佐々木敦 × 円堂都司昭が語る、坂本龍一との距離感 「矛盾した存在をどう受け止め、どう考えるかが重要だった」

佐々木敦 × 円堂都司昭が語る、坂本龍一

坂本龍一はなぜアクティビストになっていったのか?

——坂本さんを社会的な活動に駆り立てた理由はなんだと思われますか?

佐々木:あくまでも僕の視座ですが、4人目のお子さんが生まれたことが大きかったと思っています。そのときに彼は、自分の死後の地球に対する責任を強く実感したのではないでしょうか。もともと坂本さんはエゴイストであることに自覚的だったと思いますが、それを阻む要素が一つだけあって、それが自分の子どもだったと。これも別の文章で書いたことがあるんですが、高橋幸宏さんはお子さんがいらっしゃらなかったんですね。にもかかわらず、小児がんのベネフィットのライブ(2007年5月19日パシフィコ横浜国立大ホールで開催されたHuman Audio Spongeのライブ)を企画し、それがYMOの再々結成の一つの布石になるわけですよ。自分に子どもがいないからこそ、すべての子どものことを思っていた高橋さん、子どもが生まれたことで「自分がいなくなった後の地球が心配だ」という境地に至った坂本さん。どちらが正しいとか好きということではなく、僕がそういう理解をしています。

円堂:子どもの話でいうと、一つ引っかかっている発言があって。坂本さんが大江光さん(大江健三郎の知的障害のある長男)の音楽を評価しなかったという話があるじゃないですか。それは浅田彰、柄谷行人、坂本龍一の座談会の発言なんですが、浅田の「大江健三郎は、文学には言葉の壁があるのに対し、息子の音楽は世界中の人に即座に伝わるって言うんだけれど、それは逆でしょう。」「音楽の中でみれば、あれはハンディキャップを背負ったアマチュアの心温まる達成ではあるけれど……。」という発言に対して、坂本も「評価できない。」と言っていた。息子への否定的評価に大江健三郎が激怒したのは知られた話です。今ふり返ると、ハンディキャップのある大江光さんの音楽がそう受けとられたのに対し、闘病する坂本さんの演奏を“心温まる達成”として人々が感動した面もあるだろうし、複雑な思いがします。でも、晩年の坂本龍一は、大江健三郎と並んで反核を訴えたとしてもおかしくなかったわけで。

佐々木:そうですね。大江健三郎亡きあと、戦後リベラル知識人の代表を引き受けるような気持ちはあったと思います。そう言えば浅田さんは坂本さんの「energy flow」をかなり批判していましたよね。“癒し”なんて言われて、そんなことやってる場合じゃないと。じつは最初期のYMOに対しても厳しいことを言ってるんだけど、実際に会って、友人になってからは距離感や評価が変わってきたんだと思います。先ほども言いましたが、僕も90年代半ばくらいから坂本さんとちょくちょくお会いするようになって。そんなに親しいわけではなかったけど、僕自身も彼に対するいろいろな思いがあるなかで、この本を書いて。エモーショナルな部分が全然なかったわけではないけれど、できるだけそういう本にはしたくなかったし、するべきではないと思っていたんです。円堂さんは坂本さんが話したこと、誰かに向けて行ったことをつなげながら相対的な坂本龍一像を作り上げようとしたわけで、距離感をちゃんと保てるいい方法なんだろうなと思いますね。

円堂:実際に会ったことがあるのかどうかで、距離の取り方は全然違いますよね。僕はそもそも、音楽関係に関してはインタビューしない方針だったんです(最近は本を出した音楽関係者に本の話を聞くのはOKとか、昔ほどこだわらずユルくなってますけど)。いくつか理由があるんですが、その一つは北山修の『人形遊び 複製人形論序説』(中央公論新社)です。基本的にはビートルズ論なんですが、同時にメディア論でもあって。北山は1977年に出版されたこの本のなかで、LPのサイズ、雑誌のグラビア、テレビの大きさなどを挙げて、「アイドルは抱き人形くらいの大きさのメディアを通して受容されてきた」と書いているんですが、それを読んだとき、メディアを通して対面する相手について「自分は“抱き人形”をどう受け取ったか」を書いていきたいと思ったんですよね。北山修は、YMOとも関係が深かった加藤和彦とかつてザ・フォーク・クルセダーズをやっていた時期にメディアの人気者だった経験があるし、『人形遊び』を読んだのはYMOが流行していた頃でした。だから、僕には両者を重ねてとらえたようなところがあります。『増殖』のジャケットでメンバーの人形がそれこそ増殖していたように、YMOは自分たちの人形性に自覚的だったし、そういう“人形遊び”の距離感は『坂本龍一語録』にも出ているんじゃないかなと。

佐々木:それも一人の人を対象に本を書く時の大きな問題の一つですよね。もし坂本龍一さんに会ってなかったら、僕はこういう本を書いてないと思うんです。実際に取材して、ラジオ番組などにも出させてもらって、そういう過程のなかで「音楽家について書くとしたら、坂本さんしかない」と思うようになった。実際のきっかけは、亡くなったときに朝日新聞から電話があって、追悼のコメントをくださいと言われたことなんですけどね。その後も坂本龍一と自分の在り方みたいなことを問い直すことがあって、webで連載することになって。坂本さんの本を書くことを半ばあきらめていたところもあったので、ちょっと不思議な感じもありますね。

円堂:僕も依頼がなければ書いていなかったと思いますが、そのちょっと前に、1970年代後半の文化について考え直したいと思っていたんです。つまり自分が同時代の音楽や小説に触れ始めた時期ですね。村上龍から現代文学を読み始めて、エンタメ小説では栗本薫/中島梓に出会って。この二人の本には、ロックバンドの固有名詞が出てきたのでメモしたりして、そこからドアーズやレッド・ツェッペリンなどを聴き始めたんです。坂本龍一が村上龍と同い年の盟友関係だったことも、僕が音楽と小説を同時に浴びるようになったことを後押しした面がありました。『坂本龍一語録』の依頼があったとき、そういう自分の経験をテコにして書くことができるかもしれないと思ったんです。

佐々木:なるほど。松井茂さん、川崎弘二さんの『坂本龍一のメディア・パフォーマンス』(フィルムアート社)、吉村栄一さんの『坂本龍一 音楽の歴史 : A HISTORY IN MUSIC』(小学館)と『坂本龍一のプレイリスト』(イースト・プレス)、もちろん円堂さんの『坂本龍一語録』もそうですが、それぞれやり方は違っていても、著者と坂本龍一の距離感みたいなものがしかと刻印されている。やはり、そのことが重要なんだと思います。

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