『鬼滅の刃』刀鍛冶の里編――「兄」と「剣士」の狭間で炭治郎が迫られた“究極の選択”を考える

『鬼滅の刃』炭治郎が迫られた“究極の選択”

※本稿は、『鬼滅の刃』(吾峠呼世晴/集英社)のネタバレを含みます。同作を未読の方はご注意ください。(筆者)

 6月18日(日)の放送をもって、最終回を迎えたテレビアニメ『鬼滅の刃 刀鍛冶の里編』(フジテレビ系)。

 この「刀鍛冶の里編」では、2人の「柱」――「霞柱」時透無一郎と「恋柱」甘露寺蜜璃が伝説の“痣”を発現させ、ヒロイン・禰豆子も鬼の弱点の1つである陽光を克服することになるのだが、主人公・竈門炭治郎もまた、そんな彼らに引けを取らない大きな“成長”を遂げることになる。その瞬間は、上弦の鬼・半天狗との戦いの中で突然訪れるのだが――。

「兄」であるべきか、「剣士」であるべきか

 “刀鍛冶の里”を急襲した2体の鬼のうちの1体――半天狗の相手をすることになった炭治郎だったが、いったんは敵を追いつめたものの、(半天狗の「本体」は、身を隠すのがうまいため)あと一歩のところで取り逃がしてしまう。

 折しも空には鬼が嫌う朝日が昇ってきているところだったが、力を消耗していた半天狗は、背に腹は代えられぬとばかりに、目についた“里”の人々を喰うために走り出す。

 一方、炭治郎のそばには鬼化した妹の禰豆子がいた(注・禰豆子は、鬼の始祖・鬼舞辻無惨によって鬼にされているのだが、兄を助け、人々のために悪しき鬼どもと戦っている)。

 ちなみにいま2人がいる場所には、朝日を避けられるような日陰はどこにもなく、このままでは禰豆子は、強い陽光を浴びて焼け死んでしまうことだろう。

 妹の命か、“里”の人々の命か。ここで炭治郎は、究極の選択を迫られることになるのだが(これは有名な「トロッコ問題」と近いが、通常、トロッコ問題では「家族」の要素が加えられることはないため、こちらの方がより複雑である)、兄の“迷い”を察してか、禰豆子は思い切り炭治郎を半天狗がいる方に向かって蹴り飛ばすのだった。

 その時、炭治郎は禰豆子の“笑顔”を見る。そして、決断する――妹を犠牲にしても、“里”の人々を救うのだと。

 そう、この瞬間こそ、竈門炭治郎が、真の意味で「鬼殺隊」の剣士として成長した時だといってもいいだろう。

守るべきものの優先順位

 そもそも炭治郎が鬼殺隊に入隊した最大の理由は、“鬼になった妹を人間に戻すため”というものであった。

 これは、鬼への怒りや復讐心を戦いの原動力にしている他の隊士たちと比べて、少々異質な動機だといっていいが、かといって、炭治郎は妹のことだけを考えて戦っているというわけでもない。これまでも、指令が下れば“現場”へと向かい、命を賭して名もなき人々のために鬼を狩ってきたのだ。当然、そこには彼なりの“1人でも多くの人を救いたい”という正義があってのことだろう。

 しかし、それでも入隊後しばらくの間は、最も大事なものは禰豆子だったはずだ。ところが前述のように、半天狗との戦いでは別の“選択”をした。それはなぜか。

炭治郎の中で育まれていた剣士の責務

 1つは、もちろん、そのほかならぬ禰豆子が、死を覚悟したうえで、自分を半天狗のもとへ送り出したということがあるだろう。その想いに応えられない兄ではあるまい。

 さらにもう1つ。それはやはり、上弦の鬼・猗窩座と戦って散華した「炎柱」――煉獄杏寿郎の“教え”が、知らず知らずのうちに炭治郎の中で大きく育っていたのではないかと思われる。

 「弱き人を助けることは強く生まれた者の責務」という煉獄(とその母)の教えに従うならば、ここはやはり、禰豆子ではなく、“里”の人々を守り、半天狗を倒すべきなのだ。

 そして、炭治郎は見事に半天狗の首を刎ねる。妹思いの兄ではなく、鬼殺隊の剣士として――。

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