白人のための<翻訳>は必要ないーー大和田俊之に聞く、タナハシ・コーツが『なぜ書くのか』で気づいた確信

大和田俊之に聞くタナハシ・コーツ

タナハシ・コーツ「書くこと」への確信

——タナハシ・コーツは昨年10月、5年ぶりの新著『なぜ書くのか——パレスチナ、セネガル、南部を歩く』(原題『The Message』)を上梓しました。母校のハワード大学の講義からはじまり、セネガル、サウス・カロライナ州、パレスチナを訪れながら「書くこと」に向き合う姿を綴った作品です。まずセネガルは奴隷貿易の中心地という意味でも、コーツをはじめとするアフリカ系アメリカ人が「ルーツ」から切り離された土地です。

大和田:セネガルの章では、18世紀、19世紀を通して形作られた“ニグロ学(ニグロロジー)”と呼ばれる文献が言及されます。それは白人作家や研究者が、当時の人類学や疑似科学的な議論を用いて「黒人は劣った人種であるが故に奴隷身分がふさわしい」という言説を形成したもので、つまり人種差別は「言葉」によって構築されたものだとコーツは主張します。本書で、コーツが何よりも「書くこと」にこだわるのは、そのように数世紀にわたって積み重ねられた差別的な「言葉」に対して自らの「言葉」で抵抗する、その作家としての矜持に関わる行為であるからです。

——第三章では、サウス・カロライナ州チェイピンを訪ねます。この地区の教育委員会、一部の保護者や生徒がコーツの著書「世界と僕のあいだに」をシラバスから外す、つまり禁書にしようと働きかけています。

白人の読者を極力意識をしてこなかったタナハシ・コーツの気づきに対して感動を覚えたと大和田氏は語る

大和田:これは現在アメリカの保守的な地域で起きていることで、「白人であることを恥ずかしく思わせる」ような書物を学校の指定図書から外そうという運動の一端です。歴史修正主義と言っていいと思います。ジェンダーの問題とも関係していて、「人種や性別のために不快、罪悪感、苦痛などの心理的なストレス」を引き起こす書物を学校教育の現場から一掃しようと。コーツはこの地域の学校でライティングを教えている白人女性から「これからも『世界と僕のあいだに』を外すことはせず、生徒に教えていく」という話を聞いて現地を訪れるわけですが、そこでコーツは意外にも彼の著作を支持する多くの白人と出会います。彼女たちの熱意に触れながら、コーツはこれまで「白人を読者として意識することを極力避け」てきたことに言及し、「実際、翻訳は必要ないし、深く掘り下げてゆけば自ずと人間性が明らかになる」という確信を得ます。キャリアの初期から「白人のために<翻訳>はしない」と言い続けてきたコーツを知るもののひとりとして、この一節には私自身もとても感動しました。

——そして第四章では、パレスチナに足を運びます。

大和田:パレスチナを訪れたきっかけは、じつは彼の出世作で先に述べた「賠償訴求訴訟」という文章だったんです。“アメリカ合衆国は過去の奴隷制に対して黒人コミュニティに賠償すべき”という主張の根拠として、コーツは旧・西ドイツがナチスによるユダヤ人迫害の責任を認め、イスラエルに賠償したことを挙げていました。『賠償訴求訴訟』にはいろいろな意見が寄せられましたが、コーツ自身にもっとも響いたのが「黒人コミュニティーへの賠償を正当化するために西ドイツのイスラエルへの賠償の例を持ち出すのは、賠償という行為の倫理性を貶めている」という批判だったそうです。

