『チ。』活版印刷はなぜ“3大発明”の1つになったのか? “自分で考えること”を促した本の普及
「本」の力とは
さて、原作の第44話で、そのドゥラカに向かって、シュミットという異端解放戦線の隊長が「活版印刷」について熱弁をふるう場面があるのだが、両者の「本」(あるいは「印刷」)に対する考えの違いが、私には興味深く思えた。
フランシス・ベーコン同様、活版印刷を、火薬や羅針盤とともに「世界を揺るがす三つの発明」の1つだと考えているシュミットは、「情報の自由度が社会の自由度に繋がる」と力説する(これは同解放戦線の組織長の考えでもある)。そして、彼が想い描いている理想の社会を実現させるために、「本」の力を利用しようとしている。
一方、ドゥラカは、初めて前述の「本」を読んだとき(第41話)、「大稼ぎできる気配」を微かに感じ取っていた。ページを開いたまま彼女はつぶやく。「大稼ぎする為には、広く人に受け入れられる必要がある」――そして、「神」にすがって生きている多くの人々の「不安」を紛らわせることのできるのは「娯楽」だけであり、「もし読書が、その娯楽になれたら?」という考えに到達する。
片や「社会」、片や「個人」に目を向けた、ある意味では対照的ともいえるこの両者の考えは、実は「本」というメディアの特性をよく表わしている、といえなくもない。つまり、シュミット(および組織長)のいう「自由な情報の伝達(情報の解禁)」も、ドゥラカのいう「娯楽(感動)の提供」も、“1人1人の人間に「自分で考えること」を促す”という点では共通しているのだ。そう、それこそが、「本」や「印刷」の力なのだといっても過言ではない。
第3章のクライマックス――ドゥラカとシュミットたちはついに活版印刷を実行するのだが、ある裏切り者のせいで中途半端な結末を迎えてしまう。しかし、彼女たちの夢はまた、時を越えて別の“誰か”に受け継がれていくだろう。なぜなら、「自由」を求め、「この世のすべてを知りたい」という人々の想いは永遠だからだ。
参考
『本読みまぼろし堂目録〜店主推奨七〇〇冊ブックガイド〜』荒俣宏(工作舎)
『本の歴史』ブリュノ・ブラセル[荒俣宏監修/木村恵一訳](創元社)
























