日本人は「人を殺すダニ」とどう闘ってきたのか? ノンフィクション作家・小林照幸に聞く、ツツガムシ病の恐怖

コロナウイルス感染症との共通点

小林:私は、虫送りはじめ様々な民俗慣習でツツガムシ病が語り継がれてきた点に興味を持ちました。病気を妖怪やお化けのような存在と捉え、畏敬し、助かりたいと願う気持ちはコロナの時の世相と重なりますよね。
――そうですね。コロナ禍では未知なるウイルスに恐怖を抱きましたし、その過程でアマビヱの絵が信仰されたこともありました。
小林:アマビヱの絵は科学的根拠のない非科学的なものではあっても、あのときは多くの人が不安や終末感を抱いていたのも事実ですし、コロナ禍を経て健康のありがたさを実感できた人も多かったと思います。私もコロナ禍を経験したことで、昔の人たちがツツガムシ病をどれだけ恐れていたのか、を理解できました。すがるような気持ちで神仏に手を合わせていたのは、当然だと感じます。
――私たちが、ツツガムシ病の歴史から学ぶことは何でしょうか。
小林:治療法が見つかるまでに、様々な医学者の苦闘とドラマがありました。しかも、それは中央だけでなく、地方にも田中や長与のような医学者などがいて、中央とパイプを作りつつ、“オールジャパン”の体制で研究していたのです。そして、戦後にはアメリカも加わり、ツツガムシ病は対策が必要な感染症であると国際的に認知されたことは意義深いですし、日本の地方だけと考えられていた病気がアジア太平洋に広く分布する感染症だとわかったのです。長年の研究の積み重ねが、治療法の開発に生かされました点も重要です。
――医学者、研究者のバトンが見事につながったといえますね。
小林:そして、“ダニを甘く見ちゃいかん”ということも言えるのではないでしょうか。目を凝らさないといけない見えない虫の中にいるリケッチアが、人間を殺してしまうのですからね。
――ツツガムシが悪さをすると気づいた昔の人の観察力もすごいですよね。
小林:ツツガムシが恐ろしい存在であると、経験則として語り継いできたことは重要です。研究者もそういった地域の伝承をもとに、検証に入るわけですからね。余談ですが、湯沢市出身の菅義偉さんがコロナ禍で首相となり、コロナ対策に取り組んでいた時、郷土の偉人であり、ツツガムシ病という感染症の研究、治療に取り組んだ田中に思いを馳せたのかな、と想像しました。郷土の偉人として、語り継がれてきたはずと思いますからね。
医学者の熱意を書き残しておきたい
――小林さんのお話を聞いていると、病原体の解明に至るまでに、情熱をもって研究した医学者たちのドラマがあることがよくわかりました。
小林:医学者が、地元の人を救いたいと思って立ち上がった。これは、日本人らしい優しさ、勤勉さ、他者への思いやりが形になったといえます。病原体と治療法の解明までたどり着くのは、本当に大変なことですから。そして、人々が安心して農作業ができるまでに多くの歴史の積み重ねがあったと思うと、感慨深いものがありますよね。
――小林さんは『死の虫』をはじめ、『死の貝』など、病気の解明に奮闘する医学者の姿や歴史をノンフィクションとして執筆しています。小林さんの仕事からも、強い使命感を見て取れます。
小林:感染症の恐怖が現在の比ではなかった時代に、何とかしなければといけないと動いた医学者たちの姿を、克明に書き残しておきたいと思ったのです。特に、医学の中では語り継がれてきた歴史を一般の方々にも知っていただきたいなと考えました。
――今回、文庫化されるにあたって、大幅に内容を充実させたそうですね。
小林:改訂版では、近年広く知られるようになったSFTS(重症熱性血小板減少症候群)の話題を入れました。また、菅江真澄のことを書き込むために秋田県内の図書館を訪問し、地域コミュニティが出版している冊子を参照するなどしました。秋田県内にしろ、新潟県内にしろ、山形県内にしろ、ツツガムシ病に苦しんだゆかりの地を再訪してみると、同じ県内の地域間でも距離が離れていて、とにかく移動に時間がかかる。かつての医学者たちは自動車なんてない、鉄道もまだ完備されていない、馬や舟が交通手段だった時代に地域間を行き来しながら研究したのですから、本当に凄いですよ。現地を見てまわることで改めて実感できました。
■書誌情報
『死の虫-ツツガムシ病との闘い』
著者:小林照幸
価格:990円
発売日:2024年12月23日
出版社:中央公論新社






















