45歳・無職で離婚を突きつけられた女はどう生きる? 安野モヨコ『後ハッピーマニア』が描く、90年代の青春の20年後

『後ハッピーマニア』が描く青春の20年後

 「あのタカハシ」が浮気した。平成期の漫画に魅入られた者なら、この一言だけで衝撃を受けるのではないだろうか。2019年より始まった安野モヨコによる漫画『ハッピーマニア』の続編『後ハッピーマニア』では、あまりに一途なことで知られた男・タカハシが、45歳になった主人公に離婚を突きつけることから始まる。

安野モヨコ『ハッピーマニア(1)』(祥伝社コミック文庫)

 1995年から2001年にかけて連載された前作『ハッピーマニア』は、ポップカルチャー史に残る革命として語り継がれている。作家・桐野夏生よりドン・キホーテに例えられた(文庫版 4巻 解説)主人公シゲタは「受け身な乙女」とは正反対のアグレッシブな20代女性で、意中の男性にアタックしては痛い目に遭いつづけていく。恋のためなら仕事すら放棄する彼女が追求するものは、愛する人との至上の瞬間(または、それを追い求める過程)であり、一般的な「ゴール」とされがちな結婚や安定は眼中に無い。まさにタイトルそのまま「ハッピーマニア」なのである。コミカルに描かれるシゲタの恋愛道、そして「ヤってから考える」スタンスが当時どれだけ衝撃だったかは、全6巻からなる文庫版の解説を読んでいけばわかる。たとえば、編集者の林陽子は、『ハッピーマニア』が「恋愛・結婚という概念自体の変質をそのまま示し、さらには人類史上において、人間が生きている上での意識・価値観の変化までをも示唆した」(文庫版 6巻 解説)と断言している。

 そんな「ハッピーマニア」女に恋の炎を燃やしたのが、真面目なエリート東大生のタカハシだ。移り気で美形好きなシゲタに酷いことをされようと、ストーリーの大半で奉仕しつづける「あまりに一途」な男である。さまざまな波乱を通したあと、この2人は明確な両思いとなるのだが、その時には(これまた色々あって)タカハシは既婚者になっていた。彼の妻の座についたのは、結婚という「ステータス」に執着する、いわば「ハッピーマニア」とは真の対極に位置する存在、貴子である。作中、夫の不倫を公然と許容してまで婚姻関係を保持しようとする貴子に衝撃を受けたシゲタは、結婚の概念そのものに疑念を抱いていく。「恋は自由競争で他に好きな人ができちゃったらどうしようもない」「(すぐ別れられる恋人関係と異なり)結婚したら呪縛できるのだ 心が冷めても離れても」。もしタカハシと結婚して浮気したら自分はどうするのか、貴子のように黙って我慢するのか、結婚していれば愛がさめても家族なのか……そんな風にシゲタがグルグルと煩悶するあいだ、タカハシから強く訴えられた貴子が「結婚なんて意味ないじゃない」と叫んで離婚が成立。それでも「結婚しても浮気するかもしれない」と漏らすシゲタをタカハシが諭す。「(永遠の愛なんて)本当はこの世の誰もそんなの誓えない 今……愛してればいい」。こうして、舞台は結婚式に移るものの、主人公の疑念は解消されぬまま『ハッピーマニア』は終幕した。

 こうして振り返ると、40代となったタカハシの離婚宣言から始まる『後ハッピーマニア』は、非常に正統な流れの続編になっている。40代となった今作のシゲタは、浮気もほぼしていないようで、かつてより現実的な思考になっている。離婚を言い渡された際のリアクションは「あたしはもう45歳なんだよ」。無職の身で別れたら今後どう生きていけばいいのか、といった角度で怒り、離婚を阻止するために別居も拒否するのだ。要するに、20代の頃には対極であったはずの貴子のような立場になったと言える。前作の終盤でシゲタが浮かべた婚姻にまつわる疑念や仮定がそのまま現実になって降りかかる物語なのだ。

 タカハシにしても立場が急転したように見える。20代の頃は色んな男に恋をしていったシゲタこそ「ハッピーマニア」だったが、今回は彼こそ物語をかき回す「ハッピーマニア」そのものになっているのだ。彼が離婚を望む理由は、他の女性に恋をしたから。その人と両思いでもないのに、新たな恋を貫きたいがゆえに離婚を申し出たのである。この点にしても、前作終盤で示された「恋は自由競争」というシゲタの定義、そしてタカハシ自身の「永遠の愛など誰も誓えないから今愛してればいい」宣言が伏線として機能している。加えて、シゲタ一筋と思われた男・タカハシが「あまりに一途」な性分だからこそ新たな恋に出逢えば妻すら振り切って「ハッピーマニア」になる流れは、おかしいどころか自然だ。そもそも、トラブルメイカーなシゲタを追い求めていた頃から「ハッピーマニア」そのものだったのかもしれない。

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