俵万智に聞く、SNS、ラップ、生成AIとの向き合い方「何を言うのかと同じくらい、何を言わないのかも大事」

歌人・俵万智の『生きる言葉』(新潮新書)が注目を集めている。4月の発売以来、全国の書店における新書売り上げランキングで上位を維持し続けているのだ。俵といえば、デビュー作『サラダ記念日』で一世を風靡した歌人。日本人なら誰もが一度は耳にしたことがあると言ってもいいだろう。それから38年、「言葉」をめぐる環境は大きく変化した。中でも最大の転換点といえるのが、SNSの出現だ。
『生きる言葉』がとりわけ支持を集めているのは、そんなSNS時代の人間関係に疲れた多くの読者からだ。短歌を通して、今をどう生きるか――俵の言葉が、静かに力強く、心に沁みる。SNSに広がる若者言葉、ラップ、さらには生成AIの登場――めまぐるしく変わる「言葉」の風景の中で、私たちはどう言葉と向き合い、どのように足腰を鍛えていけばよいのか。俵万智に聞いた。
言葉は万能ではない、だからおもしろい

俵万智(以下、俵):もともとは、私の生き方について語る本を出しませんかとお話をいただき、そのために準備も進めていたんです。でも、いざ原稿に手を入れる段になってみると、言葉について書きたいことがありすぎて、修正を重ねるたびに、生き方についてはどんどん削られていきました。だったら、楽しく筆が進む「言葉」に特化した本にしたほうがいいんじゃないか、と一から書きなおすことにしたんです。
――なぜそんなに、俵さんは「言葉」に魅了されるのでしょう?
俵:恋をしてしまったから、としか言いようがないんですよね。好きというのは、かっこいいから、楽しいから、話が上手だからといろいろ理由はあげられるけど、なぜ恋をしたのかと聞かれたら、はっきりとは答えられないものでしょう? 思い返してみれば、あのときああいう出会いをしたから、というのは確かにあるけれど、気づけばなぜか心をつかまれていたし、今になっても興味が尽きることはない。そんな感じなんです。中学生のころから、読む本も言葉に関するものが増えましたね。
――だからといって言葉の力を盲目的に信頼するのではなく、「言葉はざっくりとした目印だと知っておくといい」と書かれていたように、冷静な距離をとっているところが素敵だなと思いました。まさに恋そのものだなと。
俵:言葉は万能ではないということを、頭の片隅に置いておくことが大事なんじゃないかと思います。これも作中に書きましたが、自分の想いや伝えたいことを、100パーセントそのままで表現することができないとき、ズレを埋めるために言葉を重ねていく、精度をあげる努力をするのは大事だけれど、どうしたって言葉と世界はズレてしまうものなのだと気持ちよく諦めることも必要なんじゃないかと思います。むしろそのズレがあるから、短歌などはさまざまな解釈を受け止めて、豊かに育っていく面があります。
――その人がどういう生き方をしてきて、どういう性格かによって、歌や言葉の解釈はこんなにも違ってくるものなのかと、本書を読んでいて興味深かったです。
俵:ズレを否定するのではなく、むしろ当たり前のものとして受け止めて楽しむ。それは私も心掛けていることです。そういう意味でも、短歌はおもしろいですよ。対面のコミュニケーションではなかなかズレが可視化されず、なんとなくわかりあったような気持ちになりますが、作品の解釈をめぐって意見交換することでズレが浮き彫りになるんですから。どんな歌ができあがるかによっても「そんなことを考えていたの?」「そんなふうに感じるの?」と驚かされることはたくさんあります。短歌を通じて重ねたトレーニングが、歌人として以上に「生きる力」となって蓄えられているような気がします。
――想いは必ず伝わるもの、言葉には誰しも共通した意味をこめるもの。そう信じすぎるからつらくなってしまうところはありますよね。
俵:「違う」ということを否定的にとらえるのではなく、おもしろがることが大事なんじゃないでしょうか。一致することのほうが少ないと知っていれば、がっかりすることも減りますし、すれ違いで悲しい思いをしたとしても、少しは気持ちが和らぎます。
歌人・俵万智がSNSから目を離せない理由

――俵さんはXのアカウントで発信もされていて、バズったり炎上したりした経験も本書では書かれています。言葉が多くの人に届けば届くほど誤解されることが多い、ということも実感されていますよね。
俵:そうですね。その行き違いは、日常のいたるところで起きているのに、私たちはおそろしいことに気づかず過ごしているのだと、Xを使う中ではっとさせられました。ただ、それでも発信を続けているのは、今の時代ならではの現象が次々と起きて、言葉オタクとしては目が離せないからなんですよ。
――たとえば、どんな現象がおもしろかったですか?
俵:自分ではこういう言葉の使い方はしないなあ、という若者言葉を目にすると、やっぱり興味を惹かれますよね。ワンチャンというのはワンチャンス、つまり何かに期待をかける言葉なのかと思っていたら、「ワンチャン遅刻する」などのように単に「可能性がある」という意味で使っていることがある。「ふつうに面白い」という言い方も、私の感覚ではあまり褒めていないと感じていたんだけれど、けっこう評価が高いときに使われますよね?
――そうですね。個人的には80点はいかなくても、75点くらいの気持ちで使っているかもしれません。
俵:それは「ふつう」ではないじゃない、って思うんだけど(笑)。実際に私がその言葉を使うかどうかではなく、今を生きる言葉が飛びかっているのを、過度に肯定も否定もせず、現象としてとらえて観察するのは楽しいです。これほど多くの人たちが短い言葉で日常的にやりとりする時代というのはなかったんじゃないかなと思いますし。
――だからこそ、若い人たちのあいだで短歌が流行しているのでしょうか。
俵:そうかもしれません。発表する場が生まれたことで、間口が広がってハードルが下がったのだろうなと思います。私はやっぱり短歌が好きなので、多くの人が楽しんでいる今の状況が嬉しいですし、歌を作るということは立ち止まって言葉を吟味する時間が生まれるということでもあるので、誰もが慌ただしく言葉に追い立てられているような時代で短歌が求められるのは、ある意味、必然なんじゃないでしょうか。
――『生きる言葉』では随所で短歌が紹介されているので、本書をきっかけに短歌に興味を持つ人も多そうですね。
俵:短歌をつくりたくなったという感想は、よくいただきますね。私のホームグラウンドは短歌ですし、散文のなかに短歌を置くことで引き立つものもあるんじゃないかなと思います。言葉というのは、自発的に内側から生まれるものであると同時に、誰かから投げかけられて育つものでもある。私自身、誰かの言葉に触れて気づきを得て、発想が広がることはたくさんあるので、この本を読んだ方が何かを受けとってくださったなら、とても嬉しいです。
――ヒコロヒーさんとの会話や、野田秀樹さんの稽古場。俵さんは言葉に触れるすべての機会……つまり、日常のあらゆる場面をおもしろがっているのが本書からは伝わってきて、だからこそみずみずしい感性をずっと保ち続けていられるのかな、とも思いました。
俵:とにかく言葉が好きで、触れていることが楽しくて仕方がないんです。本書を読んだ方から「万智さんの口から『クソリプ』なんていう言葉が出るなんて!」と驚かれましたが、確かに心地のいい言葉ではないものの、現象のひとつとしてはやっぱりおもしろい。「ラップやAIについてまで出てくるとは」ともよく言われますが、言葉に関わることだったら、なんでも好奇心が刺激されてしまう。言葉オタクたるもの、どんな現場であろうと馳せ参じなければ、という気持ちです(笑)。



















