漫画家・ヒロユキ、今だから話せる「きらら」黎明期と同人誌の制作秘話
『ドージンワーク』ついにアニメ化!
――2007年7月に『ドージンワーク』がアニメ化されました。「まんがタイムきらら」連載作品では初めてのアニメ化です。「キャラット」を含めると、この年の1月に『ひだまりスケッチ』がアニメ化されていますが、いずれにせよ「きらら」発のアニメの先駆けといえます。アニメ化に至った経緯を伺えますでしょうか。
ヒロユキ:手前味噌ですが、人気があったからです(笑)。1巻の初版が1万9,000部でしたが、即1万7,000部の重版がかかりました。その後、どんどん部数が積み重なって、1ヶ月ちょっとで5万1,000部まで伸びたんです。
――最近では、『ぼっち・ざ・ろっく!』がアニメの放送後に200万部を突破しています。『ドージンワーク』もアニメ化を機に、単行本の売上には変化はありましたか?
ヒロユキ:アニメが始まる前に単巻10万部は超えていて、3巻が出る時にアニメの発表がありました。さらにアニメに合わせて各巻5万部ほどの重版がかかり、放送が近づいていくにつれてどんどんと売り上げも上がっていきました。ところがアニメが放送されると……その売り上げが頭打ちになり下がっていった……らしいです。
――ピタッと止まってしまった原因は、なんとなくわかるのですが……。
ヒロユキ:黎明期でしたから、「きらら」の編集部もアニメのノウハウがありませんでした。当時、編集部からも申し訳ないと謝られた記憶があります。今では「きらら」のアニメはヒットがどんどん出ていますし、クオリティも申し分ないものばかり。何本もやっている中でノウハウができあがってきたのでしょう。僕の作品がその礎になったのであれば、本望です(笑)。
「きらら」があったからこそ今がある
――「きらら」での連載を振り返ってみて、いかがでしょうか。
ヒロユキ:「きらら」での連載は本当に良い経験になりました。雑誌全体としての方向性がわかりやすかったので、その中でどうすれば目立てるのか、という戦略が考えやすかったですし、経験がその後の連載でも大いに役立ちました。僕は稼げる時に稼ぎたい人なので、編集部的にもたくさん仕事を回せたし、使い勝手は良い作家だったのではないでしょうか(笑)。
――なるほど、だから当時、ヒロユキ先生は他の「きらら」にも描いていたんですね。
ヒロユキ:最盛期には「きらら」「きららキャラット」「きららフォワー ド」の3誌で描いていましたね。いつもギリギリで、締切間際は船を漕ぎながら描いていることも多かったです(笑)。
――その後、ヒロユキ先生が「きらら」から「ガンガン」、そして「マガジン」へと移った理由はなんですか。
ヒロユキ:個人的に、ギャグ漫画は飽きられやすいジャンルだと思うんです。そんななかで新鮮味を維持しやすい簡単な方法が、住む場所を変えることだと思っています。ついでにより大きなところに行く、というのも意識していました。ちなみに、「ガンガン」は『ドージンワーク』の1巻が出たときに連絡が来ました。「マガジン」は持ち込みです。
――順当にステップアップされていますね。
ヒロユキ:「ヒロユキはアイディアの引き出しがない」と言われるんですが、そんなに自分は武器が多いわけではないので、できることを繰り返してやっています。移籍したらこれまでの僕の漫画を知らない人に向けて描くので、内容が似るのも当然なんですよ(笑)。もちろん、近年は「マガジン」で2度目の連載をしたりもしたので、少しずつ内容の変化も加えていますが(笑)。
――先日完結した『カノジョも彼女』まで、気づけば4作がアニメ化されているヒロユキ先生ですが、現在の「きらら」を見ていかがでしょうか。
ヒロユキ:「きらら」っぽい漫画のイメージが、近年固定化している印象はあります。もちろんそれはそれで良さはありますが、裏を返すとあんまり変な漫画は載せにくくなってそうだな、とも思います(笑)。僕がいた頃の「きらら」はいろんな意味で緩かったように思うので、かなり無茶な内容も載せてもらっていました。『ドージンワーク』は当時の「きらら」だったからできたし、僕自身も試行錯誤できたのだと思っています。改めて、好きにやらせてくれた編集部には感謝しています。
――再び、「きらら」で描いてみたいと思うことはありますか。
ヒロユキ:今でも「きらら」の編集さんからはメールが来ますよ。だから、何かやってみたいと思うことはあります。もし仮に「きらら」で連載が決まったら……そうですね、今の「きらら」で許される範囲を慎重に探りつつ、新しい風を吹き込めるような漫画を考えたいですね。