最果タヒ×三宅香帆が語り合う、宝塚ファンの生き様 『ファンになる。きみへの愛にリボンをつける。』対談
最果「好きという気持ちを信じられる時こそ、最高速度が出る」
――最果さんは現在、雑誌「スピン」に「ときには恋への招待状」という連載を持っていて、毎回、様々な方を宝塚の公演へ誘って感想を語ってもらい、それに応答する往復書簡の形になっています。そちらでは誰が出演するどの演目かが書かれていますが、『ファンになる。きみへの愛にリボンをつける。』に固有名詞は記されていませんし、宝塚関連の用語もほとんど出てきませんね。
最果:このエッセイは、どちらかというと自分が自分の「好き」という気持ちとどうやって付き合っていくか、それから応援している人に対してどんなふうに誠実でいたいかを考えるために書いていたエッセイです。誰かを好きになることはとても大変なんですけど、「大変」と一言で言ってしまうともったいなくて、その複雑さこそが「好き」の美しさなんだって思います。それを知るために一冊分書いたのかなぁって今は思いますね。だから私個人の気持ちをとにかく書いた一冊になりました。三宅さんは、宝塚以外で好きなものはありますか。
三宅:女性アイドルが好きですね。それでいうと、アイドルにしても宝塚にしても、私は自分の好きが揺らぐとき、いろんなタイミングで好きじゃなくなる時があるのではと思っていて、ずっと好きと言うことに怖さがあるんです。最果さんにはそう感じたりすることがありますか。
最果:その感覚すごくわかります。私も昔「この人のことがすごく好きだ!」って思った後、1年くらい自分の「好き」をそのままぶつけていいのか悩みました。すごく好きだし、ずっとずっと好きだろうなぁって見るたびに思ったんですけど、「ずっと好き」って伝えるのって、怖くて、なかなか書けなかったんです。でも、あるとき、その確信を自分の中に探すのではなくて、これはただ誓うことなんだって思ったんです。悩んでいた頃は、「好き」ってひたすら一方通行的なもので、自分一人の問題だと考えていたから、どの程度の純粋さで絶対壊れないものなのかわからない自分に対する不信感で頭がいっぱいだったんです。
でも、1年間考えて、遠くてもそこには一人の人がいて、その人に対して差し出す花束のようなものが「好き」という感情なのだと思うようになりました。それをずっと枯らさないように大切にしていくと誓うだけでいいんだなって。その人のことが大好きで、その人の気持ちがすごく大切だから、それならやれるって私は思えて、それからは「ずっと好き」と言えるようになりました。それは永遠の愛を手に入れたとかではなく、自分で永遠の愛にした感じだから、力ずくで進む、誓えば永遠になるみたいな感じで(笑)。そのあとは今のところずっと大好きだし、不安もないし、私にはこのやり方が合っていたのだと思います。
三宅:私は『「好き」を言語化する技術』で、今好きな人に対して、いつか今ほど好きではなくなる時がくるかもしれないからこそ、今の気持ちを言葉にして保存しておこう、と書いたんです。例えば好きな人のスキャンダルが過度に批判されたり、社会的な議論の文脈のなかに自分の好きな存在が巻きこまれたりするタイミングが来るかもしれない。あるいは自分の好きな人について悲しい出来事が起きたりして、これまでとは違う感情に覆われてしまった人も、今はたくさんいるのではないかと思うんです。最果さんの本を読むなかにもそういう人はいるだろうけれど、でも、その人が自分と向きあい、言葉にする行為の手助けや道しるべになる本ではないかなと思いました。すごく優しい本だな、と。寄り添ってくれる最果さんの優しさが沁みます。ほんとに。
最果:けっこう力ずくのソリューションでしかないですけど。強くあれ、みたいな感じ。
――舞台ではキャラクターを演じるわけですが、キャラクターと演者の重なりはどのように見ているんですか。
