『鬼滅の刃』刀鍛冶の里編――「兄」と「剣士」の狭間で炭治郎が迫られた“究極の選択”を考える

『鬼滅の刃』炭治郎が迫られた“究極の選択”

炭治郎は極めて現代的なヒーロー

 なお、(本稿の冒頭でもすでに書いていることではあるが)結果的に、禰豆子は陽光を克服し、鬼でありながら太陽の下でも自由に動ける体を手に入れる。つまり、“刀鍛冶の里”で死ぬことはない。

 この展開を“ご都合主義”的だと考える向きもおられるかも知れないが、私としては、鬼の弱点である日の光を大量に浴びたことで、逆に(?)、“抗体”のようなものが彼女の体内に生じたのだと思いたい。そもそも珠世(注・鬼舞辻無惨と敵対している女性の鬼。炭治郎とは協力関係にある)も、禰豆子は近いうちに太陽を克服するだろうと予見していたわけであり(第127話参照)、それが日の光を浴びたせいで早まった、というだけのことではないだろうか。

 いずれにせよ、重要なのは、禰豆子が一度死を覚悟し、炭治郎がそれを肯定した、ということなのである。なぜならばその2人の姿は、今後どのような事態に直面したとしても、“竈門兄妹は自分たちの命よりも他者の命を優先する”ということを暗に物語っているからだ。

 むろん、そうしたヒーロー(ヒロイン)のあり方を、否定する人もいるだろう。しかし、「刀鍛冶の里編」の最後で炭治郎が見せた苦汁の決断こそ、極めて現代的な――痛みを伴うヒーローの姿を象徴している、という見方もできなくはないのである。

※禰豆子の「ね」は「ネ+爾」、煉獄の「れん」は「火+東」、鬼舞辻の「つじ」は一点しんにょうが正式表記。

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