最果タヒ×三宅香帆が語り合う、宝塚ファンの生き様 『ファンになる。きみへの愛にリボンをつける。』対談

最果タヒ×三宅香帆、宝塚ファン対談

 『ファンになる。きみへの愛にリボンをつける。』(中央公論新社)は、詩人・最果タヒが宝塚歌劇団への想いを綴ったエッセイ集だ。最果にとって、舞台の上の人を「好き」になるとは、どういうことなのか。同じく宝塚ファンであり、『「好き」を言語化する技術』という著書もある文芸評論家・三宅香帆と語りあった。(円堂都司昭/10月某日取材・構成)

最果「人を応援するのは大変なこと」

最果タヒ『ファンになる。きみへの愛にリボンをつける。』

――三宅さんは『「好き」を言語化する技術』(2024年。2023年刊『推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない』を新書化に際し改題)で、『ファンになる。きみへの愛にリボンをつける。』の連載時(WEB連載「ブルー・スパンコール・ブルー」2022~24年 婦人公論.jp)の第1回「千秋楽が来てしまう」について書かれていました。今回、最果さんのまとまった本を読んでどのような感想を持ちましたか。

三宅:「好き」という自分の感情に向きあう前半の話から、「ずっと好き」であるということを最果さんが後半で迷いながらいい切っているのが、印象的でした。最初の方では「好き」が、魔法や祈りのような、この時間に対する肯定みたいなところがあったと思います。そこから様々な迷いがあって、でもやっぱり「ずっと好き」なんだ、それが相手に対してどういうものなのかと、少しずつ想いの時間軸が長くなっていく。本になった全体の印象として、そこがすごく面白かったです。

最果:人を応援するのは大変なことで、軽い気持ちでやってはいけないと思うんです。誰かをすごく好きだと最初に思う時って、自分のときめく気持ちが100%で、相手を好きだと思ったそのときの勢いが全てって感じがします。そこから応援しようとなって、その人のことを考えたり、その人が作り出すものを全力で受けとめようとする。そうするとだんだん「好き」と思うことの楽しさや嬉しさよりも、自分がどれだけ真摯に向きあって「好き」という気持ちをちゃんと相手に伝えられるくらい磨き抜いているか、という話になる。瞬間の喜びとは違うから、ずっと好きで応援していますというのは、相手に信じてくださいというより、自分自身がそれをどれくらい誓えるか、自分がどれだけ強くあれるかみたいなことになってくるんです。

 そんな風に己を磨いて、修行僧みたいな発言が増える(笑)。本にまとめてみると、以前より今は、自分の不安を自分でなんとかできるようになった気がします。本ではその変化がわかりやすいように、原稿を時系列で並べつつ、今思うことを書き足したりしました。

三宅:読んでいて、好きな人への手紙を書くというところが、最果さんの内側での転換点だったのかなという印象を受けました。「好き」のモードチェンジというか、衝動として「この人が好き」、「この時間が好き」、「ただ好き」ということから「応援する」、ある意味で働きかけるような自分の「好き」の感情が、相手にとってなにになるのかということと向きあうようになる、という構成になっているように感じました。

最果:自分が「好き」ということに責任を持とうとするのかもしれないですね。連載で「ファンレターが書けない」と書いていたんですけど、その後に私が応援する人が休演して、ファンレターが書けないとかいっている場合ではなくなった。その人が復帰した時に手紙がたくさんその人を待っているようにしたかったですし、自分がどれくらいその人の舞台を好きで、どれだけ待っているかを伝えなくてはならないって思ったんです。舞台に立つ人は、自分がどう見えているのか、どれくらい特別な存在なのかを知らないんだろうなってよく思います。客席から自分の姿を見ることができないし、その人を好きだと思って見ている人にこそ、その人が一番キラキラと輝いて見えているわけで、それは、ファンしか伝えられないものなんだろうなぁって。今は、そのきらめきをできるだけ言葉に乗せて、鏡のようにその人に伝えられたらいいなぁって願いながら書くようになりました。

三宅:「鏡」という表現は、よくわかります。舞台に立つ人と客席にいる「私」の目があうという話を最果さんは書かれていますよね。私も宝塚観劇の際、舞台を観ているまなざしのなかにとても美しいもの、まぶしいものがあり、それが演者自身の光そのものなのだと感じることがあります。舞台から跳ね返ってくる光をどうやったら表現できるのか、という逡巡が、この本のなかにずっと綴られている。それは結局、オペラグラス越しのまなざしのなかに、自分自身の実存というわけでもないですけど、「生きている」という感覚があるということなのかなと。本書の全体を通して、なにかを観ている、観られているなかに大切なもの、この世界の美しいものがあることが語られていて、それは舞台について書くほかの人があまりいわないことですけど、よくわかる感覚です。

