルから始まっている物語ですから。だからこそ脚本を読んだときにタクヤが主役なんだと驚きはしました。タクヤの章は原作にはありませんから。
永田:タクヤは立場的にも受け身ではあるから、映画的にはマモルを中心に回していく方がスムーズではあるんですよね。でも今回、タクヤが真ん中にいながらもマモルと梶谷も含めた3人の物語になったのは、匠海くんだったからこそだと思います。
西尾:北村さんの優しさであり、懐の深さですよね。あくまでマモルの兄貴分として頑張るというスタンスを貫かれていて。これは綾野さんにも言えることで、譲り合いというかとにかくマモル役の林裕太くんを立てようとしていました。林くんもそれに応えようとしていて、俳優3人の絆が映画からにじみ出ていました。
永田:兄貴ふたりが「この新人を俺たちが育てるんだ。決して一人占めしない」という雰囲気を纏ってくれていましたよね。
――西尾さんは撮影現場の見学はされましたか。
西尾:2回伺いました。1回目は、由衣夏役の木南晴夏さんの出演日でした。昔ヘアメイクを担当させていただいたこともあって、行きたい!とリクエストさせていただいて。もう一回は、東映スタジオで撮った車のシーンです。妹と姪っ子もつれてお邪魔しました。
――素敵ですね。
西尾:ただ、撮影現場は仕事がないと居場所がないなと痛感しましたね。元々ヘアメイクやスタイリストとして撮影現場にいたので自分は慣れていると思っていましたが、いざ原作者として行くと居心地の悪さにびっくりしました(笑)。例えば掃除をするとか、交通整理をするとか、何か役割があれば安心感がありますが、とにかく邪魔したらいけないと地蔵のようにじっとしていました。現場の雰囲気はとても良かったし、綾野さんが「飲み物、飲まれてますか?」と気さくに話しかけて下さったのですが、個人的にはずっと落ち着きませんでした。
永田:「先生」だもんね。
西尾:そうなんです。作家になってから最初の方は「先生なんてやめて下さい」と言っていましたが、正直周りが「先生」呼びの方が楽なんだろうなと思って流すようになりました。ただいまでも慣れないところはあります。
永田:釜山国際映画祭のときは、潤さんが私と森井プロデューサーのヘアメイクをやってくれたんです。
西尾:自分から「メイクやりましょうか?」と名乗りを上げました。役割をもらえて大いにホッとしました(笑)。今後も小説家としてもヘアメイクやスタイリストとしてもお仕事を頑張っていきたいです。

























