「なにが歴史的事実かという議論になると、限りない泥沼に陥っていく」 慶應大教授に聞く、歴史学のプロセスとその意義
史料が「そこにある」という事実
――冒頭で、歴史関連の議論は「なにが事実か」を巡っての論争になりがちだという話がありました。そこにある違和感について、もう少し詳しく聞かせてください。松沢:たとえば、実際に何らかの出来事があって、それについて書かれた史料があるとします。多くの人々は、その史料からどこまで事実に迫ることができるのかに関心を持つと思いますが、歴史研究者たちはそのような順序で仕事をしていないはずです。まずは、史料が「そこにある」という事実を考えます。仮にそれが文字史料だとすれば、文字が書いてある以上、誰かに何かを伝えようとして作られているのは明白です。そのため歴史研究者はまず、誰が誰に向けて何を伝えようとしているのかに着目します。
この本の中では、新聞記事の例を挙げました。新聞記事についての議論というと、「こんなふうに報道されているけれど、事実はどうだったのか」という話になりがちですが、一足飛びにそこにいかないで、まず新聞記事があるということは、報道されたという事実があるということ。それを確認した上で、ようやく次の問いへと進むわけです。そこを検証せずに、一足飛びに「なにが事実か」という議論になると、限りない泥沼に陥っていきます。歴史に関する論争の泥沼化の原因は、そこにあるのではないでしょうか。結局のところ、「こうも読めるじゃないか」という解釈の問題になってしまいますから。
――まず、報道があったという事実について検証することが大事だと。
松沢:これは歴史学に限らず、どの分野でも言えることだと思います。何事も一つひとつ手順を追って議論していかないと、いわゆる議論のための議論になってしまう。人間は、言葉を使わないと社会生活を成り立たせることができないわけですが、そのためには手順を積み重ねていくことがとても大事です。そうしなければ、他人に通じるような仕方で物事を肯定することも否定することもできません。ある特定の立場にいる人が、特定の仲間内だけで通用する概念を使って物事を肯定したり否定したりしても、その外にいる人たちには届かないんです。ある発言を取り上げてそれを批判しようと思ったら、ただレッテルを貼るのではなく、その人はその言葉によって誰に何を伝えようとしているのか、一つひとつを分析して提示する必要があります。
――今の話を聞いていて、SNS上の不毛なやり取りを想起しました。全体を見ることなく、多くの人が即座に反応しがちというか。
松沢:そうですね。言葉で何かをするということが、SNSの時代においてはすごく可視化されています。多くの人が多くの人に対して、言葉を発することによって自分の態度を表明したり、あるいは他人を傷つけたりしています。言い換えると「多対多」の関係で、言葉と言葉の関係が取り結ばれるようになった。そうなってくると、言葉で何をしているのか、あるいは何をされているのかが、いっそうわかりにくくなります。言葉というものの危うさが表れているとも言えるでしょう。
――SNS上の論争に、歴史家の方々も積極的に関与しているような印象もあるのですが……。
松沢:自分の専門に関する論文を書けと言われたらしっかり書ける人たちが、SNS上では不毛な論争をしてしまっている。それはやはり、自分たちが普段やっていることがどういうことかがわかっていないからだと思います。「普段はちゃんと手順を踏んで、丁寧にやっていますよね?」ということは、歴史家のみならず、いろいろな分野の知識人の方々にも問いかけたかったことです。
――本書は歴史学についての本としてのみならず、言葉の取り扱い全般に関する手引き書としても読めますね。
松沢:それも狙いでした。人間は過去について語ることなしに日常生活を営むことができません。たとえば今日、何時にこの場所に来て取材を受けるということは、この場にいる全員がカレンダーなり手帳に記録しているからできることですよね。私たちは常に記録するという行為を繰り返しながら生きている。もし私が今日ここに来なくて「そんな約束はしていない」と言い始めたとしたら、皆さんは「何月何日にメールでご案内しました」と言いますよね?
――「史料」に当たるわけですね(笑)。
松沢:まさにその通りで、そういうふうに世の中は回っています。だから、歴史家がやっていることは決して日常生活から隔絶されたものではありません。歴史家は、長い時間が経ってわかりにくくなってしまった過去を扱う専門家だと捉えてもらうとわかりやすいかもしれません。そういう専門家としての知見を有益なものにするためにも、改めて我々がやっていることを言葉で説明する必要があるのではないでしょうか。
――確かに過去の自分が書いたものすら「これはどういうつもりで書いたんだっけ?」と思うことはあるわけですからね。「歴史」は必ずしも私たちの日常とかけ離れた世界の話ではないと。
松沢:本来、歴史と無関係にいられる人はいませんからね。誰もがみんな過去があり、その先を生きているので、我々は歴史に巻き込まれながら生きているとも言えます。そういう意味では、歴史学をやる人だけではなく、一般の方々にとっても有意義な本になっているのではないかと思います。
■書籍情報
『歴史学はこう考える』
著者:松沢裕作
価格:1,034円
発売日:9月11日
出版社:筑摩書房