杉江松恋×川出正樹、2023年度 翻訳ミステリーベスト10選定会議 1位は暗い魅力を持つ作品に
国内版に続き、こちらも恒例となったリアルサウンド認定翻訳ミステリーベスト10です。投票ではなく、川出正樹・杉江松恋の書評家2人が全作を読んだ上で議論し、順位を決定する唯一のミステリー・ランキング。2023年度についても2023年12月22日に選定会議が開かれ、以下の11作が最終候補として挙げられました(奥付2022年11月1日〜2023年10月31日)。この中から議論により1位の作品が選ばれました。選考の模様をお届けします。
『ニードレス通りの果ての家』カトリオナ・ウォード/中谷友紀子訳(早川書房)
『寝煙草の危険』マリアーナ・エンリケス/宮﨑真紀訳(国書刊行会)
『哀惜』アン・クリーヴス/高山真由美訳(ハヤカワ・ミステリ文庫)
『グレイラットの殺人』M・W・クレイヴン/東野さやか訳(ハヤカワ・ミステリ文庫)
『頬に哀しみを刻め』S・A・コスビー/加賀山卓朗訳(ハーパーBOOKS)
『生存者』アレックス・シュルマン/坂本あおい訳(早川書房)
『トゥルー・クライム・ストーリー』ジョセフ・ノックス/池田真紀子訳(新潮文庫)
『渇きの地』クリス・ハマー/山中朝晶訳(ハヤカワ・ミステリ)
『恐るべき太陽』ミシェル・ビュッシ/平岡敦訳(集英社文庫)
『最後の三角形 ジェフリー・フォード短篇傑作選』ジェフリー・フォード/谷垣暁美訳(東京創元社)
『ラブクラフト・カントリー』マット・ラフ/茂木健訳(創元推理文庫)
5位以下次点までを選定
杉江松恋(以下、杉江):今回も候補作の絞り込みには苦労しました。2人がそれぞれ10作ずつ持ち寄って検討したのですが、1作しか重なるものがなく結局19作の中から11作を選んだ形となっております。傾向もばらばらですね。
川出正樹(以下、川出):毎年そうなんですが、文芸よりの作品が多く入っていますね。スパニッシュ・ホラーと銘打たれたアルゼンチン作家の短篇集『寝煙草の危険』に、家族の間に起きた悲劇を凝った構成で描いた『生存者』も本国スウェーデンでは特にミステリーとして意識されずに好評を博した作品です。昨年のこのランキングではエマ・ストーネクス/小川高義訳『光を灯す男たち』(新潮クレスト・ブックス)が入りましたが、そうやって広く作品を取れるのはいいことだと思います。今回選んだ『ニードレス通りの家』も別ジャンルと共通項を持つ作品でしょうし。
杉江:そういう意味では世界幻想文学大賞を7回、シャーリー・ジャクソン賞を4回獲っている怪物のような幻想小説作家であるジェフリー・フォードの短篇集『最後の三角形』や、かなりSF寄りの『ラブクラフト・カントリー』も入っていますしね。どうやって進めていくかなんですが、最初にいちばん下を決めてしまうのはどうかと思うんです。10位と次点ですね。いちばんミステリーっぽくないものを、まず下位にしてみてはどうでしょうか。『生存者』と『寝煙草の危険』ですね。『寝煙草の危険』はアルゼンチンの社会変容を背景にしていて非常に読み応えのあるホラー短篇集です。ミステリー読者ならこの世界観はたぶん気に入ってもらえるはずだと思うんですが、とりあえず今回はその位置で。
川出:『生存者』もそれでいいでしょう。この作品は、冒頭に事の顛末がどうなったかという結果が書かれていて、それがなぜ起きたかを時間遡行しながら語っていく構成になっています。私の知っている限り、この叙述形式で成功した作品というのはあまりないんですけど、これは例外的におもしろいですね。
杉江:次に中間点を決めてはどうかと思うんです。全体の基準になる作品として5位と6位を。それよりも上なのか、下なのかという点で評価がわかりやすくなるかと思います。
川出:そうなるとシリーズものということで『グレイラットの殺人』と『哀惜』でどうですか。
杉江:その2作だとどちらを5位にしますか。私は『哀惜』の作者、アン・クリーヴスには格別の思い入れがあります。シェットランド諸島を舞台にした連作で知られる作者なのですが、これは新シリーズの第1作です。穏やかな人格者で、同性婚をしていマシュー・ヴェンという刑事が主人公です。海辺の町で発見された死体を巡る謎の物語ですが、人間関係が明らかになっていくにつれて真相が浮かび上がってくる書きぶりが非常に好ましい。現在の一推しシリーズです。
川出:その順位でいいでしょう。6位ということになりますが、『グレイラットの殺人』のM・W・クレイヴンは前作『キュレーターの殺人』(ハヤカワ・ミステリ文庫)でブレイクした注目株です。初期は主人公のキャラクターで注目されましたが、それに留まらない魅力がある。ジェフリー・ディーヴァー風の先を読ませない展開と本格的な謎解きの構成を組み合わせた作風は、次々にページをめくりたくなるおもしろさがあります。クリーヴスとクレイヴン、タイプは違いますが現代のイギリス・ミステリーを代表する作家が並んだ形になりますね。
杉江:では、7位以下に置いていい作品を選びたいと思います。
川出:そうですね。『ニードレス通りの果ての家』と『渇きの地』は7位以下でいいかな。『ニードレス通りの果ての家』は、2023年に出た中でも屈指の紹介しにくさを持つ作品です。読みながら感じていた違和の正体が明らかになったときには、本当に驚かされましたね。これは読んでくださいとしか言いようがない。
杉江:『渇きの地』はオーストラリア・ミステリーです。1年前に多重殺人事件が起きた町を新聞記者が訪れて、関係者たちのその後を調べていく。主人公の調査が進むと事件の見え方が変わっていくという捜査小説的な読み心地のある作品で、派手さはないんですがこれも謎解きの興味で引っ張ってくれますね。7位以下の作品をもうひとつ挙げるなら、『頬に哀しみを刻め』でどうでしょうか。他のランキングで1位になっていることもありますが、同じ犯罪小説で『トゥルー・クライム・ストーリー』もありますので。同性婚をした息子たちが何者かに殺され、父親たちが真相解明のために手を組んで乗り出すという話です。主人公が経済的に成功したアフリカ系と、トレーラーハウスに住む貧乏白人の二人に設定されていて、その対比が設定の妙です。ヘイトクライムなど、現代社会の病理を描いた内容で、これも2023年を代表する一作でした。
川出:いいでしょう。しかしそうなると、基本的に幻想小説の短篇集でミステリープロパーではない『最後の三角形』が上位に入ることになりますね(笑)。さっき文芸寄りの作品について話をしましたが、こうして見ると短篇集も今回は多いですね。『寝煙草の危険』『最後の三角形』がそうですが『ラブクラフト・カントリー』も実は連作短篇集です。
杉江:ああ、では短篇集が多いということで、『寝煙草の危険』を次点にしてもいいです。これで5位以下次点までは確定ということにしましょう。