『風の谷のナウシカ』庵野秀明、なかむらたかし、金田伊功……超人気アニメーターを起用した宮崎駿はどう“制御”した?

『風の谷のナウシカ』アニメーターどう制御

庵野秀明は昔から凄かった

 「シン」シリーズでいまや飛ぶ鳥を落とす勢いの庵野秀明も、原画マンの1人として「ナウシカ」に参加している。驚くべきは、“新人”アニメーターながら、なんとクライマックスの“巨神兵の復活と崩壊”という重要な場面の原画を任されているところだろうか。

 この悪夢のような場面については、四の五のいわずに観てほしいという他ないが、不完全な状態で覚醒した巨神兵が、自らの身を滅ぼしながらも(ボタボタと肉片が崩れ落ちていく様子は圧巻である)、クシャナの命令で、王蟲の群れに向かって口から光線を放ち続ける姿が哀れでならない(鳥の“刷り込み”の原理と同じで、巨神兵は、覚醒してすぐに目にしたクシャナのことを母親のような存在だと思い込んでいるのだ)。

「金色(こんじき)の野」に降り立つナウシカを描いたアニメーターは?

 物語のラスト――蘇生したナウシカが「青き衣」を纏って「金色の野」に降り立つ場面を描いたのは、ベテラン・アニメーターの小田部羊一だ。

 名作アニメ『アルプスの少女ハイジ』や『母をたずねて三千里』などの作画監督として知られる小田部は、宮崎(や本作でプロデュースを務めた高畑勲)とは、多くの傑作をともに作り上げてきた旧知の仲である。

 じっさい、原作コミックや絵コンテなどで宮崎が描いたナウシカのイメージに最も近いのは、小田部が描いたナウシカである。尺的には短く、また、派手な動きがある場面というわけでもないのだが、彼女の優しさ、強さ、そして、世界を包み込むような神々しさが見事に表象された、素晴らしいラストシーンであったといえるだろう。

作画監督・小松原一男の手腕

 さて、この他にも、鍋島修や賀川愛など、語るべきアニメーターは何人かいるのだが、(さすがにキリがないので)1人1人の紹介はこのあたりでやめておくことにする。

 ただ、最後に、冒頭で名前を出した作画監督の小松原一男については、少しだけ触れておきたいと思う。

 小松原一男は、1970年代から1980年代の東映動画のキャラクターデザイナー・作画監督として知られる人物である。どちらかといえば、松本零士や永井豪の漫画を原作とする作品のイメージが強いアニメーターであり、金田同様、「宮崎アニメ」の印象は薄かった。また、「ナウシカ」では監督の宮崎が“絵も描ける演出家”であったため、その補佐的な役割に回らざるをえなかった部分もあっただろう。

 しかし、私は、この小松原以外に、80年代半ばの時点で、あの超個性的なスター・アニメーター陣と宮崎駿をつなぐ役割をこなせた人物はいなかったのではないかと思っている(むろん、初めて「『ナウシカ』が映画になる」というニュースを聞いた時、作画監督に「大塚康生」の名を期待した人は少なくなかっただろうが……)。

 いずれにせよ、小松原には、かつて『銀河鉄道999』などの作画監督として、金田のようなアクが強い異才たちを取りまとめたという“実績”があった。その手腕に宮崎も期待したのではないだろうか。

 とはいえ――これはあくまでも私見に過ぎないが――作画監督としての小松原のスタイルは、“原画マンの個性を最大限に活かす”というものである。つまり、『風の谷のナウシカ』の作画が統一されていないのは、そうした小松原のスタイルを、宮崎もある程度“容認”していたからだと思われる(ただし、なかむらたかしが描いたリアルなタッチの人物の顔などは、かなり修正されているようだが)。

 むろん、“作品の完成度”という意味では、こうしたやり方には賛否両論あるかもしれない。じっさい、その後の宮崎作品(もしくはジブリ作品)の多くは、作画がかなり統一されているといっていい。

 だが、先にも書いたように、私は「ナウシカ」の絵のばらつきを「面白い」と思っているのだ。それはたぶん、長編アニメーション映画が、1人の天才ではなく、多くの異才が集まって作るものであるということを、あらためて教えてくれるからだろう。

 『風の谷のナウシカ』がテレビで放送されるのは、今回でなんと20回目になるそうだが、各場面を描いた原画マンたちの個性についても、興味を持っていただけたら幸いである。

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