暗い感情を持つのは自然なことーーアフリカン・アメリカン文学の新潮流『ミルク・ブラッド・ヒート』インタビュー
暗い感情を持つのも人間らしさ
ーー「天国を失って」は、ガンに侵された妻を持つ中年男性・フレッドが、バーで働く若い女性に親切にされたことで、つい「その気」になってしまうという哀しい話です。まるで10年後の自分を見ているかのようで、心が痛みました。良い歳になっても、ちょっと異性に優しくされただけで、すぐに「もしかしたら自分のことが好きなのかもしれない」と思ってしまうんですよね……。ダンティール:あははは! あなたは正直な人ですね。でも、男性からのそういう感想は嬉しいです。この作品はたしかに男性が主人公だけれど、夫婦の話でもあって、翻訳者の押野さんからは「日本の女性が一番共感できる作品だと思う」と言われました。男性から見ると、奥さんやバーの女性が何を考えているのかはわからないけれど、女性からはすべてお見通しという感じ。きっと多くの女性は、小説の中でその心情が書かれてはいなくても、奥さんやバーの女性が考えていることがわかるはず。
ーー下心が見透かされているようで、読んでいて恥ずかしい気持ちになりました(笑)。でも、人が表には出さないような感情を明け透けに書いているところに本作の面白さがあって、だからこそ共感できるのだと思いました。
ダンティール:人が表には出さないような感情は、まさに本作で描きたかったことです。人は幼い頃から「ああしてはいけない、こうしてはいけない」と抑圧されて育つので、本来は誰しもが持つ感情に対してまで、恥や罪の意識を感じるようになります。もちろん社会化していくことは必要だけど、劣情や嫉妬などの暗い感情を抱くこともまた、人間として自然なことです。もしも若い頃に、暗い感情を持つのも人間らしさだと知っていれば、自分に対しても周りに対しても、もっと優しくなれたはずだと思います。
本作の舞台はフロリダ州ジャクソンビルで、登場人物たちはアフリカ系アメリカ人が多いけれど、世界中どこでも多かれ少なかれ人は感情を抑圧されて育ってきているので、だからこそ言語の壁を越えて共感してもらえるのでしょう。大人になって「そういえば昔はこんな暗い感情も持っていたな」とか「自分にも主人公たちと同じような狡い部分があるな」と知り、それは自然な感情なんだと学び直すことで、人は成長できるのではないでしょうか。
ーー自分の暗い感情を受け入れることで、他者を知るというか。
ダンティール:そうですね。この本を読んでいる間は、私と一緒に考えて、暗い感情を見直す時間にしてほしいです。私自身も「こんなことを書いていいのかな」と悩む部分もあったけれど、私が考えて感じていることは、きっと他の誰かも考えているし、感じていることだと思います。あなたは「この本を読んで癒された」と言ってくれましたね。誰もがこういう感情を抱くのだと知ってもらうことは、私にとってもすごく嬉しいことなんです。小説を書いたり、読んだりすることの意義は、きっとそういう経験の中にあるんじゃないかと思います。
ーー「悪食家たち」は、とあるグロテスクな会員制のクラブの様子を描いた作品で、本書の中では異色の作風だと感じました。寓話的な要素が強いと感じましたが、ご自身の中でどういう位置づけでしょうか?
