岡田准一 Netflix『イクサガミ』は何が凄い? “嵯峨愁二郎”の「覚醒」が生む“原作小説”になかった演出

『イクサガミ』原作小説にはなかった仕掛け

※本記事は『イクサガミ』の内容に触れる部分があります。未読・未視聴の方はご注意ください。

 Netflixの新作シリーズ『イクサガミ』が11月13日に配信開始され、瞬く間に国内ランキング1位、全世界でも2位(非英語シリーズ)を獲得した。本作は明治11年、京都・天龍寺を舞台に侍たちが賞金を懸けたデスゲームに挑む物語で、岡田准一が主演・プロデュース・アクションプランナーを兼任。二宮和也、山田孝之、阿部寛、玉木宏、東出昌大など豪華キャストが集結し、配信直後からSNSでも「一気見必須」「映像の温度が高い」と話題となっている。

 物語の舞台は、廃刀令が施行され、武士の時代が終焉を迎えた明治初期。武士たちは誇りを失い、生きる糧にも困る日々を送る。そんな中、全国に出回った「武芸に優れた者は天龍寺に集まれ、金10万円(現在の数億〜数十億円相当)を与える」という怪文書に誘われて京都に集まった292人の武士たち。彼らは木札を奪い合いながら京都から東京までの東海道7つの関所を通過する命がけのゲーム「蠱毒」に参加する。ルールに背けば運営側に即座に命を奪われるという過酷なルールが設けられ、強者だけが生き残ることができる時代劇バトルロワイヤルだ。

 本作の最大の見どころは、岡田演じる主人公・嵯峨愁二郎の圧倒的なアクション。愁二郎はかつて「人斬り刻舟」と呼ばれた剣豪で、長く剣を握ってこなかったが、コロリ(コレラ)の流行で貧しい生活を余儀なくされている家族や村の人たちを救うための金を得るため、再び刀を取る。しかし、戦争のトラウマから序盤は刀を抜けない。実は今村翔吾の原作ではこの設定がないのだが、ドラマでは巧みに物語に組み込まれており、愁二郎が覚醒して真の力を取り戻す瞬間に視聴者は強いカタルシスを味わうことができる。

 ドラマ第2話では、参加者が自ら木札を外すルール違反をする描写が追加され、運営に虫けらのごとく殺される。これをトリガーに愁二郎が憤怒してついに刀を抜くと、15人ほどはいた運営側の人間を一陣の風のように斬り伏せるのだ。焦らすだけ焦らし緊張感を高めた後ですさまじい剣技を見せるこの演出は、視聴者にゲームの残虐性と「人斬り刻舟」の強さを体感させる実に見事な仕掛けとなっていた。

 また、運営の隊長である櫻(淵上泰史)との一騎打ちは海外配信であることを意識してか、音楽やカメラワークが西部劇を意識しているような演出となっていたのが印象的。一部の視聴者からは岡田がたしなんでいるフィリピン武術の「カリ」を彷彿とさせる動きもあったと指摘されており、アクションプランナーとしての細かいこだわりが盛り込まれていたのかもしれない。

 他にも原作をパワーアップさせているのが阿部寛演じる最強の男・幻刀斎だ。原作では小柄な老人として描かれていたが、大柄な阿部が演じることで対峙するものの絶望感が増幅。阿部がここまでアクションをこなせたのかと唸らされた。豪華キャストばかりゆえに、次に誰が死ぬかわからないハラハラ展開に加え、原作では愁二郎の味方だった者が敵側に回ったり、蟲毒の参加者から格上げされた役どころになったキャラもいるため、原作ファンも先の展開が読めないだろう。

 ちなみに、東出昌大演じる柘植響陣の訛りが違和感ありすぎると眉を潜めている人もいるようだが、こちらは独自の演出ではなく、「知り合いのきつい上方訛りがうつった」という原作設定が忠実に再現されたもの。むしろ、そのニュアンスを丁寧に落とし込んだ東出の演技力こそ評価されるべきだろう。総じて『イクサガミ』は、原作小説の世界観を尊重しつつ、Netflixオリジナルならではの演出とアクションを大胆に加えた作品と言える。シーズン2も確定しており、原作未読の方はその間に読んでおけば、作品の魅力がより立体的に感じられるはずだ。ドラマと原作、それぞれの“異なる魅力”を楽しみながら、愁二郎たちが待ち受けるさらなる戦いに期待は高まるばかりである。

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