杉江松恋の新鋭作家ハンティング 小説が待ち焦がれた才能、坂崎かおる『嘘つき姫』
おそらく最も多くの読者がいちばん好きな短篇に挙げるであろう「あーちゃんはかあいそうでかあいい」は、語り手と一人の級友との高校時代から成人後に至るまでの長い関係を描いた作品で、二人の距離がつかず離れず、べったりのものではないところが小説の肝になっている。語り手は成長して歯科衛生士として働いており、彼女の勤務する医院にあーちゃんがやってくる。語り手とあーちゃんの距離は再び接近し、二人は友人として付き合うようになる。教えてもらった店の料理に対して語り手が「おいしいね」と感想を言うと、あーちゃんは「味覚が似てるってうれしい」と言う。それに対して語り手は思う。
——あーちゃんはかわいそうだ。「似てる」なんて言葉を軽々しく使うほど意味を知らない。
語り手の言葉が「かわいそう」なのに題名が「かあいそう」「かあいい」なのは、あーちゃんが歯の都合上、発語に問題があるからだ。このちょっと可愛い感じ、舌足らずな言葉でしゃべる小動物のような同性を眺めている感覚が作品全体を覆っている。実はそれが最も大きな仕掛けなのである。同性のあーちゃんに向ける語り手の視線を追っていくとスリリングな感情がこみ上げてくる。歯がモチーフになっていることから、フェティシズムに似た感覚がある作品だ。対象となる何かを目で見るだけではなく、皮膚で触れて自分に最も近づけてみたいという感覚。それが収録作のすべてに共通している。
自分と対象との間にある隔たりを取り払い、一体化してしまいたいという欲求を坂崎は描く。その感情はさまざまな障壁、時には社会そのものが妨害者になるために自然な形で発露させることができない。それゆえ迂遠な道筋を通らざるをえないのだが、強い気持ちはすべての壁を突き破っても今すぐそこに到達したいと願う。その二つが矛盾した要素として湧き上がってくる中で、自分というものをいかに生きるか。そうした自我を一つの器の中に入れて描くことが本当に巧い作家だ。なんという才能なのか。坂崎かおる、ずっとあなたを待っていた。