追悼・寺沢武一『コブラ』は漫画表現の新時代を切り拓いたーースタイリッシュな画風×SF的なアイデアで一世を風靡

寺沢武一『コブラ』の功績

 マンガ家の寺沢武一さんが9月8日に死去した。68歳という享年から逆算して、『コブラ』を描いて漫画界に登場してきたのが22、3歳といった若さだったと知り、その卓越した画才ぶりに改めて頭を垂れるしかない。寺沢武一の何がそれほどまでに凄かったのか。その凄さがエンターテインメントの世界にどれだけの貢献をもたらしたのか。

 『コブラ』が2008年に改めてアニメ化されたタイミングで、寺沢武一さんにインタビューしたことがあった。記事も当時のメモも手元にないため、細かなニュアンスは記憶に頼るが、寺沢さんの漫画にはやはりアメコミの影響があるのかと尋ねた時、そうではないといった返答があったように覚えている。自分が影響を受けたのはBD(バンドデシネ)だ。確かそう話してくれた。

 1977年に読み切りで掲載された後、1978年に「週刊少年ジャンプ」で『コブラ』の連載が始まった時、誰もがそのスタイリッシュな作風に衝撃を受けた。マッチョな男性キャラクターやグラマラスな女性キャラクターが高い等身で描かれていて、ポージングもグラビアから抜け出してきたようにいちいちカッコ良い。そうしたビジュアルから、『バットマン』や『スパイダーマン』といったアメコミを思い浮かべる人が多かった。

 実際は、フランスのジャン・ジロー(メビウス)をはじめとしたBD作家を好んで良く読んでいたようで、1974年創刊の『メタル・ユルラン』(米題『ヘビーメタル』)などに掲載されるような、肉体美を兼ね備えたイラストに近い雰囲気が、寺沢武一の作風には漂っているように感じられる。あるいはフランク・フラゼッタやボリス・ヴァレホといったアメリカのイラストレーターが描く、ファンタジー作品のイラスト表現に通じるところもある。

 そうした表現方法に、フランス人俳優のジャン・ポール・ベルモンドが主演した映画のような洒脱さやハードボイルドさをセリフ回しやストーリーに取り入れ、SFとしてのアイデアを惜しみなく注ぎ込んで作り上げた作品が『コブラ』だったとしたら、20歳過ぎの青年がそこまで広いアンテナを持ち、多彩な表現に触れて自分なりに吸収し、オリジナルの作品を生み出したことに驚嘆せざるを得ない。漫画を通してそれらの表現に触れた子供の読者はなおのこと、初めての体験として多大な影響を受けただろう。

 そうした影響が、後に北条司の『シティーハンター』のようなおどけているようで本当は強いキャラクターを主人公にした作品を生み、荒木飛呂彦の『ジョジョの奇妙な冒険』のような圧倒的な画力と洒脱な会話で読者を引っ張っていく作品を生んだとしたら、寺沢武一の影響は漫画界にとって計り知れない。

 精神の力をエネルギーに変えて撃ち出すサイコガンの無敵さや、全身をメタルボディで包んだアーマロイドレディの美しさ、透明なボディであらゆる光線兵器の攻撃を無効化するクリスタルボーイのクールさなど、SF的なガジェットをキャラクターに乗せて見せる手腕にも長けていた。見た能力を取り込んでどんどんと強くなっていく、古代火星人が作りだした最終兵器は恐ろしかったし、甲冑をまとった人物が手にした剣が実は本体だったというソード人の存在には驚かされた。

 そうした漫画におけるSF的なアイデアの見せ方でも、当時の少年漫画にあって寺沢武一は大きく抜け出していたところがあった。少女漫画ではその頃、竹宮恵子が『地球へ…』、萩尾望都が『スター・レッド』を連載していたが、そうした作品とはまた違ったSF冒険活劇の登場を、喜んだSF好きも結構いたのではないだろうか。

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