ポテトサラダ、アジフライ、いなり寿司……美味しいおかずは心まで満たす もふもふ小説『はたらくぽんぽこ神様』にほっこり
ていねいに作られた料理には、科学的には証明できない栄養素がある気がする。じゃがいもを茹でるときは、火の通りを安定させるためにあらかじめ切っておく。刻んだ玉ねぎをキッチンペーパーで絞るようにして、しっかり水分をとる。下味は熱いうちにつける。その一つひとつのちょっとした手間が味を良くするのはもちろんだが、「おいしく食べてもらいたい」という作る人の願いのようなものが、食べる人のお腹のみならず、心まで満たしていると感じるからだ。
ポテトサラダ、アジフライ、いなり寿司、煮込みハンバーグ……と、どれも親しみのあるメニューだけれど、アジをさばくのも、油揚げを甘辛く煮含めるのも、いざ自分でやるとなるとちょっぴりハードルが高く感じてしまう。そんなおなじみのおかずたちを通じて、お客さんを、そして“神様”をも元気にしていく物語。ことのは文庫とpixivが開催した「カワイイ動物たちが大活躍!もふもふ小説コンテスト」の大賞受賞作である『はたらくぽんぽこ神様~野の花商店街のおかず屋さん~』(ことのは文庫)は、ほっこりとした気分に浸りたいこれからの季節にオススメだ。
舞台は、都心から二時間ほど離れたとある田舎町。主人公は、この街から調理師専門学校へ進学するために上京した藤野恵麻だ。都内で就職し、それなりに働きがいのある職場にも恵まれた。だが、恵麻を育ててくれた祖母が他界したことをきっかけに総菜屋「ふじの」を継ぐことになる。
すっかり過疎化の進んだ地元。商店街はかつてのにぎわいを失い、テナント数も激減。右隣にあった仏具店は駐車場になり、左隣の洋品店もシャッターが閉まって久しい。向かいにも店舗はなく、簡素なテーブルとベンチが置かれているだけの休憩所に。
そんなさびれた商店街で、まずは祖母の味を再現しようと奮闘する恵麻。しかし、常連客もみんな年老いてしまったようで、なかなか客足は戻らない。きっと今の日本には、似たような場所が多くあるのではないだろうか。時の流れとともに変わりゆく町並みを前に、行き詰まった感覚を覚えるところから物語は始まる。
赤字続きの経営に焦りながらも、恵麻はていねいに料理を作り続ける。読みながら、軽快な包丁音が聞こえてきそうなくらい、その手順が小気味よい。思わずよだれがジワッと口の中に広がり、お腹がすいてくるほどだ。作中に「味見をするときがいちばんおいしい」なんていう言葉が登場するが、こうして文章から想像するからこそ「おいしい」と思える料理もあると思う。
そんな恵麻の作る料理の香りを嗅ぎつけたのは、もふもふなたぬきの“神様”だった。「きぬ様」と名乗るそのたぬきは、商店街とともにお参りする人のいなくなった祠に祀られている町の神様だという。ずんぐりむっくりな見た目に、食いしん坊で、憎めない性格。さらにおいしい料理を食べさせてくれたお礼に「店を繁盛させてやる」と約束するきぬ様。
これでちゃちゃっと願いが叶って、売上倍増!? 大人のところにドラえもんがやってきたらこんな感じになるのかな……なんて思いきや、そうはいかないらしい。「そんな超能力者みたいなこと、できるわけないじゃろ」と。なんでも神様とは「気配を感じ取る」ものであって、「より良い方向、進むべき道にいざなう」役割なのだそう。きぬ様がわかるのは、繁盛する“匂い”。恵麻がチャレンジすることに、「うまくいくよ」と背中を押す“だけ”といえば、“だけ”なのだ。
でも、それが恵麻にとってはとても大きな力になる。もともと恵麻は飲み会などを得意としない今どきの若者。商店街の集まりにも気まずくならない程度に参加し、はじっこのほうで大人しくしているタイプである。また育ってきた家庭環境の影響もあり、誰かに頼ることもできない性格だ。