寺山修司とは何者かーー世田谷文学館「寺山修司展」で稀代のクリエイターの全貌を辿る

「寺山修司展」レポート

 現在、東京・世田谷文学館にて、寺山修司(1935~1983)の生誕90年を記念した展覧会「寺山修司展」が開催中だ(2025年3月30日[日]まで)。

会場風景/撮影・島田一志

 1954年、18歳の若き歌人として出発した寺山修司は、短歌のみならず、俳句、詩、小説、評論、随筆、写真、演劇、映画といったさまざまな芸術分野を横断した稀代のマルチクリエイターである。いわゆる60年代末の「アングラ」ブームを牽引した演劇実験室「天井棧敷」での活動を筆頭に、その表現はどちらかといえば前衛的なものが多かったが、テレビアニメ『あしたのジョー』の主題歌の作詞を手がけるなど、メジャー/マイナーの枠にとらわれない柔軟さで、47年の人生を駆け抜けた。

 そして、彼が遺した膨大な作品群は、いまなお若い世代の人々に強烈なインパクトを与え続けているのだ。

『われに五月を』出版の頃(1957年)Ⓒテラヤマ・ワールド
渋谷に落成した天井棧敷館の前で(1969年)Ⓒテラヤマ・ワールド

“手紙魔”寺山修司による自筆書簡の数々に注目

 さて、現在開催中の「寺山修司展」では、世田谷文学館収蔵のコレクションを中心に展示されている(「天井棧敷」の関連資料や自筆の書簡など約150点)。世田谷は30歳前後の寺山が暮らしていた街でもあり、その時期の特筆すべき仕事としては、「天井棧敷」設立の他、『書を捨てよ、町へ出よう』や『田園に死す』(歌集)といった、後に彼の代表作となる書籍が刊行されている。

会場風景/撮影・島田一志
会場風景/撮影・島田一志

 なお、今回の展示で最も目を引くのは、なんといっても筋金入りの“手紙魔”として知られる寺山の自筆書簡の数々ではないだろうか。会場に展示されている知人や友人に宛てた手紙・ハガキの文面を実際に見てみればわかるが、いずれも短いフレーズで読み手の心を打つ “詩人・寺山修司”の本領発揮というか、「私信」でありながら、おそらくはのちの世にこういう形で他者の目に触れることをも意識した、ある種の「作品」にもなっている。

百年経てば、“答え”がわかる?

 また、個人的には、演劇『百年の孤独』の緻密な箱書き(プロット兼舞台進行予定表)が印象に残った。現在、ほとんどの劇作家は、この手の書類はWordやExcelなどを使って作成していることだろうが、寺山が遺した箱書きには、「手書き」ならではの迫力が紙の上に刻み込まれている。

 「百年たったら帰っておいで、百年たてばその意味わかる」――これは寺山が監督した映画『さらば箱舟』(※)の台詞の一部だが、撮影中に同じ言葉をしたためた彼の色紙が、今回の展覧会でも展示されている。

※映画『さらば箱舟』は、演劇『百年の孤独』同様、ガルシア=マルケスの小説に着想を得た作品だったが(内容はほぼ別物)、原作サイドの許可を得ることができず、このタイトルに改題された。

演劇『百年の孤独』箱書き/撮影・島田一志

 誤解を恐れずにいわせていただければ、かつて――1950年代から1980年代にかけて、寺山修司が膨大な作品群を通じて我々に伝えようとした挑発的かつ謎めいたメッセージの数々は、現在でも完全に解き明かされているとは言い難いだろう。

 寺山修司とは何者か。何を表現しようとしたのか。前述の『さらば箱舟』の台詞を信じるなら、いまから約10年後の未来――「寺山修司生誕100年」の年にはその“答え”がわかるのかもしれないが、まずはそのヒントをつかむためにも、世田谷文学館へ足を運んでみるといいのではないだろうか。

寺山修司の色紙(複製)/撮影・島田一志

 

世田谷文学館コレクション展「寺山修司展」 

2024年10月5日(土)~2025年3月30日(日)
※会期途中に整備休館あり
▪️会場
世田谷文学館 1階展示室
▪️開館時間
10:00~18:00
*展覧会入場とミュージアムショップ営業は17:30まで
▪️休館日
毎週月曜日(但、月曜が祝休日の場合は開館し、翌平日休館)
年末年始(12月29日~1月3日)
館内整備期間(3月10日~18日)
▪️主催
世田谷区、公益財団法人せたがや文化財団 世田谷文学館
▪️後援
世田谷区教育委員会
▪️協力
(株)テラヤマ・ワールド

詳細は以下、公式サイトへ
https://www.setabun.or.jp/collection_exhi/20241005_collection.html

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