手塚治虫『火の鳥』から『鬼滅』『フリーレン』へ……脈々と受け継がれる「生命」の価値観を描くこと

『火の鳥』から『鬼滅』『フリーレン』まで

 『黎明編』のように、執着から争乱へといたって国を滅ぼし大勢の命を失う事態へと至ることもある。『復活編』のように、身内同士を争わせて殺害すら厭わなくさせることもある。特別な力を持つというだけで悪だと言うならそうかもしれないが、時には『異形編』のように、殺人を犯した者を時間の連環の中に閉じ込めて、罪を償わせようとする。『望郷編』のように、辺境の惑星で危機に瀕した命が続くように導き、崩壊を先に延ばすこともする。進んで人類を滅ぼそうとはしない。

 『黎明編』の弓彦のように、自分では求めようとせず、火の鳥の首を切り落として死骸を卑弥呼のところに持っていく者もいる。「ただおめえを射落としたかっただけだ……」というのが、火の鳥を追いかけ続けた弓彦の思い。それさえ叶えばたとえ永遠の命であっても不要とされるこのシチュエーションが、ある意味で火の鳥の生き血であり、それがもたらす永遠の命といったもの価値が、人間にとって絶対ではないことを感じさせる。

 邪(よこしま)な意思を持たない傍観者であり、あらゆる生命の導き手。そんな存在を仰ぎ見みつつ人々どのように生きていくのか。欲望にのみ込まれて滅びるのか、それとも自分を律して生き様を貫くのか。そうしたことを、古代や中世の日本であり未来の地球であり遠い宇宙の惑星でありといった様々な時間や空間を舞台にして描いた壮大なヒューマンドラマ。それが『火の鳥』というシリーズだ。

 そこからは、生命というものが生まれ育ち、朽ちてまた生まれるといった繰り返しによって作り出される無数の物語の尊さが浮かび上がり、そうした連なりの中に同じ生命として身を置く喜びのようなものが漂ってくる。

あらゆる時代のあらゆる場所の「人間」を描く

 『手塚治虫 火の鳥展』に出展され、公式ブック『火の鳥は、エントロピー増大と抗う動的平衡=宇宙生命の象徴|生命論で読み解く、手塚治虫『火の鳥』(福岡伸一、朝日出版社)に、興味深い記述が収録されている。『火の鳥 休憩 またはなぜ門や柿の木の記憶が宇宙エネルギーの進化と関係あるか』という手塚自身による6ページの原稿で、「生命とはこの宇宙エネルギーのほんの一しゅんのかりの姿なのだろうか」「ながい ながい進化を続けているのかもしれない」「その進化のほんのわずかなチャンスに有機物質とむすびついて生命になるときがある……」と書かれている。

 ビッグバンによって生まれたエネルギーが、時に一瞬の仮の姿としての生命となる。それが自分であり周りの人々であり他のあらゆる生命であると感じ、たとえ終わったとしても次の生命を生み出す糧になるのだと感じ取ることで得られる心情は、たったひとつの個体として永遠の命を変わらない生きていくこと以上に魅力的だ。同時に『火の鳥』は、今を懸命に生きる者たちを、あらゆる時代のあらゆる場所を舞台にしたエピソードによって示すことで、ミクロな存在としての自分が自分として生きていく意味も感じさせてくれる。

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