ダンティール:この作品について聞いてくれるのもとても嬉しいです。他の作品と違うテイストなので、人によってはちぐはぐに感じるかもしれないけれど、私にとっては他の作品と同じテーマーー資本主義であり、人種問題であり、階級問題でありーーを共有しています。他の作品と違って、イメージ的に明示しているのが特徴です。今、この世界は若者たちを消費することで成り立っているところがあります。将来の世代のことを考えずに環境を破壊したり、若者を使って物を売ったり、直接的に若者から搾取をしたり、悪いことがあればすぐに若者をスケープゴートにしたり……この作品では、将来の世代を食い物にしているってことを言いたかったんです。ただ、内容が刺激的だから「キャンセルされたらどうしよう」という不安も少しはありました。
ーーキャンセル・カルチャーについては、どう捉えていますか。
ダンティール:うーん……他の国の事情はわからないけれど、少なくともアメリカは中間を取ることができなくなっていて、なんでも白か黒か、極端な方向に行こうとしていることは確かでしょう。権力に対する責任を追求することは大事だけれど、一度キャンセルされると、その人の全てのキャリアが閉ざされてしまうような状況は問題だと思います。人は誰しも過ちを犯すものだから、本来であれば、過ちから学んで成長できる余地を残すべきなんだけれど、今のキャンセル・カルチャーはすごく権力的で、結局のところ、批判する側が批判される側と同じようなことをしているようにさえ感じます。よくないと思いますね。
自分で自分の考え方を狭めずに、オープンであることが大切
ーー昨今はディーリア・オーエンズの『ザリガニの鳴くところ』が日本でもヒットしたり、あるいは川上未映子や松田青子や村田沙耶香といった日本の作家が海外でも評価されるなど、世界的に女性作家の活躍が目立っています。このような状況をどう見ていますか。ダンティール:才能ある女性作家が世界中からたくさん出てきているのは、素晴らしいことだと思います。アメリカの出版界で幅を利かせてきた白人男性作家の中には「こんなに女性作家ばかりが台頭しちゃうと、僕らが本を出すスペースがなくなっちゃうよ」なんて言っている人もいるみたいだけれど、なに言ってるの? って感じ(笑)。私自身、小川洋子さんなど日本の女性作家の小説も読んでいるし、スペイン語圏ではマリアーナ・エンリケスの小説も読んでいて、私が創作を教えている学生たちにも積極的に読んでもらうようにしています。アメリカ人はアメリカこそが世界の中心みたいに思っているけれど、そうではなくてもっといろんな観点があることを伝えたいんです。
ーー学生に創作を教える上で、一番大切にしていることは?
ダンティール:一番大切にしているのは、私が一方通行で知識を与える立場ではないということです。私の仕事は学生たちに導きを与えることだけれど、私も学生たちから多くのことを学んでいます。何かをきちんと説明できるようになることは、自分に対してもきちんと説明できるようになるということだし、私は学生たちに私のように書くことを勧めているわけではありません。学生たちそれぞれが、自分の思い通りに書けるように手助けをするだけ。学生たちは、どのエージェントと契約するべきかとか、どうすれば自分のブランドを構築できるのかとか、どうやれば出版できるのかとか、そういうことを意識しがちだけれど、まずは作品ありきで、そこに他のものが付いてくるということを繰り返し伝えています。あとは、「遊びの大切さ」ですね。作品を作ることで何かを得ようと期待すると、色々な重圧があって書くことが楽しくなくなってしまいます。そうなったら本末転倒です。書くことの楽しさって、簡単に思えるかもしれないけれど、忘れてしまいがちなんです。失敗してもいい、転んでもまた起き上がればいいんだから、とにかく楽しむことをまず第一に考えてほしい。そういう余裕を持つことが大切だって教えています。
ーー最後に、日本の読者にメッセージをお願いします。
ダンティール:『ミルク・ブラッド・ヒート』が、日本の読者の心に何かしら訴えかけるものがある小説になっていると嬉しいです。小説を読むことを通じて、自分の心をありのままに捉えることができると、世界のことや、そこに存在する自分のことをもっと深く知ることができるはず。世の中はこうあるべきだとか、こうしなければいけないという風に、自分で自分の考え方を狭めずに、オープンであることが大切だと思います。今の世界のあり方は、私たち自身の心が規定しているものだから、もっと良くするためには豊かな想像力が必要です。
■書籍情報
ミルク・ブラッド・ヒート
ダンティール・W・モニーズ 著
押野素子 訳
定価:2,695円
発売日:2023年4月27日
出版社:河出書房新社
https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309208787/