“わたし”はなぜ「異邦人」だったのか? 他者の視線と埋められない溝を見つめるオートフィクションを読み解く

2019年に発表されたクラウディア・ドゥラスタンティの『La straniera(異邦人)』の日本語翻訳版が、このたび白水社より刊行された。本書は20を超える言語に翻訳され、イタリア最高峰の文学賞であるストレーガ賞、90年以上の歴史を持つヴィアレッジョ賞の最終候補に選出されるなど、国際的にも高い評価を受けてきた作品である。
物語の舞台は、ニューヨーク・ブルックリン、イタリア南部バジリカータ州の小さな村、そしてロンドン。アメリカのイタリア系移民である聾者の両親の間に生まれ、移動を重ねながら国籍・言語・階級が揺れ動く環境のなかで成長する、一人の「異邦人」の女性の半生が描かれる。
「家族」「旅」「健康」「仕事とお金」「愛」「あなたの星座は」という六つの章で語られるのは単なる回想録ではなく、神話めいた家族史である。
物語は、耳の聞こえない聾者である両親が、自殺未遂の名所として知られる橋の上で出会うという、象徴的なエピソードから始まる。
第一章「家族」では、語り手と両親をめぐる記憶が淡々と語られる。しかし、その語りはいくつもの矛盾を含み、辻褄の合わない記憶が並列され、読み手は早い段階で、自分が何を読んでいるのかわからなくなり、迷子になってしまう。語り手自身の過去であるにもかかわらず、記憶は幾重にも枝分かれし、収拾がつかない。読み進めてもこの矛盾が解消されることはないのだが、その違和感そのものが、一つの家族の記憶として樹木のように広がっていくことに気づかされる。
第二章「旅」からは、主語が「私」へと移行し、語り手自身の人生が前面に現れる。両親の離婚によってアメリカから南イタリアの保守的な土地へ移民として暮らすこと、貧しい家庭環境、そして聾者の両親を持つこと──それらすべての要素が複合的に絡み合い、「異邦人である自分」が形作られていく過程が描かれる。
「ひとつの家族の物語は、一冊の小説よりも、地形図に似ている。」
家族の記憶は、それぞれ異なる場所で隆起する山のようなものであり、なだらかにつながってはいるものの、一つの視界で全体を把握することはできない。複数の記憶が重なり合って、はじめて一枚の地形図として認識される。「私」の物語に、聾者である両親の語る記憶が重なれば、さらに新たな隆起が生まれ、より複雑な図が立ち上がっていくのだろう。
第四章以降では、私小説的な語りから距離が取られ、「異邦人」として根を張らずに生きてきた一人の女性を記録する、人類学的な視点が前景化する。大学で人類学を専攻していた語り手の言葉は、自伝でありながらどこか遠くから自身を見つめているかのように冷静に分析しているようにも読み取れる。
「私」は常に異邦人ではあるが、そこに過酷な悲劇が強調されるわけではない。政治的理由で故郷を追われた難民でもなく、極端な苦難を強いられているわけでもない。それでも常に「外側」に立たされ続けてきたという感覚だけが、静かに積み重なっていく。
一人で家を出て働き始めると階級すらも、自身をよそ者=異邦人とする要因になるのだと気が付かされる。階級の異なる裕福な人々にとって、「私」の生い立ちは気晴らしの話題として消費されるものとなってしまう。社交の場に身を置くことはできても、「誰に話し方を教わったのか」と問われた瞬間、彼らと対等な立場に立つことはできないのだと悟らされる。貧しい家庭で育ったという事実がある限り、「私」は常にガラスの向こう側に立たされ続けてしまう。
彼女の過去を知った人々は、「良質な教育を受けられなかった、貧しい母を支えるために懸命に働く若い女性」という物語を勝手に作り上げ、再び彼女を「外側」へと押し戻す。
こうして「私」の記憶から生まれたはずの物語は、他者によって書き換えられ、新たな矛盾を孕んでいく。そして、周囲の人々の階級が変化するにつれ、過去の記憶を解釈する「私」自身の価値観もまた、静かに変わっていくのだ。
この難解な物語に一定のリズムを与えているのが、各章冒頭に置かれたエピグラフである。エミリー・ディキンソンやジーン・リースなど、自身の経験を独自の方法で解剖してきた書き手たちの言葉が引用され、物語と共鳴していく。
作者のクラウディア・ドゥラスタンティは、ニューヨークのイタリア・コミュニティに生まれ、両親はともに聾者である。耳の聞こえない両親の言葉を「翻訳」しながら育った彼女は、現在、英伊の翻訳家としても活躍している。ニューヨーク、南イタリア、ローマ、ロンドンと生活拠点を移しながら育った経験は本作に色濃く反映されており、きわめて自伝的な作品と言えるだろう。
「ねえ、これってほんとうの話なの?」
作中で、フィクションを嫌う母が繰り返し投げかけるこの言葉は、本書全体を貫く問いでもある。耳の聞こえない母に向けて書かれたこの本は、フィクションでもノンフィクションでもない。矛盾を抱えたまま立ち上がる、複雑な地形図そのものなのである。















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