最果:キャラクターと演者を完全に引き離した見方はしていない気がします。その人が演じる役を現実と非現実の間の蜃気楼のように見ている。舞台の役は役だけれど、その人の生身でもある。その人の思考がそこには裏打ちされていて、それが役をより生き生きとさせていて。演者が役という一つの存在のことをずっと考えているからこそ生まれる瑞々しさが私は好きです。
三宅:そこが舞台のよさですよね。同じ役をやっても、違う人がやると全然違う。その人のその役が好きって強烈に感じる瞬間があります。
最果:でも、役をやらずにその人が舞台に立つだけでいいかというと、そうじゃないんですよね。
三宅:宝塚を好きになりたての時、役が好きなのか、人が好きなのか、演目が好きなのか、わからなくなるときもありますよね。
最果:宝塚には芝居とショーがありますけど、芝居で役を好きになり、ショーを見てやっぱり演じた人が好きなのかもしれないと感じたり。ただ、そこから一人の人を好きになると、ちょっと変わってくる気もします。好きなその人の役への向き合い方とか、宝塚への向き合い方、ショーの場面への解釈やダンスの表現の仕方、そういうものをずっと追って見ていると、その人の宝塚人生を自分は追っているような、そんな感覚になるんです。
私は『ベルサイユのばら』のフィナーレ場面の「オマージュ」がすごく好きなんです。男役黒燕尾の王道も王道で、私はこの場面を2013年の『ベルサイユのばら』の映像で初めて見た時に、黒燕尾の美学そのものがそのまま舞台の上にある、って思ったんです。黒燕尾って、その人がどんなふうに男役を捉えているのか、全てが現れると私は思っていて。オマージュって特にその極みのような場面だなぁって思いました。その11年前の映像に今私が好きな人も出ていて、生で見ることができていたらなぁってずっと思っていたんです。
そして今年、その人がオマージュを踊る姿を見ることができて、それが本当に、本当に素晴らしくて。私はその人の男役に対するまっすぐさと、硬派な美学が本当に大好きで、心から尊敬しているのですが、その日、その人の美学の結晶のようものを目撃できた気がしたんです。その人のタカラジェンヌとしての人生の大切な一瞬を見せてもらえた気がして、それが私にとっても人生でとても大切な一瞬になって、それは本当に幸せな時間でした。
――三宅さんは『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(2024年)という本を書かれましたけど、舞台を見るには一定の時間が必要になる一方でチケット代のためには働かないといけない。お二人は働くことと観劇のバランスをどうとっているんですか。最果:それはいろんな人にいわれるんですけど、原稿は移動時間に書けるので舞台を見るには向いているのかもしれないです。もともと、やりたいことがあるほうが、それまでに仕事は頑張れるんですよ。暇なら仕事ができるかといったら、べつにできない(笑)。それより詰め詰めのスケジュールの合間に今これをしあげて、あとでもう1本しあげるという方が効率的に進みます。
三宅:私も移動中に書いたりします。舞台って感情をすごく揺さぶられるので、個人的には生活にそういうものがあった方が、書く能力も活性化される感覚があるんですよ。その舞台について書くわけではなくても、非日常的なアドレナリンを出した方が書く感覚が元気になる(笑)。時間の問題というより、アドレナリンを出した方が書けると、自分に言い聞かせているところはありますけど。
最果:あと、好きだなと思った時って自分の気持ちが純粋ななにかになったようで、心そのものがまっすぐになっていく気がします。自分の好きという気持ちを信じられる時こそ、最高速度が出る感じ。観劇すると原稿が書ける、というのは今まで何度もあって、そういう瞬間って、言葉が私の予想を超えたところに着地して、書いていて私もすごく楽しいんです。
■書籍情報
『ファンになる。きみへの愛にリボンをつける。』
著者:最果タヒ
価格:1650円
発売日:2024年9月19日
出版社:中央公論新社