宮﨑駿が不遇時代に描きためた「ジブリの礎」が一冊に 『ナウシカ前史』をひらく

宮﨑駿が不遇時代に描きためたジブリの礎

 国民的なアニメーション映画監督となったいまでは、にわかには信じられないかもしれないが、『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年)の興行的な失敗のあと、宮﨑駿は、しばらくのあいだ、思うように映画を作ることができない状態が続いていた。

 突破口となったのは、1982年に連載開始した漫画版『風の谷のナウシカ』と、その翌々年(1984年)に公開された同作の映画版(宮﨑は原作・脚本・監督を担当)のスマッシュヒットだが、そこから先の活躍についてはいまさら説明不要だろう。

 なお、『カリオストロの城』公開から漫画版『風の谷のナウシカ』連載開始までの約3年のあいだに日の目を見た宮﨑作品といえば、「照樹務」名義で脚本・演出を手がけた『ルパン三世』(TV第2シリーズ)第145話「死の翼アルバトロス」と、最終話「さらば愛しきルパンよ」のみだが(いずれも1980年放送)、その他にも、劇場作品『リトル・ニモ』やTVシリーズ『名探偵ホームズ』など、いくつかの企画に関わってはいたようだ(前者は途中で降板、後者は6話分が作られた時点で制作が一時中断した)。また、それ以外にも、大小様々な企画の構想を練っていた。

 先ごろ岩波書店より刊行された『ナウシカ前史』(宮﨑駿イメージボード全集4)には、そんな不遇時代――といっていいだろう――に宮﨑が描きためた、のちのジブリ作品のアイデアの源泉ともいうべきイメージボード(映画の世界観を視覚的に表わしたイラストレーション)の数々が収録されている(帯のアオリでは、「風使いの少女が生まれるまでの10年の軌跡」と書かれているが、実質的には前述の約3年間に描かれたものがほとんどだろう)。

映画にならなかった幻の物語たち

 『ナウシカ前史』に収録されているのは、『ロルフ』、『グールの王女ナウシカ』、『土竜とクシャナ』、『戦国魔城』、『風使いの娘ヤラ』という5作品のイメージボード(全188枚)。

 いずれも構想のみで中断した(あるいは、別の企画に形を変えた)物語のイメージボードであり、1996年刊行の『風の谷のナウシカ 宮崎駿水彩画集』(徳間書店)でもその主だったところの絵を見ることはできるのだが、今回の本では、原画の大きさが判明しているものについては、可能な限り原寸か、それに近いサイズで掲載されている(ページに入り切らないサイズの絵は、視認性を考慮しながら縮小)。

 それでは、簡単に各作品を紹介してみよう。

『ロルフ』

 アニメーター出身のリチャード・コーベンが描いたコミック『ROWLF』は、「悪者にとらえられた姫を、その飼い犬が半身半獣となって救う」物語。同作のアニメ化を考えた宮﨑は、何枚ものイメージボードを描いたが、コーベン側からの了解は得られなかった。

 いまにいたるまで宮﨑がこだわり続けている「美女と野獣」というテーマ(モチーフ)も見逃せないが、この『ロルフ』のイメージボードで描かれているヒロイン「ヤラ」の名が、のちの『風使いの娘ヤラ』(後述)のヒロインの名に受け継がれている。

『グールの王女ナウシカ』

 『グールの王女ナウシカ』は、1981年、『リトル・ニモ』の企画に参加していた宮﨑が、作品の核となるオリジナル・ストーリーとして考えたもの。グールとは、「死体や霊魂がモンスター化したアンデッド(undead=不死者)の怪物」。ヒロインは、それらを司る王女として設定されているのだが、前述の『風の谷のナウシカ 宮崎駿水彩画集』(以下、『水彩画集』)の中で、宮﨑はこんなことをいっている。

 「大体僕は、マイナスイメージの人物たちや、価値観が逆転していくような話が好きなんです」

 ちなみに、ヒロイン「ナウシカ」の名は、詩人・ホメロスが書いた『オデュッセイア』に登場する王女の名からとられている。宮﨑は『ギリシア神話小事典』(バーナード・エヴスリン)でこの名を知り、「新鮮なイメージ」を受けたのだという。