最果:舞台は自分が見ることで自分の体験になる感じがするんです。同じ舞台の客席はたくさんあっても、その席で見るのは私1人。その場所からオペラグラスで決まったところを見るから、ほかの人と全然違うものを見ているわけで、自分の物語になる感じがする。

 一方通行的な「好き」というより、自分の人生の大事な瞬間がきた感じになることもあるし、それを「舞台上のことだ」とは捉えたくないんです。連載の時も本を出した時もいろんな人に「重いオタク」といわれ、そんな自覚がなくて、私そんなに重かったんだって(笑)。でも、全力で舞台と向きあうことは私には楽しくて、面白い生き方だと思っています。「宝塚のファンとしてのエッセイを書いてください」と依頼をもらってただ単純に書いたんですけど、どちらかというと自分の気持ちの動きとか、ドッタンバッタン考え回る様子が「生きてる!」って感じがして、それをそのまま言葉にしてみたいなと思ったんです。私は自分の人生丸ごとで、本気で舞台に向き合うのが好きなんだと思います。書いていて、自分自身の「好き」の細部を知ることができて、綺麗事ではなくて、もっと本気でぶつかる意味で「好きって美しいな」と思いました。読んだ人も、自分の「好き」を一層好きになるようなことがこの本で起きたら素敵だなぁって思います。

三宅「ファンと演者の関係性も意外と複雑」

ZUCCA×ZUCA

――最果さんは、はるな檸檬さんのマンガ『ZUCCA×ZUCA』を読んだのが、宝塚を見るきっかけだったそうですね。

最果:『ZUCCA×ZUCA』が大好きで、宝塚ファンの日常を描いている漫画なんですけど、宝塚をみたことがないまま何回も繰り返し読みました。誰かを応援することにいろんな人が自分なりに頑張っていて、それがすごく瑞々しくて可愛く描かれていて。人を好きになったり応援したりするのっていいな、キラキラして素敵だなと憧れるようになって、それで宝塚を見に行くことにしたんです。

――今さらの話でしょうけど、宝塚の魅力をどこに一番感じていますか。

三宅:ロマンチックなものとか、ラブストーリーとか、ある意味で天国みたいなもの、地上では存在しえないものを自分としては見たいんです。そういうものを女性たちが舞台という装置を使って表現し、女性たちが見ている。その総体に感動してしまう。宝塚には男役と娘役のトップ同士が絶対にいて、ラブストーリーでない時もありますけど、基本的には2人が愛しあって物語やショーが成り立ち、最後には天国のようなところで結ばれて終わる。現実には存在しないものを、説得力を持って見せてくれる、夢であっても信じさせてくれる魔法がまだあったんだという感動が、一番の魅力だと感じます。

最果:私はもう、今さらなにが魅力かわからなくなってる(笑)。宝塚って光も布も人も多いから、初めて見た時はそれらのきれいさで、真正面から夢をパンチで食らったみたいな感じになる。その後、見るごとに宝塚には男役も娘役も型があって、1人1人が自分の美学を持って追求していくところが強くあるとわかってくる。見るうちにこの人の宝塚に対するこういう姿勢が好きとか、娘役のスカートさばきのこういう部分が好きとか、自分のなかでも見る筋ができてくるんです。

 そんなふうに舞台に立つ人たちの美学やこだわりを追うようになると、1人1人がどのような理想を抱いて舞台に向かっているかが伝わってきて、だんだん華道や茶道など道を極める人を見る感じになるんです。その人の道を歩んでいく姿、そして宝塚における「人生」そのものを見ているような心地がします。最初の華やか、きれい、ときめきという印象よりも、自分が物を書くからかもしれないけど、表現の道を黙々と歩む人へのシンパシーが生まれてくる。この道を歩みたい、これを理想にしたいからこれだけは譲れないという思いが私にもありますけど、そういうものを持っている人たちが舞台に立っているとわかって尊敬もして、単純にかっこいい、素敵というよりは、志に対する愛のようなものになっていった。だから今は、その道を歩むところを見届けられる幸せを感じています。

 でも、初心者におすすめするときはそんな風にはいわない。ロマンチックできらびやかで素敵なところがいいよといって誘うんですけど(笑)。

三宅:最果さんに聞いてみたかったことがあります。宝塚のファンになる経験を経て、書き手としての自分の表現や振る舞いに変化したところはありますか。最果さんも「ファンです」といわれる立場ですが、ご自身が宝塚のファンになったことで、例えば手紙をもらったり「応援してます」といわれる時の感じ方は変わりましたか。

