宇多田ヒカル×小川哲対談の注目ポイントは? 文学・音楽への理解を深める“言葉”への哲学的な問いかけ
■文学・音楽に興味がある人には必読の対談
宇多田ヒカルと作家・小川哲の対談が、4月25日発売の雑誌「SFマガジン」2024年6月号に掲載された。
この対談は4月10日にリリースされた宇多田のベストアルバム『SCIENCE FICTION』のタイトルにちなんで実現したもの。両者の作品に影響を与えた小説や、中上健次、川端康成、ヘルマン・ヘッセらの文学作品についての読書談義と考察、二人の創作に迫る貴重なエピソードなどが明かされている。宇多田、小川のファンはもちろん、文学、音楽に興味があるすべての人にとって必読の対談だと思う。
特に印象的だったのは、宇多田のコメントの端々から感じられる“言葉とは何か?”という哲学的とも言える問いだ。その中心にあるのは「音楽って言葉で表現できないことを表現するためのツールじゃないですか」という認識だ。
こういったコメントは以前もあり、2022年2月に配信されたインスタライブ番組『ヒカルパイセンに聞け!』でも「言葉では表現できないものを表現する道具」としたうえで、その言語観がジャック・デリダの脱構築に通じているという趣旨の話をしていた。ジャック・デリダ(1930-2004)はユダヤ系フランス人の哲学者のジャック・デリダ(1930−2004)は「ポスト構造主義」の代表的な存在だ。
「SFマガジン」の対談のなかで宇多田は、「伝えたいことを載せて他者へ届けるための、箱舟みたいなものが、言葉」「箱舟を動かすためには水が必要で、それが音楽ですね」と語っている。この文脈だと“初めに伝えたいことがある”と読めるが、その直後に彼女は「音楽的な制約があって初めて言いたいことが出てくる」と説明。「完全に自由な状態だと何を言いたいかわからなくなってしまう」とも。
ここにも宇多田ヒカルの、創作における意識の流れの一端が見て取れる。大切なのは“伝えたいこと”そのもので、言葉ではない。しかし当然ながら、我々は言葉を使わないと思考を認識することはできないし、もちろん他者に伝えることもできない。“伝えたいこと”と“言葉”をつなげるのが音楽という制約であり、それが媒介になっているのだと。確かにここには、構造主義(簡単にいうと「人間の行動・行為は、各人の自由意志ではなく、社会や文化を形成するする構造によって決められている」という考え方)というよりポスト構造主義(脱構築)的なアプローチに近いのかもしれない。