『土竜とクシャナ』

 一方、『風の谷のナウシカ』の“もう1人のヒロイン”ともいうべき「クシャナ」の名がタイトルに入っているのが、『土竜とクシャナ』である。

 本作は、『グールの王女ナウシカ』と同時期に構想された物語のようだが、ヒロインは、「この世とは思えないところに生きている、破壊的で憎悪の塊のような人物」(『水彩画集』)とのこと。

 トルメキア軍の司令官として、“この世の地獄”を見てきたクシャナの原型が、ここにあるといえるかもしれない。

『戦国魔城』

 もともと時代劇を作りたいと考えていた宮﨑の趣味が最も色濃く反映されている作品。ただし、時代劇は時代劇でも、飛行メカや巨大ロボットなどが出てくるSF仕立ての時代劇だ。

 時は戦国の世――異界からの侵略者と戦うことになる主人公は、当初は少年の設定だったが、やがて青年に変わり、それに伴い、物語も漫画的な展開から本格時代劇調になるなど、その世界観の変化の様子をイメージボードの数々から読み取ることができる。

 本作も、1981年、劇場アニメーションの企画として提案されたものだが、実現には至らなかった。しかし、ところどころでのちの『天空の城ラピュタ』や『もののけ姫』の萌芽は認められるし、横に並んだ何体もの巨大ロボットが城を踏み潰しているカットなどは、『風の谷のナウシカ』の巨神兵たちによる「火の七日間」を彷彿させる。

『風使いの娘ヤラ』

 前述のように、主人公の「ヤラ」という名は、リチャード・コーベン『ROWLF』の姫の名に由来するものだが、宮﨑はこの物語を構想するにあたり、風の流れを読み、ハンググライダーで空を駆け巡る「風使いの娘」というまったく新しいヒロインを生み出している(そしてそれが、ナウシカの原型にもなっている)。

 『水彩画集』に掲載されている宮﨑の発言によると、ル=グウィン『ゲド戦記』に出てくる「風の司」という言葉に惹かれたのと、中世のヨーロッパ人が書き残した地理史に、「風を労働に使う人々」(風車小屋や水車小屋の職人など)のことが出ており、それらに興味を持ったことが、「風使い」の設定につながっているようだ。

 また、「風使い」だけでなく、メーヴェのような乗り物、老剣士・ユパに似た人物など、『風の谷のナウシカ』に通じる要素をいくつも発見できる。

映画はとにかく“絵”だ

 『ナウシカ前史』の巻末には、スタジオジブリのプロデューサー・鈴木敏夫のインタビューが掲載されており、その中で、彼はこんなことをいっている。

 「この時(引用者注・『リトル・ニモ』に関わっていた時)アメリカで宮さんはいろいろなことを勉強しました。そのひとつとして、映画を作る時に大切なのは、シナリオよりも、とにかく“絵”だということ。映画のキーになる絵を見つけ、整理整頓して、それらをどうやって起承転結に変えるかという映画の作り方を学びました。人を圧倒するような絵を描いて、そしてそんな絵が10枚あれば、1 本の映画が出来上がる。いくらシナリオが良くても、画面が映画として見るに耐えうるものでなければ意味はない。そのためにはテーマがなくても意味がなくても、まず絵を描くということで、宮さん自身が映画を作る時にはそういう考えになっていきました」

 映画は「とにかく“絵”だ」――この言葉は、『ナウシカ前史』に限らず、今後も刊行が続いていく、すべての「宮﨑駿イメージボード全集」を読む(見る)際に、頭の片隅に入れておいた方がいいだろう。

 いずれにせよ、『カリオストロの城』以降、しばらくのあいだ、宮﨑駿の試行錯誤の時代は続いた。しかしその試行錯誤は無駄ではなく、確実に、『風の谷のナウシカ』という傑作に向かって一歩一歩足を進めてはいたのだ。

 そういう意味では、つまり、当時の宮﨑駿の“映画への想い”が封印されているという意味では、この『ナウシカ前史』という1冊の本もまた、1つの「物語」なのだといえなくもない。

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