最果:手紙はたまにもらいますが、自分が手紙を書くようになってから、この人はこれを書くのにどれだけ時間をかけたのか、想像できるようになりました。同時に、確かに書き手の私に対してのファンレターではあるけれど、その人の心に届いたのは私自身ではなく私の作品なんだということも、より伝わってくるようになりました。それは、私自身が舞台に生きる人たちの、舞台への炎みたいな気持ちを一番大切に思っているからなのかもしれません。作品への気持ちを、私が作品の代わりに受け取っているような感覚になります。

 でも同時に、あくまで私が作者なのだから、自分の作品を愛してくれる読者に対して責任を持たなければいけないなぁと思うようになりました。その人たちの理想通りに動かなきゃとは思わないし、そんなことはできないけど。その人たちが好きだと思ってくれた作品を書いた時の、私の言葉に対する気持ちや姿勢が、ずっと貫けたらいいなとは思います。自分の美学やこだわりを裏切らずにずっと書いて、まっすぐでいたい。

  もちろん、それでもずっと好きでいてもらえるかはわからないけれど、その人たちが好きだと思った過去の気持ちを壊したくないし、壊さないためには私は私に誠実でいるのが一番いいのだろうと思うんです。自分の信じるものを貫いて、その人もそれを好きだと思い続けてくれるならそれはすごく素敵だし、嬉しいことです。

  そして、今のものはそんなにでも、昔のものを好きだと大事にしてくれるのもとても嬉しいです。その人のなかに残っている私の作品を大事にしてほしいし、その邪魔をするようなことにはなりたくないなと思います。逆にそうやって自分の作品と読者のことを考える時間があるから、自分も誰かを応援する時、私が応援することで相手がどんな気持ちになるかを考えることがあります。正解なんて、もちろんわからないんですけれど。

三宅:そもそも道を極めたり表現を極めたりする方向性と、評価や好きになってもらうために努力する方向性は、微妙にずれつつ重なっているものだと思うんです。たとえば自分が書いている本の場合、誰も買ってくれないものを表現して道を極めたいのかといえば違うし、誰かに好かれるあるいは評価される方向に全振りしたいのとも違う。

  そういう意味で、宝塚はそのバランスがいつも不思議だなと思います。宝塚を観たことがない方々からすると、それこそアイドルみたいに好かれるもので、ファン組織がしっかりあって、と思うかもしれない。でも実際に宝塚を好きになって観るようになると、男役道娘役道のようなものがしっかりあることが理解できる。

  それを思うと、ファンと演者の関係性も意外と複雑ですよね。アイドルの方が道を極めていないかというとまた違って、やっぱり極めてるものがあるので、言い方が難しいのですが……。宝塚は、いわゆるファンサービスがしっかりあるけれど、でも、それだけではない。

最果:私は好きな人が道を極めようとする姿が一番好きなので、それが好きと伝えたらいいという立場ではあります。その人の宝塚人生そのものが好きで、志を応援したいって気持ちが一番大きいですね。自分が文章を書く時の感覚が、かなり淡々としているから余計にそう思うのかもしれません。表現をする人の、その表現に対するまっすぐさを見守って、愛していたいなぁって思います。そうしてそうやって生きるその人自身への尊敬の気持ちが大きいです。

 私は文章を書く時、これは受けると思って書くことがあまりないんです。読者がどう思うのかあまりわかるタイプじゃないですし、想像がつく気もしなくて、そんな中で受けるぞと思って書いても、すごく浅はかな文章になるだけなんです。好かれたいっていう気持ちで表現に向かうことがないから、自分が応援する時もそんなふうになるのかなぁって思います。

三宅:最果さんは他人の目を気にしないで書いている、ということなんですね。

最果:そうです。この本も、悩んだり考えすぎたりしたことを乗り越えるための文章です。書くうちにパッとひらめいて、なにかストンと自分のなかで落ち着くと、文章としても好きだと思えるのでマイペースでやっています。そういうやり方しかできないんです。たぶんなんですけれど、そうやって書いた方が私は文章が心を開いている感じになるから、読者も読んでいて面白いのかな、と思います。全力でもがいて、なんとか書ききって、そしたら読んだ人も何人かは心を動かしてくれるのかなって。「好かれたい」がゴールではないし、「いいものを作りたい」もゴールではなくて、もっと黙々と必死に前に進もうとする感覚です。

  そうしたら自分が納得できるものがかろうじて出来上がって、それを好きだと思ってもらえると嬉しいんです。そういうふうにやってきたから、自分の道を黙々と進んで見える人のことを好きになります。特に宝塚は演者たちも宝塚に憧れて入った方が多いので、ファン時代に憧れたもの、入ってから磨いた理想になろうとしている姿が、よりくっきりと見えて、それが私にとって特別なのかもしれません。

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