一見すると「オーソドックスな警察小説」だが……話題のミステリー、櫻田智也『失われた貌』の凄さとは?

櫻田智也『失われた貌』の凄さとは?

 櫻田智也の新刊である。しかも初の長篇である。デビュー作から読み続けているファンなら、大きな期待を抱かずにはいられないだろう。

 二〇一三年、昆虫好きの青年・魞沢泉を探偵役にした「サーチライトと誘蛾灯」で、第十回「ミステリーズ!新人賞」を受賞し、作者は作家デビューを果たした。以後、魞沢を主人公にした連作を書き続け、シリーズは現時点で三冊を数える。泡坂妻夫の「亜愛一郎」シリーズにオマージュを捧げたシリーズは、どれもミステリー・マインド溢れるもの。二〇二一年には、シリーズ第二弾の『蟬かえる』で、第七十四回日本推理作家賞と、第二十一回本格ミステリ大賞をダブル受賞した。

 このように高く評価されている作者だが、今のところ単行本は「魞沢泉」シリーズだけだった。そろそろ新たな〝貌〟が見たいと思っていたところに出版されたのが、初の長篇ちなる本書だったのだ。繰り返しになるが、大きな期待を抱かずにいられない。そして作者はその期待に、十全に応えてくれたのだ。

 主人公は、J県警媛上警察署捜査係長の日野雪彦だ。といっても四月に媛上署に異動になったばかりで、まだ土地勘がなかったりと、勝手が分からないでいる。そんな日野の相棒が、二十九歳の入江文乃巡査部長だ。やる気があるのはいいが、鼻っ柱が強く、時には日野とぶつかることもある。

 ストーリーは、六月二十九日から始まる。山林の谷底で、四十代から五十代と思われる男性の死体が発見された。しかし死体は顔が叩き潰され、人相の判別ができない。加えて、両腕とも手首から先が切断される。少し後になって判明するが、歯も折られている。どうやら犯人は、徹底的に死体の身元を隠したいようだ。県警本部刑事部鑑識課の鷹宮検視官(階級は警視で、正式な役職は課長職級の管理官)に、プレッシャーを与えられながら、日野は文乃と共に事件を追う。

 と、粗筋だけ取り出すと、本書はオーソドックスな警察小説に見える。まあ、作中で文乃が「なんだかわたしたち、刑事っていうより私立探偵っぽくなってきましたね」というように、主人公たちの行動はハードボイルド的なのだが、警察小説の大枠に収まっている。そして話の進行につれて、捜査の対象となる人々の人間関係が錯綜し、冒頭から伏線が山のように張り巡らされていることが露わになっていく。そんなジャンルはないが〝伏線ミステリー〟といいたいほどだ。

 たとえば媛上署には、日野と警察学校で同期だった、生活安全課長の羽幌警部がいる。自らのルールに忠実な正義感であり、警察学校時代にある騒動で、日野たちと対立したことがある。この件も後々、重要な意味を持ってくるのだが、それは置いておこう。不審者による声かけ事案に、適切な対応が取られなかったと、週刊の地方紙「北光ウィークリー」に、苦情の投書が寄せられる。このような苦情が出ること自体が羽幌らしくないと、日野は考えるのだ。

 やがて不審者の声かけ事案が、日野たちの捜査する事件と深い関係があることが分かり、羽幌のらしからぬ態度の理由も明らかになる。その他にも、日野が投書の記事を見る場面に、重要な伏線が仕込まれている。どこもかしこも伏線だらけなのだ。

 ストーリーは途中で、新たな殺人事件が発覚し、貌のない被害者の身元も判明する。その後も紆余曲折が何度もあるのだが、詳しく書くことは控えたい。何も知らずに読むのが、一番楽しめるからだ。ただ、これくらいはいっておこう。作者はストーリーの流れの中で順次、伏線を回収しながら、事件の新たな人間関係を印象づける。人間関係はかなり複雑なのだが、この書き方により、読者は混乱することなくページを捲っていけるのだ。

 そして小中の意外性を連鎖させ、ラストで特大のサプライズを爆発させる。これには驚いた。本書は、警察小説であり、伏線ミステリーであり、そして何よりも本格ミステリーであるのだ。さらに終盤で、真相を追究するために、他人の人生の秘密を警察官が暴くことの是非も問われている。さまざまな要素を高レベルで融合させた、素晴らしい作品なのである。

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