作家・中村うさぎ、ショッピングの女王から買い物依存症へ 地獄からの脱却と壮絶エピソード
作家の中村うさぎといえば、自身の買い物依存症から美容整形、ホストクラブ、そして風俗……と、あらゆる実体験をもとに執筆したエッセイでヒットを連発した、稀有なエッセイストとして名高い。さらにはマツコ・デラックスを発掘し、芸能界進出へ導いたことでも知られる。
そんな中村は、1990年代には『ゴクドーくん漫遊記』がベストセラーとなる、売れっ子ライトノベル作家であった。まったく畑違いのエッセイストへと転向できたのはなぜだろうか。そして、なぜこれほどのペースでヒットを量産できたのか。独占インタビューでその謎に迫った。
中村うさぎがエッセイでヒットできた理由
――世の中にライトノベル作家はたくさんいますが、エッセイストとしても圧倒的な成功を収めたのは中村先生だけだと思います。なぜ、エッセイを書くことになったのでしょうか。
中村:私の場合は、買い物依存症になったのがきっかけです。編集者に声をかけられて、「ザ・スニーカー」に買い物狂いの話を連載したんです。これが受けて「週刊文春」から仕事が来て『ショッピングの女王』が始まり、気づいたら美容整形やホストの話など、次々にエッセイにしていたという感じですね。ちなみに、ライトノベルを書き始めたときも小説の執筆経験ゼロでしたが、エッセイも依頼があるまで書いたことがありませんでした。
――エッセイをヒットさせるのは本当に難しいと言われますが、ライトノベルとの違いはどこにあるのでしょうか。
中村:有名な小説家のエッセイなら、どんな内容でも読みたいと思うでしょう。でも当時の中村うさぎなんて、子どもには多少知られていたかもしれないけれど、一般には無名な作家だったわけ。でも、先ほど話したように買い物依存という特殊な体験をしてしまったのが、エッセイに転向できた要因なんですよ。ブランド品を買いまくる私の日常が面白いと思われたから、注目されたんだと思います。
――中村先生に続けと、エッセイを書き始めた作家さんはほかにいらっしゃいましたか。
中村:同時期のラノベ作家が、子育てエッセイを書こうとした話は聞いたことがあります。でも、子育てエッセイなんてそこらじゅうに氾濫しているでしょう? 松嶋菜々子の子育てだったら興味持つ人が多いかもしれないけれどさ、ラノベ作家なんてしょせん一部業界限定の有名人みたいなもの。それに、ラノベファンが子育てエッセイに興味をもつかは別だと思います。
――確かに、どんなにそのラノベのファンであっても、作家の日常まで知りたいとは限りませんからね。
中村:その作家の子育てが破天荒で、子どもを崖から突き落とすとかやっていたら、「ライオンかよ!」みたいに突っ込みが入って話題になったかもしれないけどさ(笑)。普通の子育てなら話題性が乏しいよね。繰り返すようだけど、普通のことを書いても受ける人は、芸能人みたいに十分な知名度がある人。知名度がない人は私みたいにぶっ飛んだ体験をしていないと、エッセイなんてどんなに頑張って書いても面白がってもらえないんですよ。
買い物依存症だと知ったきっかけは?
――1990年代は今ほど「依存症」という言葉が一般的ではありませんでしたよね。中村先生が、ご自身が買い物依存症だと自覚した経緯を教えていただけませんか。
中村:当時、私はなんで自分の買い物が止まらないのか謎だったんですよ。そんなとき、私は摂食障害の人に興味を持っていて、吐いてまで食べてしまう精神構造に興味を持ち、精神障害について書かれたアメリカの本を買い漁って読んでいたんです。そこに依存症という言葉が載っていました。ギャンブル、薬物、アルコール、そして買い物依存症と書かれていて、あっ、私はもしかしてそれじゃないかと思いました。
――自分が依存症かもしれないと思った中村先生は、何か行動されたのでしょうか。
中村:専門に診察しているクリニックが近くにあったので、電話をしたんです。「買い物が止まらなくて借金まみれなんです」と言ったら、すぐに来診してくださいと言われました。お医者さんからきっぱりと、買い物依存症と診断されました。
――ショックはありませんでしたか。
中村:いいえ。病気だったのか、そりゃしょうがないや、と開き直っちゃったけれどね(笑)
――(笑)。ところで、中村先生は買い物依存症になるまで、ブランド品に関心はあったのでしょうか。
中村:私がブランド品と聞いて思い出すのは、横浜の捜真女学校という中高一貫の女子高で6年過ごしたときのことです。生徒の親には普通のサラリーマンが少なくて、自営業、医者、大学の先生の子女たちが多かったんです。セレブと言うほどではないけど、中流のかなり上の層くらいの、小金持ちのお嬢さんたちという感じかな。その中にも細かいグループがあって生態が違うのですが、私は派手目な友達と遊んでいて、ブランド物を普通に持っていた子が多かったんですよ。
ブランド品を手にした同級生への嫉妬
――10代の頃からブランド品を愛用している女の子がいたんですか。
中村:東横線沿線に住んでいたので、休日は渋谷経由で原宿に行ったり、横浜の元町で遊んでいました。私服で待ち合わせをすると、お嬢さんたちはルイ・ヴィトンのバッグを持ってきたりするわけ。ヴィトンとかディオールを持っている姿を見ると、普通に羨ましいわけよ。
――当時は1ドル360円の時代でしたし、物品税がありましたから、海外のブランド品は超高級品。現代以上に手に入りにくかったと思います。
中村:今にして思えば、彼女たちはヴィトンを親から借りていたのかもしれないけれどね。でも私も欲しくなって、母親にヴィトンのバッグを買ってと言ったら、「お母さんでもそんな高いバッグ買ったことないのに、高校生がそんなもの持っちゃいけません!」と怒られちゃった。はあ? そんなこと言うんだったら、そんな生徒ばっかりいる学校に入れるなよ! と思ったけれどね(笑)
――中村先生とブランド品との出会いは、子ども時代の羨望にあったわけですね。
中村:その後、20代のころにバブルが到来して、『なんとなくクリスタル』という小説を読みました。そのラストシーンが印象に残ったんです。主人公の女がシャネルのショーウインドウの前に立ち、いつかシャネルに似合う女になってやる的なシーン。そのとき、高校時代の自分を思い出したんだよね。
――この頃、中村先生はコピーライターをしていましたよね。バブル景気の時代ですし、ブランド品を買おうと思えば買えたのではないでしょうか。
中村:20代のコピーライターですから、わさわさとお金が入るわけではないんですよ。当時、まだエルメスやシャネルにいかなかったのは他にも理由があるんです。いわゆるDCブームが起こって、ニコル、ピンクハウス、ヨウジヤマモト、コムデギャルソンが流行っていました。かなり奮発して買ったのはニコルかな。もともと服は好きだったし、DCブランドの二流品みたいなものもバンバン出ていた時期だから、買いやすい価格帯のものは積極的に買っていた気がしますね。