 それはイスラエルによるパレスチナ占領を踏まえた批判であり、コーツ自身もそのことはずっと気になっていたようで、『賠償訴求訴訟』から約10年が経ち、ついにパレスチナを訪れたというわけです。『The Message』のなかでもっとも多くのページが割かれているのがパレスチナの章なのですが、これが本書の核をなしていることは明らかです。彼がパレスチナを訪れたのは2023年5月。(イスラム組織ハマスがイスラエルの攻撃を開始した)2023年10月7日より前ですが、そこで彼が目撃したのはまさにアパルトヘイトだった。ジム・クロウ法が存在したかつてのアメリカと同じような人種隔離政策が、今まさに行われていて、そのことに衝撃を受けてしまう。アフリカ系アメリカ人に対する差別が続いていることを克明に書いてきたコーツが実際にパレスチナを訪れ、イスラエルとパレスチナの問題をパレスチナ側から書く。そのこと自体がとても衝撃的かつ画期的ですし、おそらくタナハシ・コーツにしか書けなかったと思います。

分断が進むアメリカで『なぜ書くのか』が起こした論争

問題となった「CBS Mornings」にタナハシ・コーツが出演した際の一コマ。右が司会のトニー・ドクピル

——『なぜ書くのか』(『The Message』)のアメリカでの受け止め方はどうなんでしょうか?

大和田:刊行の際にかなりの数のプロモーションを行っていますが、なかでも「CBS Mornings」は話題になりましたね。朝の情報番組なんですが、司会のトニー・ドクピル(ジャーナリスト)が最初からかなり攻撃的で。「本書からあなたの名前や、あなたのこれまでの功績を取り除けば、この本の中身は過激派の主張だ」「イスラエルがアラブの国々に囲まれているなどの特殊な環境について触れられておらず、パレスチナ側の主張だけが展開されている」とかなり強く批判しました。もちろんコーツも反論して、緊張感のある論争につながって(※)。

※トニー・ドクピル氏が主導したインタビューが同局の編集方針に沿わないものであり、そのことが従業員の間で抵抗を引き起こしているとチームに通知した。

——やはりハレーションを引き起こす著作なんですね。

大和田:コーツも番組で言っていたように、そもそもパレスチナ側の「声」がアメリカのメインストリームのメディアでここまで報道されているのは異例ですね。これまではイスラエル側の視点に終始していたので、これは大きな変化です。イスラエルとパレスチナの問題はアメリカ社会、とりわけリベラルな民主党支持者の間でも意見が割れているし、そういう状況のなかで『The Message』が注目されているのだと思います。この本のなかに「受けた抑圧があなたたちを救いはしない」つまり「被害者であることがあなたたちに啓示をもたらすわけではない」という文章があるんですよ。

 たとえば奴隷制やアパルトヘイト、ホロコーストもそうですが、想像を絶する過酷な経験をした民族や人種が、そこから道徳性・倫理性を身に付けられるかどうかわからない。逆にそういう苛烈な歴史があるからこそ、「世界はどこまでも殺伐としていて、暴力がはびこり、力のある人間が力のない人間を抑圧し続ける」という考えを持つこともあるのだと。ユダヤ人はホロコーストで600万人もの同胞を殺されましたが、イスラエルは今まさに、パレスチナ人に対する大量虐殺を行っている。コーツはそのことに対し、「もちろん私は反対だが、そうした教訓を引き出してしまうこともありうるだろう」という趣旨の発言を別の番組でしています。

——ガザで起きていることへの理解を深めるという意味でも、現代人必読の一冊だと思います。

大和田:先ほども言いましたが、『賠償訴求訴訟』『世界と僕のあいだに』とのつながりも重要です。2010年代にはBlack Lives Matter運動と『世界と~』が重なり、今回の『The Message』はパレスチナの問題と強く結びついている。タナハシ・コーツは常に「声なきもの」の「声」を世界に届ける作家だと言えるでしょうね。

大和田氏は「常に「声なきもの」の「声」を世界に届けるのがタナハシ・コーツ」だと評する

■書誌情報
『なぜ書くのか:パレスチナ、セネガル、南部を歩く』
著者:タナハシ・コーツ
翻訳:池田年穂
価格:2,750円
発売日:2025年7月8日
出版社:慶應義塾大学出版会

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