ポリアモリーは不倫や浮気とどう違うのか? 荻上チキが語る、一夫一妻制とは異なる関係性を探る意味

荻上チキが語る、ポリアモリーのリアル

ポリアモリーはフェミニズム精神の象徴でもあった

ーー私自身は独占欲も嫉妬心も強いので、相手がポリーだった場合を想像したとき、調整できる自信はないのですが、「○○さんと一緒にいることで幸せそうなパートナーを見ていると、よかったねと思えるし、自分も幸せ」みたいなことをおっしゃっている方の話を読んで、本来はそうあるべきなのかもしれないな? と揺らいだりもしました。「他の相手と会っているあいだ会えないのはさみしいけど、仕事で会えないさみしさと同じだから」というような発言にも、一理ある……!と思いましたし。

荻上:本書でぜひ書きたいなと思ったことの一つが、その嫉妬心というもので。先ほども言った交換不安は関係が不安定だから生まれるわけではなく、むしろ居心地のよさを感じているからこそ強まるということもあります。相手を失うことをおそれるあまり情緒が乱れるという経験を、したことのある人は少なくないんじゃないでしょうか。ところがポリーの場合、相手が他の誰かを好きになったとしても、すなわち別れるということにはならない。「私のことはちゃんと必要としているんだ」「ないがしろになんて全然していないんだ」ということを本人が納得する状況がつくられれば、関係は安定するわけです。もちろんすぐに納得できるわけではないでしょうが、衝突したり葛藤したりしながら関係を調整していく方法はいろいろあるのだということ、そのレパートリーをさまざまなケースを通じて伝えたかったんです。

ーー恋愛となると、一人を選べないと不誠実と感じてしまいますが、複数の子どもをもつ親はたいていの場合平等に愛していますし、不平等を子どもが感じる場合は、愛情を示して個々に関係性を強固にしますよね。友達だって、誰かひとりを選べと言われたら困りますし。恋愛だけが「たった一人」に固執してしまうのはなんでなんだろう、と改めて考えてしまいますね。

荻上:プラトンの『饗宴』につがいのエピソードがあります。人というのはもともと二つの頭と四本の手足、四つの目をもつ球体の生き物だった。その性には「男と女」「男と男」「女と女」と三タイプあったんだけど、自分たちを脅かすほど勢力を増してきたため、雷を落として半分に割いたのだというものです。以来、人は片割れを求めるようになったというものですね。

 一見、同性愛を含めたさまざまな指向性を包括する物語のようで、この世界のどこかにはたった一人の片割れ、運命の人がいるのだという思想を強調するものでもあります。そんなものは幻想にすぎない、とようやく人々が気づき始めた一方で、いまだその「片割れ」論が社会の枠組みをつくり、その枠組みにそぐわない人ははじかれてしまう。多様性社会というのは、そうした弾かれてしまう人たちを掬いあげるしくみを構築するということで、そのためにも『饗宴』とはちがう物語をつくっていくことは必要だと思いますね。「例のやつ」で幸せになる人もたくさんいるけれど、どうしてもうまくいかないのだとしたらそれは自分が悪いのではなく、別のモデルが必要なだけかもしれないと、おのおのが問い直すということも。

ーーどんなに多様な恋人や夫婦のかたちが描かれていたとしても、今のところは、一夫一妻制の結婚が着地点として強固に存在しているのも、難しいところですね。

荻上:今の時代、結婚したら末永く幸せに暮らせるなんて信じている人はほとんどいないでしょうし、結婚後の関係を丁寧に描くフィクションも増えているはずなのですが、そのあたりの語りも、もっとレパートリーが増えていく必要があると思います。

 もともとポリアモリーというのは、90年代のアメリカで生まれた言葉で、家父長制などの支配から離れた自立した者同士の自由恋愛やフリーセックスを是とする、フェミニズム精神の象徴でもありました。けれど現実問題、男女の賃金格差は依然として存在しますし、制度の保証がないままポリアモリーを実践する際、どこまでフェアな関係を築けるだろうかという課題はありますね。不安を解消するために全員がともに暮らすのも選択肢の一つですし、シェアハウスもその一例だとは思うのですが、ポリアモラスな関係を含め、過度にまつりあげるのは経済的な格差を温存し続けることに繋がる。レパートリーを増やすことは確かに大事だけれど、その点については、慎重に語られなくてはならないとも思っています。

ーー今作を書きあげたことで、荻上さんが改めて気づいたことや、もっと深掘りしたいなと思ったことはありますか?

荻上:過去に刊行されたポリーにまつわる文献は、ポジティブな文脈で語られることが多かったんですよ。規範の外で、豊かな関係を模索している人々として描かれることが多かった。でもこの本では、もっと等身大の葛藤というか、それぞれの関係を築く中での衝突を含め、課題となっていることについてもしっかり書きたかったんですよね。そのほうが、生きづらさを解消する手がかりを探している方に、より具体的なヒントとなってくれる気がしたから。ただ、当事者以外の読者、あるいは概要を知った人からはしばしば「自己正当化」という言葉を使って、否定的に語られるんですよ。

ーー最初にお話したとおり、浮気を正当化していると実際に責められた経験のある当事者の方も、本書では登場しますね。

荻上:でも正当化というのは、悪事を正しいように見せかけることでしょう。ポリアモリーは悪ではない。ただ、多くの人と関係指向が異なるだけ。この本を書いたのも、決して世の中に釈明するためではなく、できるだけ客観的に現状を示しただけです。でも、この受け止められ方にこそ、ポリーの生きづらさはあるんですよね。人は、こうありたいと望む自分と現実の自分にズレを感じる自己不一致状態に苦しみを覚えます。人に責められたくない、嫌われたくない、あるいは社会に適合する自分でありたいと思うと、ポリアモリーである自分のことが受け入れられなくなってしまう。その葛藤に手を差し伸べて、自己一致を実現する手助けになってくれたらいいなと思っているんです。

ーー先ほどもおっしゃっていたとおり、恋愛がうまくいかないのは自分が悪いからではなく、ただ相手との関係指向が違うだけ。欲望のミスマッチが起きているだけと考えることができれば、少しはラクになるかもしれないですよね。

荻上:本作でも、流行の横文字でごまかしている、みたいな言われ方をした人の話が出てきますが、状態を言語化するのってそれだけで強い助けになるんですよ。もちろん「男だから性欲を制御できないのは仕方がない」みたいに、属性を開き直りの言い訳に使っていいわけではないですが、「自分はポリアモリー、あるいはポリアモリー寄りの指向で、一対一の関係にはあまりむいていないんだ。それはただそういう性質というだけなんだ」と知ることができれば、自己一致を探っていく一助になるのではないかと。

 そう言う意味では、ポリアモリーについて語った本ではあるけれど、関係様式全般を見つめ直し、自己一致を追究する旅に出るためのガイドブックでもあるので、現状に苦しんでいる方に届いてくれたらいいなと思います。

■書籍情報
『もう一人、誰かを好きになったとき―ポリアモリーのリアル―』
著者:荻上チキ
価格:1,980円
発売日:2023年11月29日
出版社:新潮社

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