映画『不思議の国でアリスと』は原著をどう現代化した? 翻訳者のセンスが問われるノベル・コミカライズも登場

『不思議の国でアリスと』はどう現代化した

 誕生から160年。ルイス・キャロルが1865年に送りだした児童小説『不思議の国のアリス』は今も世界中で愛され続けている。2025年8月29日から劇場公開されたアニメ映画『不思議の国でアリスと -Dive in Wonderland-』は、そんなアリスの物語を大胆にアレンジし、現代を生きる人たちが読んで心をとらえられるストーリーに仕上げたもの。猫屋敷のあが書いた小説版『小説 不思議の国でアリスと -Dive in Wonderland-』(角川文庫)や、あやめゴン太のネーム構成でえのが作画した漫画『不思議の国でアリスと -Dive in Wonderland- 1』(KADOKAWA)が、そんな映画の世界をうかがわせる。

 「まずい!まずい!遅刻だぁ!」(河合祥一郎訳、角川文庫版『不思議の国のアリス』より)。そう言いながら野原を走って行ったウサギが飛び込んだ穴に、同じように飛び込んだアリスという名の少女がそこで数々の不思議な経験をする。ルイス・キャロルが『不思議の国のアリス』で描いた物語は、大きくなってしまったりイモムシやネコと会話したり帽子屋とウサギのお茶会に混じったりするアリスの先が見えない冒険が、普段とは違った場所を見せてくれるようで読む人をドキドキさせた。

 篠原俊哉監督でP.A.WORKSが制作したアニメ映画『不思議の国でアリスと -Dive in Wonderland-』にもそんな、アリスという名の少女が不思議な出来事に巻き込まれていくストーリーが繰り広げられるが、実は主人公はアリスではない。主人公は安曇野りせという女子大生で、就職活動のまっただ中にいながらなかなか企業から内定がもらえず、心がカサカサになりかけていた。小説版『不思議の国でアリスと -Dive in Wonderland-』によれば、いわゆるお祈りメールが届いて「不思議とため息すら出なかった。見慣れた……というか、いつものことというか」とすっかり諦め気分。自分には価値がないのかと思い始めているヤバい感じが漂っていた。

 そんなりせが、有力な企業経営者だった祖母が生前から建設を進めていた、「ワンダーランド」という『不思議の国のアリス』の世界を体験できるアトラクションのテストモニターを務めることになった。それだけの財力を持つ親戚がいるなら就職だってとツッコミたくなる気持ちを叩き潰すように、祖母の秘書だった男性が「新卒を取る予定はございません」と遺産で作られた財団での受け入れを断ってきた。そこでも「怒りはすぐに冷めて」しまったあたりからも、りせの自分を信じられない気持ちは相当なものだと分かる。

 挑んでも挑んでもお祈りメールしか返ってこない就活に疲れ果ててしまう学生の気分を、これほどまでに汲み取ったアニメ映画はなかなかない。そんなりせが、「ワンダーランド」にたどり着いた先でウサギと出会い、スマートフォンを奪われ取り戻そうとして追いかけていった先で穴に落っこちる。気がつくとそこはどこかの部屋の中で、そしてテーブルの下から聞こえてきた「ねぇー動かないでぇー!」という声に引かれて目をむけると、そこに小さくなったアリスがいた。

 そこから映画は、元の大きさに戻ったアリスと連れだって、りせが不思議な世界を冒険していくストーリーが繰り広げられる。イモムシもいればチェシャ猫もいて『不思議の国のアリス』を読んでいるりせには夢が現実になったかのような面白さがあった。同じルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』に出てくる卵のような姿をしたハンプティダンプティや双子のトゥイードルダムとトゥイードルディーも現れて、2つの物語の世界をいっしょに楽しめる場所だとアリスファンが大喜びしそうな感じもある。

 もっとも、りせには就活という心をカサカサにしてしまった悩みがあって、行く先々でそうした悩みをえぐられるような経験をする。インフルエンサーを自称してSNSでたくさんの「いいね」をもらって悦に入っていたイモムシが、美しい蝶に成長できたにもかかわらず「いいね」をもらえなくなると嘆くエピソードからは、雰囲気に流されがちで自分の意見を持たないりせの心情がえぐられる。

 トランプ兵たちの首をどんどんと刎ねていくハートの女王から優しさとは何かをガン詰めされて答えられない場面からも、自分の言葉を失いかけている様子がうかがえる。そんなりせが、ダムとディーからラップに誘われ歌った言葉を褒められて喜ぶのは、ようやく自分を認めてもらえたからだろう。ホッとしつつもそれが悪い誘いに繋がらないか心配してしまう。先の見えない就活なり日々の暮らしが人を蝕んでいる状況を、思い知らされるところがある作品だ。

 りせが、どのような冒険を経て現実の世界に戻っていくのかは映画を見てのお楽しみ。あるいは小説なりコミカライズを読んで確かめよう。言えのるは、祖母が「ワンダーランド」を通して来場者に受けとってもらおうとしたこと以上の宝物を、りせが自分自身の手でつかみ取ったらしいというラストの素晴らしさ。何か心に“推し”を持つことで世界はガラリと変わるという意味かもしれない。そうしたものを見つけに映画を見て小説やコミカライズを読んで良いし、この『不思議の国でアリスと -Dive in Wonderland-』という作品自体を宝にすることもアリかもしれない。

 補足するなら、原作の「第2章 涙の池」でケーキを食べて大きくなってしまうアリスが「へんてこりんがどんどこりん!」(河合祥一郎訳)と叫ぶ有名な場面が、映画では物語の中盤に来ていて「嘘でしょ~!?」「何なのこれ~!?」と普通のセリフになっているところが気になる人もいそう。この場面は翻訳者の腕の見せ所で、「Curiouser and curiouser!」という原文を英文学者の高山宏は「あれえっれれれっ!」と訳し、評論家の山形浩生は「チョーへん!」、直木賞作家の村山由佳は「何これ、どんどんヘンテコりょん!」と訳して個性を見せている。

 翻訳家の石川澄子に至っては、「いよいよもって奇妙てけれつまか不思議」とまるで江戸時代の武士のよう。そうかと思えばあの芥川龍之介と菊池寛の共訳による『完全版 アリス物語』(グラフィック社)は、「変ちきりん、変ちきりん。」といたってマジメに訳している。たくさんある日本語への翻訳を読み比べてみる楽しみがある作品だが、逆にアニメ映画が海外向けに英訳された場合、元の「Curiouser and curiouser!」が使われるのかが大いに気になる。先の展開が今から楽しみだ。

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